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ノート:グノーシス主義

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グノーシス主義のカテゴリ

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新しくグノーシス主義のカテゴリを作成しました。とりあえず、この記事については、グノーシス主義の中心記事なので、そちらにカテゴリ設定を訂正しました。その他のグノーシス主義項目も、カテゴリを現在のCategory:グノーシスから移動させる予定ですが、皆さんのご意見を戴きたく思います。二週間程度余裕を見ますが、反論とか、妥当な異議がなく、また移動に納得されるようでしたら、必要な項目のカテゴリを変更します。--Maris stella 2006年9月21日 (木) 05:17 (UTC)[返信]

なお、あまりに無茶苦茶というか、グノーシス主義に関する学術的な研究書等を果たして読んでいて書いているのか不明な記述が多いので、取りあえず簡単な修正を行いましたが、もっと根本的に直さないとならないでしょう。基本的に:

  • グノーシス主義は、宗教または宗教思想であって、オカルトの類ではない。また神秘主義でもない。神秘主義に見えるのは、実態が不明であった為、勝手な想像を行ったこと、また近代・現代の神秘主義思想で、「グノーシス」を標語にし、グノーシス主義を名乗る者がいるので、概念に混乱が生じているのである。ウスペンスキーなどのグノーシス主義は、また別のものと見なすべきで、その為に、現在の「Category:グノーシス」を使うか、「:Category:グノーシス神秘主義」のようなカテゴリを造るのがよいかも知れない。
  • グノーシス主義は、キリスト教の異端ではなく、完全な異教である。キリスト教側では今でも、グノーシス主義異端などと称しているが、それは、彼らの教会史に自分たちに都合の良い記述を行い、歴史的な事実を無視しているからである。何故、古代において、グノーシス主義が「キリスト教最大の異端」とされたのか、本文の「概説」部分で説明している。自分たち自身、ローマ帝国から迫害されている原始キリスト教会にとって、最大の異端も何もないのである。紀元2世紀のリヨン司教エイレナイオスは確かに、グノーシス主義異端を論駁する大きな冗長な、出鱈目が多々混じっている反駁文書を記した。しかし、これでグノーシス主義側が何か痛痒を感じたかと云うと皆無である。キリスト教は「邪教」として迫害されていた。しかし、グノーシス主義とかミトラス教は、迫害など受けておらず、半ば公認状態であった。グノーシス主義は、哲学思想に見え、その信徒は中産階級など社会的に有力な者が多かったこと、ミトラス教は、軍団の兵士に信者が大勢おり、これを弾圧すると、ローマ帝国が瓦解する虞があったこと。他方、キリスト教は、貧民階級に浸透して行った為、大衆暴動の危惧があり、またローマの古代以来の伝統を正面から否定する宗教であるので、これを看過できなかったことや、有力な支持者がいないので、スケープゴートにされやすかったことがある。--Maris stella 2006年9月21日 (木) 05:17 (UTC)[返信]

Kanbun 氏の記述のリヴァート

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Kanbun 氏の記述をすべてリヴァートして元に戻しました。理由は、グノーシス主義が何か分かっておられないように思えるからです。ハルナックなどの研究史を記述することは問題とは思いませんが、「視点」の問題があります。原始キリスト教や初期キリスト教、ヘレニズム地中海世界の宗教や思想の状態について、キリスト教の研究史の視点を無批判に記載されているのは問題であるということです。また、ヘルメス文書を殊更に取り上げられているが、マニ教ボゴミル派カタリ派は何故、研究史のなかでとりあげないのか。要するに、西欧の史的イエズス研究と関連してのグノーシス研究の話にしかなっておらず、グノーシス主義の研究史としても、偏ったものにしかなっていない。--Maris stella 2006年12月27日 (水) 10:19 (UTC)[返信]

