ノート:クリエイション (バンド)

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77年〜81年までのメンバー変遷が大きく抜け落ちてますよ。

山内テツが入ったあと、上綱克彦(レイニーウッド)が入ってますし、山内テツ加入前に、Pure Electric Soulが出てます。 その後、危険な関係やスピニング・トー・ホールドNo2、ダイレクトカッティングの第一弾や暗闇のレオなんかの頃のメンバー構成があって、 そして、ダイレクトカッティングの第二弾のSTUDIO LIVEの森園、清水なんかとのメンバー構成がありますよ。

全日本フォークジャンボリーとLP発売のタイミング[編集]

「来歴」節、「ブルース・クリエイション期(1969年 - 1972年)」にある 「同年8月、カルメン・マキをボーカルに迎えて「第3回全日本フォークジャンボリー」に出演したのち、日本コロムビアより『カルメン・マキ&ブルース・クリエイション』をリリースする」という記述を要出典範囲としました。

「ディスコグラフィー」節では、「1971年7月」にLP『カルメン・マキ&ブルース・クリエイション』がリリースされたことになっており、上記の記述と矛盾しています。--山田晴通会話2022年8月22日 (月) 05:47 (UTC)[返信]