ノート:ケルト人
岩浪文庫の「ガリア戦記」の注記には、独自の文字は持たないがギリシア文字を借用してドルイドが使っていたように書いてあるけど。やっぱり丸暗記は大変だったと見える。 --Ypacaraí 2005年2月6日 (日) 15:35 (UTC)
文字を持たない文化で生活していて、自分の話している言葉に文字を当てるのって実は非常に難しいんですよ。例えば日本語でも方言の発音を思い浮かべてみればわかると思うんですが、いわゆる五十音に当てはまりきらない音なんていくらでもあります。標準語でも「あいさつぐらいしなくちゃね。」の冒頭の「あ」と、「あんなにきをつけろっていったのに。」の冒頭の「あ」は微妙に違うのがご理解できると思います。つまり、生きた口語体系の中ではまずアプリオリにその言語体系に使う音、例えば五十音とかラテンアルファベット28文字などというものが規定されていて、それを組み合わせて単語とか文を作っているというより、個々の語とか状況に依存して使われる、膨大な音の体系があって、それを強引に実態の音の数よりもはるかに少ない文字に当てはめているわけです。つまり、さっきの例の2つの「あ」を同じ音とみなしてひとつの文字で扱ってしまおうという飛躍が必要なんです。それをやり遂げるにはある意味特殊な才能が必要なわけで、例えば今どこかにまぎれている資料が出たら記事を書いてみたいと思っているんですが、北米先住民のチェロキー族がチェロキー文字という文字体系をラテンアルファベットをヒントに作り出しているんですが、これなんかはセコイアという天才的な人物が周囲の「チェロキー語を文字で表記するのなんか不可能だ」という声をふりきって、独力で作り上げ、チェロキー族の間に急速に普及していったものなのです。ケルト人はそういう異なった音をひとつの文字に押し込めてしまうようなやり方が好きではなかったのかもしれないのでは、と私は考えているんですよね。まぁ、何が言いたいかというと、文字の使用を導入するか拒否するかという問題も、大変だったとか、能力に欠けていたとかいうよりも、もっと複雑な文化的背景がからんでいる可能性があるってことですね。--ウミユスリカ 2005年2月6日 (日) 16:48 (UTC)
ドルイドの文字使用について、「ガリア戦記」第六巻十四節に従って、書き換えました。 尚、「ガリアのドルイドがギリシャ文字を使った」以外にも、有名な所ではアイルランドのOgam、マイナーなところでは、エトルリア・アルファベットで書かれた紀元前6世紀ぐらいのレポント語、ケルトイベリア人の碑文なんかがあるから、ケルト人全部が文字を知らなかった、とか、文字を使うのを嫌ったと考える事はないと思います。歴史の本等で「文字を持たない民族」という書き方をされるのは、その本がまともである限りは、「文字を持たない弥生時代の日本人」と同じ意味で使われている、と理解しています。つまり、一部で字は使われていたはずだが、一般的ではなかったし、何より記録が残っていない、ということです。
発音について。これはさる百科事典でフランス語を調べていたときに知ったことなんですが、どうもガッリア語ではuがüと,-ct-が-it-と(ラテン語factumにたいしフランス語faitなど)発音されていたようですな。ホントかな。まあ、ほかのロマンス語には見られませんからね。ほかにもガッリア語がフランス語に及ぼした影響もあるはずなんですが。
途中で投稿するなど、何度か失敗してしまいました。すみませんでした。
・ハルシュタット文明の発生について
初期鉄器時代とする場合もありますが、後期青銅器時代とするのが主流だと思います。問題などありましたら、書換え、意見などよろしくお願いします。 (アカウント未作成 IP・133.60.49.230)
本文冒頭の「ケルト人(ケルトじん、the Celts)は中央アジアの草原から馬と車輪付きの乗り物(戦車、馬車)を持ってヨーロッパに渡来したインド・ヨーロッパ語族ケルト語派の民族である。」って、クルガン仮説の事を言っているのだろう、と思うので、それをいったら、印欧語族の記事の冒頭は皆この文章で始まる事になって無意味なので書き換えようと思っているのですが、念の為、どなたか「ケルト人」が中央アジアからきた、という説をご存知でしたら、それを書いている本の名前などを教えて頂けると、ありがたいです。--Tiuhti 2008年11月16日 (日) 01:03 (UTC)tiuhti
国家間の政治問題?
[編集]観点テンプレートを貼り付けました。この節の元ネタは『海のかなたのローマ帝国』ではないかと思うのですが、この論争を国家間の政治問題とするのは南川高志の私見ではないですかね?(もちろん他にもそう思っている学者はいるでしょうけど) 他の見解を示している学者として、例えば鶴岡真弓は『ケルトの神話・伝説』のあとがきで「現在の英国での論争は、〈ケルト〉というヨーロッパ文化を、きめ細かく見ていく方法を提言していることは間違いありません。」としています(若干否定的なニュアンスも感じますが)。悪く言えば岡目八目を気取っている南川の意見だけを出して中立的だとするのはちょっと違うんじゃないかなと思いました。あとこの節、そもそも著作権的にもけっこう不味い気もします。--雲霞(会話) 2015年11月9日 (月) 14:30 (UTC)
- 『海のかなたのローマ帝国』の該当部分を読んでみましたが、「政治的」といっても国家間という単純な図式にとどまらない議論をしている印象を受けました。なのでこの節が『海のかなたのローマ帝国』に正確に依拠しているとは思いません。いずれにせよ、「私見」という表現は疑問です。著訳書などから見ても明らかなように、南川は古代「ケルト」について専門的な学識を有しており、専門的知見から現況についての学術的主張を述べていると思います。--toroia(会話) 2015年11月10日 (火) 12:15 (UTC)