そうでしょうか。研究史としては異端思想としての研究が先行しているように見えますが。キリスト教との関連で捉えるべきでないというのなら、Maris stellaさんはどのような形で研究史を記述すべきと考えているのですか。現在の「異端であるとする見解」節は研究史的な視点を取っていますが、研究史を適切に反映しているものとは言えません。「キリスト教的でない視点」を尊ぶべきなら、なぜユダヤ教との関連を見過ごしておられるのかはなはだ疑問です。初期キリスト教の神話とは、旧約聖書の神話に他ならないのでは?端的に言えば、この節がそもそもキリスト教との関連を重視しているようですから、それを研究史的に膨らませただけです。ボゴミル派カタリ派についてはそのうえで加筆すればよいのでは?--Kanbun 2006年12月27日 (水) 10:42 (UTC)[返信]
なお誤解のある点については具体的に指摘していただけますよう。正直に言いますと、ただ誤解誤解とおっしゃられるだけでは、Maris stellaさんが何を問題としていらっしゃるのか把握できかねます。--Kanbun 2006年12月27日 (水) 10:45 (UTC)[返信]
端的に言えば、「理由は、グノーシス主義が何か分かっておられないように思えるからです。」について、どうしてそのように結論づけられるのかはなはだ疑問です。「西欧の史的イエズス研究と関連してのグノーシス研究の話にしかなって」いないことは事実ですし、そのように意図して記述しましたが、それは「異端としての見解」節がキリスト教内部でのグノーシス研究について述べている箇所だと思ったからです。それが「グノーシス主義の研究史としても、偏ったものにしかなっていない。」とおっしゃられるのでしたら、キリスト教の外部でのグノーシス研究について教授していただけると幸いです。現在のMaris stellaさんのおっしゃりようでは、私には何をおっしゃいたいのかさっぱりわかりません。--Kanbun 2006年12月27日 (水) 11:09 (UTC)[返信]

