ノート:サハリン州
江戸時代、樺太においてロシアと日本の間の領有権争いはおきたことはありません。 レザーノフ配下による樺太襲撃は、ロシア政府の指示ではなく、幕府の開国派が鎖国派を動揺させるためにレザーノフをそそのかしたことが分かっています。レザーノフは長崎通詞を通して幕府の承認の下に樺太を襲ったのでした。 また、プチャーチン交渉時の樺太占領はアメリカによるサハリン・アムールランド侵攻を警戒してのことであり、現地の日本当局の許可を得て行われたことでした。そしてその間日本人とは全くトラブルのないまま平和的に撤退しています。 本文の記述を改めたほうが良いと思います。
北海道本土から択捉島へのアクセスについて
数年前、近所の子供が択捉島に行ってきました。
>なお、このチャーター船の利用は、日ロ両政府の合意により、旧島民、その子孫、ならびに返還団体から推薦された者等に限定されている。
とありますが、実際は全然関係なくても行けます。何年か前、それで近所の子供が行ってきました。そこで以下のように記述を追加しました。
「これは日本側がロシア領であることを認めたくないため、ロシア側の正式な手続きをとらないことを提案し、ロシア側がそれを受け入れているからである。実際には日本政府に申し出れば、研修を受けた後、返還団体の推薦を得ることが出来る。つまり希望すれば誰でも「ビザなし交流」に参加できる。」
日本の北方領土が地図に含まれている!
[編集]誰か訂正を!--2404:2D00:5500:1C1:CC97:EE15:A842:7A80 2022年2月22日 (火) 04:05 (UTC)
- テンプレートなので無理です。訂正無理です。--2404:2D00:5500:1C1:CC97:EE15:A842:7A80 2022年2月22日 (火) 04:06 (UTC)
貝殻島の解説における米国の防衛義務の解説について
[編集]貝殻島の解説項目において「1957年に、当時ソ連KGBの一機関であったソ連国境警備隊が実力で占拠した。その時、日本は日米安全保障条約により米国によって防衛されることになっていた」との解説があり,現行の(新)日米安保条約のページへのリンク付けされています.しかしながら,当該条約は1960年締結の新安保条約であり,1957年当時の旧安保条約では防衛義務が無かった点が事実と相違しているかと思います.(Wikipediaの旧安保条約でも「駐留以外に援助可能性には触れているが、防衛義務は明言されていない」とあります)--Wamu9(会話) 2022年7月25日 (月) 08:08 (UTC)