ノート:ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル
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かなり大掛かりな訂正
[編集]かなり、大掛かりな訂正を加えてしまいましたが……。--Geist 17:18 2004年5月15日 (UTC)
- よろしいのではないでしょうか、「大胆に編集しましょう」ともいいますし。--Aphaea 2004年8月3日 (火) 06:15 (UTC)
折角ですが主な著作の部分は、記述を整理しないといけませんね。 --ケンチン 2006年9月22日 (金) 11:22 (UTC)
- 整理しました。「訳者の姿勢は非学問的」とか「死骸をさらす結果に終わっている」とか「虚名を高めた」とか、百科事典的でない表現が散見されたのでごっそり削除しようかとも思ったのですが、ヘーゲルの各種翻訳をこれだけ詳しく比較検討できる人がいるというのは素晴らしいことなので消さずにコメントアウトしておきました。もし該当部分を執筆した方がこれをご覧になったら、どうか気を悪くなさらずに、「それぞれの訳者の優劣」といった評価を下すのではなく「それぞれにどのような特色があるか」といった観点から再度加筆していただければ、稀に見る立派な書誌になることと思いますのでよろしくお願いいたします。--Darkmagus 2006年9月25日 (月) 18:57 (UTC)
Garkmagusさんの「整理」は「気を悪く」してはいませんが、ひどいと思います。 紙の事典と違っていろいろな人が「個人的見解」を書いてこそ、読者がそれらを読んで自分の考えを深めることが出来るのだと思います。これでは無味乾燥な一覧表でしかなく、哲学するための事典ではなくなってしまいました。元に戻してくれませんか。2006年9月29日、
- えーと……。少しやりすぎかなとは思いましたし、当該部分を執筆された方の不興を買うであろうことも当然予想していましたが、その一方で自分の編集が間違っているとも考えなかったためにあのような形で手を加えましたので、ちょっと複雑です。ただ、202.248.88.142さんの「「個人的見解」を書いてこそ、読者がそれらを読んで自分の考えを深めることが出来るのだと思います」とのご意見には賛同しかねるものがあります。正確にいうと、それに賛同できるかできないかに関わらず、また「哲学するための事典」であるかないかに関わらず、Wikipediaの公式方針としてそのような考え方は排されているためです(Wikipedia:中立的な観点を参照してください)。したがって、申し訳ありませんが元には戻しかねます。取り繕うわけではありませんが、誤解のないように申し述べておきますと202.248.88.142さんの執筆部分を削除することが私の目的ではありません。上にも書いたとおり、これだけ詳しく書ける人がいることに私は感服しており、(繰り返しになりますが)優劣の評価を下すのではなく、それぞれの特色などを中立的な観点から再度加筆していただければ必ずや「無味乾燥な一覧表」以上のものになると信じていますので、少し表現を改めるなどして書いてほしいのです。私の編集をひどいと感じられたことについてはもっともだと思いますが、上述した私の真意ならびに決して悪意があったわけでも軽い気持ちで行なったわけでもないことをどうかご理解ください。--Darkmagus 2006年9月29日 (金) 16:34 (UTC)
国語辞書・マクシコン
[編集][1] これを外部リンクに加えたいのですがどうでしょうか。風俗王 2007年3月18日 (日) 10:31 (UTC)
[2]にある、『以上を見ると、マルクス主義系の人々の研究だけですが、この事が「ヘーゲルの現実的意味を理解するには弁証法的唯物論の立場に立たなければならない」ということを示しています。』という結論を見ても、このサイトの主張に偏りを感じます。「外部リンクの選択に際しても、ウィキペディアの3大方針である中立的な観点、検証可能性、独自の研究を盛り込まないの指針を適用すること。」(Wikipedia:外部リンクの選び方)から見まして、今回は外部リンク先から除外すべきと思います。--Kanbun 2007年5月29日 (火) 02:20 (UTC)
大幅加筆
[編集]ヘーゲルの生涯と思想を中心に大幅加筆しました。不備もかなり抱えていますので、専門的知識を擁している方に追加の編集と修正を頂きたいと考えています。(2017年4月22日)