>19世紀後半から20世紀半ばには、コプト語で書かれたグノーシス文献が相次いで公刊され、研究資料はだいぶ整えられた。

このような記述があるが、具体的にどういうコプト語写本が、19世紀末から20世紀半ばに公刊されたのでしょうか? 20世紀半ばの意味として、次の文章では、1950年に「ナグ・ハマディ写本の研究報告が発表されると」とあるので、このことを指しているのだと思いますが、この時点では、コデックスはまだばらばらなはずで、ようやく研究が端緒についた時点です。
グノーシス主義関係のコプト語写本は、三種類しかないはずです(もう一種類あったかも知れないが)、『アスキュー写本』『ベルリン写本』『ナグ・ハマディ写本』です(「オクシュリュンコス・パピルス」は写本とは呼びません)。アスキューは発見が18世紀半ばで古くから知られていたものです。公刊はあるいは、19世紀末か20世紀初かも知れません。しかし、ベルリン写本は19世紀末に見つかっていたが、公刊されたのは、20世紀半ば以降(1955年)です。『ナグ・ハマディ写本』は、記事に、「ようやく1977年にアメリカ合衆国でファクシミリ版が出版されたことで」とあるように、20世紀半ばではありません。発見されたのが、20世紀半ばなのです。1977年ではなく、もう少し早い時期にオランダのブリルがファクシミリ版を出したのだと記憶していましたが、ここは確認しようと思ってまだ確認していません。
何を資料に書いているのか知りませんが、基本的な事実関係で、疑わしい記述なのです。また、「新プラトン主義とその代表的文献『ヘルメス文書』がヨーロッパで流行したが」とか書いていますが、『ヘルメス文書』はヘルメス哲学・ヘルメス思想の文書で、新プラトン主義の代表的文献などではありません(新プラトン主義の代表文献は、プロティーノスの『エンネアデス』かプロクロスだったかの『プロティーノス伝』あたりでしょう。他に「要覧書」があったと思いますが。それはとまれ)。
全体を読んでみて、知らない人にはいかにも、もっともらしい記述に見えるが、基本的なところで、おかしなことがあり過ぎ、記事のバランスの上でも、いささかおかしいのであり、修正しようとしても、手元に資料が出てこない状態なので、直しようがないので、とりあえずすべてリヴァートしておいたのです。半分程度は妥当なので、余計に紛らわしいので、全文をリヴァートで、ノートで、何を典拠にしたのか、一体どこまで分かっていて書いているのか、要約欄に簡単に求めたはずです。まあ、それを、みずから「知りませんが」と述べながら、NPOVが云々と関係ないことを持ち出す人物も登場する訳ですが。いずれにしても、ノートで、説明した上で、妥当な記述をという意味で、リヴァートしています。無言でリヴァートしたのでもなく、このノートに簡単ですが、何故リヴァートしたかの理由も記してあります。従って、再度リヴァート(それも、知らないと自称しつつ行った)ことは問題であると述べます。(他にも、一々述べませんが、おかしい記述があるので、リヴァートせざるをえなかったのです。再リヴァートされているようなので、リヴァートした状態に戻してください。まず、ここに記事草稿を書いて、出典を示してください)。
--Maris stella 2006年12月27日 (水) 14:42 (UTC)[返信]
追記) 写本は、もう一冊ありました。1770年頃にブルースがエジプトで入手した『ブルース写本』で、これは何時公刊されたのか知りませんが、これも古くから知られていました。先の『アスキュー写本』には『ピスティス・ソピアー(ソフィア)』という文書が入っており、事実上、これが写本の内容なので、アスキューは『ピスティス・ソピアー』とも呼ばれていますが、ピスティス・シピアーには、ブルース写本に含まれる文書に付いての言及があり、明らかに関係があるのです。しかし、写本・文書はこれだけのはずです。20世紀半ば以降、公刊されたのは、『ナグ・ハマディ写本』を中心として、コプト語文書の多数の単行本です。これは学術書であり、かつ解読や校訂が入っているので、全部で、40冊か50冊(あるいは30冊か)ぐらいあったはずで、一冊が、1万円か2万円し、無闇に高価です。しかし、これは印刷本で、これらのシリーズの前に、ファクシミリ版が出ていたのです。これはコプト語が読める特殊な純粋な研究者用の本です。荒井献氏は1930年生まれなので、1960年代にコプト語のファクシミリ版で、『真理の福音』を研究したのだと思います(もう少し年譜がはっきりしていると、もっと分かりやすいのですが)。1971年に荒井氏が出版した『原始キリスト教とグノーシス主義』には、最新情報として、『ナグ・ハマディ写本』を構成するコデックスの紹介と、各コデックスに含まれる文書の紹介一覧があります。1984年の『新約聖書とグノーシス主義』にも同じような一覧がありますが、比較すると、かなり内容が違っています。『原始キリスト教とグノーシス主義』は論文集なので、論文は1960年代末頃に書かれたとすると、この時点では、コプト語が自由に読めるグノーシス主義の研究者であった荒井氏にも、『ナグ・ハマディ写本』の内容の正確なところは分かっていなかったのだということになります(個々の研究者が、文書を分担して研究していたのでしょう)。そもそも、印刷本の分冊文書が、この時点で出ていれば、もっと正確なことが書けたでしょう。新しいグノーシス主義の研究成果が明らかになって来たのは、1970年代に入ってからです。メッシーナでの会議が1966年で、荒井氏はこれに出席しており、ここでの議論を更に延長して、荒井氏としてのグノーシス主義の「本質規定」の研究が、前記の1971年の著作に入っています。「グノーシス主義」とは何なのか、西欧では、中世・近世・近代そして現代でも初期には、よく分からなかったのです。『ヘルメス文書』のなかの『ポイマンドレ-ス』が、グノーシス主義の神話そのものだと確認できたのは、1960年以降のことです。現代から振り返って、フィチーノの翻訳などは、西欧へのグノーシス主義の紹介だったと分かるのですが、その時点では分かっていなかったのです。
なお、記事を書くとき、その記事の根拠は書いたものが提示するのであり、「ご教授願います」ではなく、わたしこそ、Kanbun 氏から、どういうところから、ああいう記述を書いたのかご教授願いたいです。話が逆とは思われませんか。わたしは、Kanbun 氏は、グノーシス主義がよく分かっていないように思えると述べたのであり、「分かっている」のなら、わたしに対し、教授すればよいことで、わたしが教授する立場にはないでしょう。記事を書いてのは、Kanbun 氏です。わたしは、おかしなところが多いので、訂正もできないのでリヴァートしたのです。
--Maris stella 2006年12月27日 (水) 15:41 (UTC)[返信]
出典についてはクルト・ルドルフ 『グノーシス』岩波書店を利用しました。コプト語関連の文書の公刊が19世紀後半から20世紀前半とあるのは同書に拠ります。また『ナグ・ハマディ写本』についての研究報告も1950年に(たしかイギリスで)まず出された旨同書に記載してあります。とはいえ、私も今手許にないので、確認に時間を要しますが。中世における新プラトン主義の流行と『ヘルメス文書』の流行が軸を一にしており、この箇所も同書に依拠して記述した覚えがありますが、それについて改めて確認しようと思います。ヘルメス思想と新プラトン主義がその成立においても密接な関係にあることは研究上も広汎に認められた見解であると思っていたのですが。実際ヘルメス文書内にグノーシス主義の文献と認められるものがあるということは、グノーシス主義が新プラトン主義に著しい接近を示す以上、両者が近接したものであったことを示していると思われますし。
で端的に言わせていただきますと、結局キリスト教の中でのグノーシス主義の研究史を位置づけることには反対しておられないようですし、あまり明確な問題意識があってrevertなさったようにも感じられません。で結局何を持って「グノーシス主義が何か分かっておられないように思え」たのか。Maris stellaさんのいう「偏っていないグノーシス研究史」とはどんなものなのですか。私は「キリスト教の研究史の視点を無批判に記載されている」のが問題だという指摘をいただいたことについてもお聞きしたいのですが。--Kanbun 2006年12月27日 (水) 15:15 (UTC)[返信]
追記)クルト・ルドルフは『ブルース写本』『アスキュー写本』『ベルリン写本』の公刊が19世紀後半から20世紀前半にかけてであると記載していたと思います(これについては後日確認)。根拠については参照文献ですでにあげてあったので、示しませんでしたが、示すべきと言うのなら確認して示しましょう。私はMaris stellaさんが「グノーシス主義が何か分かっておられないように思える」とか「キリスト教の研究史の視点を無批判に記載されている」とかおっしゃってるので、ではMaris stellaさんの認識しているグノーシス主義の本質やその真正な研究史について教えてくださいと言っているだけです。「「分かっている」のなら、わたしに対し、教授すればよいこと」などという記事の内容と本質的に関係ない言いがかりはやめてください。なんで私が教授しなきゃいけなくなるのかさっぱりわかりません。「グノーシス主義が何か分かっておられないように思える」とか「キリスト教の研究史の視点を無批判に記載されている」とかおっしゃっているからには、Maris stellaさんが私よりもグノーシス主義の心髄に近い側に立っていらっしゃるようなので、Maris stellaさんからの見解を聞こうと考えるのは自然ではないでしょうか。議論の所々にくだらない言いがかりをつけるのはやめていただけませんか。--Kanbun 2006年12月27日 (水) 16:09 (UTC)[返信]
補足)1点だけ「現代から振り返って、フィチーノの翻訳などは、西欧へのグノーシス主義の紹介だったと分かるのですが、その時点では分かっていなかったのです。」とおっしゃってることから、Maris stellaさんがもしかすると『ヘルメス文書』の箇所について次のように指摘したいのではと思われました。つまり現在の記述では『ヘルメス文書』がルネサンス時代の当時からグノーシス主義として捉えられていたというふうに読めると。たしかにそう読めるかもとは思いますので、その点については修正します。--Kanbun 2006年12月27日 (水) 16:22 (UTC)[返信]
(編集競合しました)誠に申し訳ありませんが、上記のMaris stellaさんのコメントを読みましても、資料ではなく、Maris stellaさんの記憶によって、「おかしい、おかしい」とおっしゃられているばかりですので、何がおかしいのか私には分かりません。「半分くらいは妥当」というのはMaris stellaさんもお認めになっている以上、妥当なつまり意味のある記述を減らすようなリバートを行うことは、方針文書に合致しない行為であると私は考えています。このため私の方から再々度のリバートを行うことはあり得ません。おかしいと言われるのであれば、そう言われる方から、出典に基づいた「代案」を提出いただくのが建設的ではないでしょうか?もっとも、出典(これはWikipedia:信頼できる情報源(草案)のいう二次情報源という意味でしょうか?)につきましては、Kanbunさんも含めた編集に関わる全ての方から呈示いただく必要があると思いますので、その上で、議論を進められるとよろしいように思います。「過度に攻撃的ではない」対話の上で、記事の充実を図られますことを期待いたします。--Anonymous000 2006年12月27日 (水) 15:23 (UTC)[返信]
とりあえず情報があやふやであるという指摘は真摯に受け止め、近日中にもう一度出典情報など詳しく記載した上で、適切な編集をおこないたいと思います。しかし私には、Maris stellaさんが出典が怪しいと思われたのなら、そうおっしゃってくださればいいのに、「グノーシス主義が何か分かっておられないように思える」とか「キリスト教の研究史の視点を無批判に記載されている」とか、ややこじつけじみた言葉をつけるのはいかがなものかと思います。「半分くらいは妥当」であるといえるのなら、不足している分について指摘してくださる方がよっぽどよいと思いますし、なんだか気が滅入ります。私にはクルト・ルドルフの本とこの記事があったときに、クルト・ルドルフのほうに信用のおけそうな情報があったので、追加したつもりだったのですが。「半分程度は妥当なので、余計に紛らわしい」から全部revertという姿勢にはちょっとあきれます。--Kanbun 2006年12月27日 (水) 15:38 (UTC)[返信]

ともかく一つだけ言いたいのは「理由は、○○が何か分かっておられないように思えるから」revertというのだけは勘弁してください。意味不明です。後の述べられた点を問題と考えられているのでしたら、その点を明確に最初に述べていただけないと、何のためにrevertしたのかわかりませんので。記事の発展性のためにもこれからもMaris stellaさんは、具体的にどこが問題なのか指摘してくださればと思います。「キリスト教の研究史の視点を無批判に記載されている」というのなら、それはどこに認められるのか、「グノーシス主義の研究史としても、偏ったものにしかなっていない。」というのなら、どういう風に偏っているのか。一つ一つ具体的に明かさないでMaris stellaさんの感覚的な意見で「そう思えるから」revertすることだけはどうぞお控えくださりますよう。--Kanbun 2006年12月27日 (水) 16:42 (UTC)[返信]

もういい加減にしてほしいです。説明を記していると、次々と追加で色々と書くのはやめてください。また、「議論の所々にくだらない言いがかりをつけるのはやめていただけませんか」こういう喧嘩腰の攻撃的な文章はやめてください。追加で、説明を色々行っていますし、とりあえず一回、リヴァートしたことや、批判を少し書いただけで、どうしてこう速射砲のように色々と書かれるのでしょうか。対話にも何にもならないではありませんか。また、記事を書いた者が、その記事について責任を持つという原則を述べると、何故、そう言葉が尖って来られるのか、みっち氏の会話ページでも、自己の正当性を相手の迷惑も無視して繰り返し書かれていたことを思い出しますが、もう少し冷静になって戴きたく思います。わたしは、それなりに、どこがおかしく感じたかを、根拠を挙げて述べているはずです。無論、何でも知っているわけではありません。
以下、競合によって投稿できなかったメッセージです。--Maris stella 2006年12月27日 (水) 17:42 (UTC)[返信]
知識を持たない者が、いい加減なことを書いている場合は、全面的に書き直しています。履歴をよく確認されることです。しかし、何かそれなりの専門書の類を参照しないと書けない内容を書いていて、しかも、「ヘルメス文書」が「新プラトン主義の代表的著作」とか、明らかにおかしな記述があって、もしそれなりにグノーシス主義に時間をかけて親しんでいた場合は、書けないようことが書かれており、全面的に訂正の必要があると思うがしかし、どうすればよいか分からない場合、とりあえず、リヴァートすることがどこが不自然かと思いますが。コメントアウトの方がよかったかも知れないが、しかし、Kanbun 氏は、その前のわたしの記述を全部消していると云うことを忘れているのです。逆に問いたいのですが、わたしの記述のどこに間違いやおかしさがあって、すべて消したのでしょうか? これは、「グノーシス主義をキリスト教最大の異端だ」と書かれていた先の文章を訂正して書いたものです。とまれ、上に、色々な背景情報を記していますし、コプト語のグノーシス主義文書はどういうのがあったのかも記しています。また、「攻撃的」なのは、Anonymous000 氏でしょう。要約欄にも、わたしとしての理由を書いているし、このノートにも記しています(それなりに、わたしの知ることを記しています。「分かっていない」とだけ述べているのではないと思いますし、またわたしはグノーシス主義の専門家だなどと一度も述べていません。ただわたしの知る範囲で、Kanbun の記述はおかしいと思ったということで、何がおかしいのかも具体的にあまり多くありませんが、述べています)。ノートでの話し合いを呼びかけているのであり、わたし自身、上で色々と説明を行っています。わたしのスタンスのどこが攻撃的なのでしょうか。Kanbun 氏は何かを参考にしたようだが、自分自身でよく分かっていないようだ……このような思いです。また、わたしは、再リヴァートはしていません。Anonymus000 氏こそ、攻撃的というしかないでしょう。--Maris stella 2006年12月27日 (水) 17:42 (UTC)[返信]

>「半分程度は妥当なので、余計に紛らわしい」から全部revertという姿勢にはちょっとあきれます。

紛らわしいことを書いた自己の責任は棚上げにして、リヴァートされたことを、このように攻撃口調で述べるのですね。不適切だと判断した記述をリヴァートすることは、ウィキペディアでは何も不自然なことではありません。また、再三述べているように、「無言リヴァート」ならともかく、ノートへと話を導いていますし、わたしなりにできるだけの説明も行っています(もう一つ、そんなに簡単に、グノーシス主義の本質だの、説明できると考えておられるのですか? わたしは、ハンス・ヨナスの記事も翻訳ですが作成しています。難しい記事なので、時間をかけて色々な記事を準備しています。アイオーンとかデミウルゴスとか、ティマイオスのグノーシス主義の項目とか、色々と記事に関与しているはずです。ある人が、何かについて「分かっていない」というのは、当然知っておくべきはずのことを知らない場合、そう言えます。しかし、だからと云って、Kanbun 氏は「分かっていない」と述べたからと云って、どこが分かっていないかを指摘ができても、わたしがすべてを知っている訳ではないでしょう。そういう理屈を言われると、「貴方の書いているこのことは間違いである」という指摘をすると、何でも知っていないとならないことにもなるでしょう。「キリスト教の研究史の視点を無批判に記載されている」とは、すでに述べていますが、現代の視点から『ヘルメス文書』がどうこういというのは、おかしいという話です。またグノーシス主義の研究史は19世紀末から20世紀にかけて存在するので、それ以前は「研究史」ではありません)。--Maris stella 2006年12月27日 (水) 17:42 (UTC)[返信]
とまれ、最後に繰り返しと思いますが記しますが、Kanbun さんは、何かの資料を元に文章を書いたことは分かるが、間違いやおかしな部分があり(何がおかしいかと、部分的に説明しました)、それ以外の部分でも何かおかしいことがあるのかないのか、判断ができないので、リヴァート乃至コメントアウトせざるを得なかったということです。このことを簡単に云うと、「Kanbun さんはグノーシス主義を分かっていない」という言葉になります。それとも、分かっておられるのでしょうか? 本の記述を自分なりに解釈して記述した(この場合、よく知らない人は間違いを犯し、何が間違いかも気づかないことが多々あります)のではなく、専門家として記述されたのでしょうか? (また、地中海世界のグノーシス主義の研究者は、荒井氏や大貫氏などを見ても分かるように、キリスト教信者やキリスト教の研究者を兼ねている場合が多いのです。それに対し、マニ教の研究者となると、イスラム教やゾロアスター教の研究者でもあるということがあり、研究の視点が違ってきます。マニ教は、東方グノーシス主義の代表宗教です)。--Maris stella 2006年12月27日 (水) 17:42 (UTC)[返信]

個人的には記事内容とあまり関係ないことをつらつら書き連ねていらっしゃるように思えますが。私に言わせていただければ、「半分程度は妥当なので、余計に紛らわしい」からすべてrevertだとか、「現代の視点から『ヘルメス文書』がどうこういというのは、おかしい」から「キリスト教の研究史の視点を無批判に記載されている」とか、「Kanbun 氏は『分かっていない』と述べたからと云って、どこが分かっていないかを指摘ができても、わたしがすべてを知っている訳ではない」から『分かっていない』私の記述をすべてrevertすべきとか、Maris stellaさんの考え方にはついてゆけません(だいぶ論理の飛躍があるのか、私にはこじつけばかりに見えます)。必要以上にオーバーな表現や、現在問題とされている記事の編集箇所と直接的に関わりない過去の編集履歴(「アイオーンとかデミウルゴスとか、ティマイオスのグノーシス主義の項目とか、色々と記事に関与しているはずです」だとか)を持ち出して、自己の権威付けをはかったり自己正当化するような言葉は私には大変鬱陶しいです(この点については「もういい加減にしてほしいです」)。議論を拡散するのはやめて、事実関係のみを問題とすべきでは?結局出典情報さえ明確にすれば、まずは記述が妥当であると認められると言うことでよいのですよね?

私が意図せず、これまでの部分でMaris stellaさんを何か傷つけたところがあるなら、謝罪いたします。--Kanbun 2006年12月28日 (木) 00:41 (UTC)[返信]

なにせ時期が時期ですので、年明けまで文献が手に入らないだろうと思いましたら、案外簡単に手に入りましたので、文献情報を追加しました。記述は文献で確認済みです。また荒井献『グノーシス主義』、大貫隆『グノーシス考』も合わせて手許に置きましたので、現在の記述がそれでも不満だというのなら、適宜指摘してくださりますよう。ともかくMaris stellaさんはやや主観的判断が勝ちすぎる気がしますし、言葉の選び方も主観的で大した根拠もないのに必要以上に大げさな表現を選んでいらっしゃるように私には思われます。言論誘導のためかとも思われるのですが、そういう言葉はあまり記事の発展性に資するところがないので、控えていただければと思います。一方でMaris stellaさん自身がグノーシス主義についてそれほど知識に自信がないといいつつ、相手の側の知識の欠如を根拠もなく一方的に決めつける態度は私には全く独善的なように思われます。一方的に自分自身の見識を信頼せよと主張し、相手の見識を全否定し、決着点を考慮しない編集方針をとるのだけはお控えくださりますよう。--Kanbun 2006年12月28日 (木) 03:26 (UTC)[返信]
こんにちは、Kanbun さん。今日になりまして、ウィキペディアに入りますと、オレンジの帯がありますので、驚きました。さっそく会話ページを見てみますと、Anonymous000 さんと、みっちさんよりのメッセージでした。昨日は、どうしたことか、突然にリヴァートしまして、実はその後のここでの長いコメントの後も、気になっておりました。みっちさんの助言を得まして、みずからの愚かさをいささか自覚しました。要約欄にもノート宛、メッセージを記し、ここのノートにも、わたしなりの理由などを記しましたが、やはり、いきなりのリヴァートはマナーにも反しますし、Kanbun さんもご気分を害されたのだとも思います。わたし自身も、自分の投稿がリヴァートされますと、やはり不愉快な気分になります。我が身で考えますと、昨夜はたいへん失礼なことであったと深くお詫びいたします。
Kanbun さんからは、以前に、コメント依頼で励ましの御言葉を戴きたいへん有り難く思いつつも、コメント依頼の内容が内容であった為、感謝の言葉もなくそのままにしてしまっています。今回のリヴァートの件の謝罪に合わせまして、あの時のことについても、お詫びし、あのときは本当に Kanbun さんの言葉が慰めになって嬉しかったことを、遅蒔きですが、述べさせて戴きます。
昨夜は、個人的な事情があって、何か感情が苛立っていたようにも思います(削除依頼のことや色々なこと以外にも私生活上のことで、困惑するようなことがありました)。よほどの悪戯か、無意味な記述以外は、これまでリヴァートのようなことはあまりしたことがなかったのですが、要約欄やノートに説明を書けばよいというような、形式的なことで自己満足していたように思います。また、お詫びしつつの言葉で申し訳ありませんが、Kanbun さんは、多数のコメントを複数回記されましたので、実は、昨夜、三つあったコメントのうちの二つを読んだ状態で、返信の言葉を書いてしまいました(二つ読んだあと、別のことをして、戻って来て、「編集」で書き始めたのです)。addition という二度目の書き込みのとき、それに気づき、最後の部分に慌てて補足で書き足したのです。また、その次のコメントは、書き上げたと思い、投稿しようとすると、編集競合となり、見ますと、新しいメッセージが入っており、それを読みまして、またコメントを書いて投稿しようとすると、また編集競合になるという状態で、何度も文章を書き直したり、追加を書いたりしているうちに、何か段々訳が分からなくなっていたというのもあります。言い訳に聞こえるかも知れませんが、随分長い時間がかかって投稿した後、「履歴」を見まして、わたし以外の書き込みが一杯あるので驚いたこともあります。
みっちさんにも述べましたが、わたしも、よい記事を造りたいという思いから、Category:グノーシス主義 関係で、微力ですが努力してまいりました。そこで、いささか、慢心の思いがあったのかも知れないとも思います。そのことで、Kanbun さんが不快な思いをされているようでしたら、深くお詫び申し上げます。
あまり仰々しい言葉ばかりで申し訳ありません。昨夜のことは、Kanbun さんが消して仕舞われた「異端」かどうかという文章は、いまでも「グノーシス主義」は「キリスト教の異端」であるとか、「神秘主義」であるとかいう考えが一般にありますので、この上のノートの節にも書いていますが、グノーシス主義は、「キリスト教の異端ではない」ということを、まず明確に述べておきたいと云う意味で書いていたもので、「研究史」を記していたのではありません。グノーシス主義の研究史については、私見ですが、記すことは望ましくないという考えです。歴史的な経緯から、「中立点」がないというのが一つの理由です。ハンス・ヨナスは実存主義哲学者でユダヤ系の人です。無論、神学も学んではいますが、ヨナスから研究史は始まると云うか、それ以前は、簡潔な表現にしないと、色々と面倒なことになるというのが意見です。
また、もう一つは、現在のグノーシス主義の記事を見ると分かりますが、西方グノーシス主義と東方グノーシス主義を並列させて対等に扱っています。この観点からしても、西欧のキリスト教神学と関係する研究史は、東方はどうするのかという観点で見ると、たいへん難しい問題になります。地中海世界という記事は、わたしが初版を作成したものですが、実は、ヘレニズム時代の東西のシュンクレティズムということが、主題の大きな要素になっています。地中海の東と西のあいだのダイナミズムを、政治、社会、文化、宗教、思想、経済、交流などの面から鳥瞰しようと試みた記事で、ローマが東西に分裂し、キリスト教会が東西に分裂する、そのことと、この東西のグノーシス主義が関係があるという展望です。
こう云ったことは、浅学なわたしの力には余ることですが、マニ教ゾロアスター教などが密接に関係してきます。グノーシス主義は、ヘレニズムの洪水のなかで東西を往復して流れ、西に広がったのが西方グノーシスで、東に展開したのが東方グノーシスです。従って、グノーシスとは何か、という議論は、紀元1世紀前後のシリア・パレスティナ・エジプトなどの文化や宗教状況と密接な関係を持っていて、近代から現代にかけての研究史は、グノーシスの本質規定については、ヨナスの理論がこれを包括するが、具体的な話になって来ると、よく分からないというのが実情だと思っています。『グノーシス 陰の精神史』はヨーロッパの文化に底流するグノーシス思想の流れを論じた本と思いますが(勘違いしました。大貫氏の『グノーシス考』でしたか。詳しく見ておりませんが、「何もない神の話」だとは聞いています。別に、『陰の精神史』という本もあります)、この記事「グノーシス主義」では、できれば、古代のグノーシス主義に主題を限定したいという思いもあります。言葉足らずですが、こういう風な考えを持っています。散漫な文章で申し訳ありません。--Maris stella
いえ、こちらのほうこそ誤解があったと思います。その点につきましては深く謝罪します。何か心労をかけてしまったようなら、大変申し訳ないことをしました。実を言いますと、私も「古代のグノーシス主義に主題を限定」すべきではという気持ちは同じです。というのも、クルト・ルドルフの著書の副題が「古代末期の一宗教の本質と歴史」というものでして、研究史以外にグノーシス主義の通史部分では、マニ教やマンダ教にも触れられており、古代末期の思想として総合的な通史を展開しています。この著作が従来のキリスト教の異端的発想でないことは、ボゴミル派やカタリ派については末尾で触れますが、あくまで変容史であるとしている点にも十分認められると思います。私がMaris stellaさんが誤解しておられるのではと思ったのは、もしかすると私がキリスト教史の中でグノーシス主義の通史を捉えるべきと思っていらっしゃるように考えられたからです。私のグノーシス主義に対する興味は、まず近代思想との関連で村上陽一郎『グノーシス、異端の近代』を読んでおこったものですが、クルト・ルドルフや『聖書解釈の歴史』などを読んで、本質的にそれが古代末期の宗教思想であるということをつねに考慮しなければいけないという認識を持っています。最後に私自身はいまもなおMaris stellaさんの見識に大変な信頼と尊敬を寄せています。それを踏まえて、記事についての議論の際は踏み込んで具体的な指摘をしていただければ、真意が理解しやすいのにと思った次第です。私の連続投稿など、編集の仕方が意図せず、ご気分を害したようでしたら、それについては不甲斐ないばかりで、大変面目次第もないと謝罪いたします。本当に申し訳ありません。--Kanbun 2006年12月28日 (木) 05:08 (UTC)[返信]
このノートページの殺伐とした雰囲気が改善されて良かったです。Maris stellaさんから私になされていた再々リバートの要請は撤回されたものと考え、議論の邪魔になる下記の「再リバートの際のお知らせ」は除去させていただきました。お二人とみっちさんに感謝いたします。横入りはこのくらいにしておきます。それでは失礼しました。--Anonymous000 2006年12月28日 (木) 13:18 (UTC)[返信]