ノート:シネフィル
確かにシネ・フィルには「おたく」的な要素はあり、両者は概念的には遠くない関係にあるとは思うのですが、おたくの種別(バリエーション)の一つとしてシネ・フィルを括ってしまうのには抵抗を感じます。恐らくはタランティーノあたりを想定して。シネ・フィル≒おたくとしたのだと思いますが、彼のシネ・フィル性は特異で大変偏ったものです(個人的には彼をシネ・フィルと呼ぶことにさえ抵抗を感じます)。むしろ、本来的な意味におけるシネ・フィルには、ヌーヴェル・ヴァーグの連中や、ジム・ジャームッシュ、マーティン・スコセッシあるいはストローブ=ユイエやエリセ、ウェンダース等が上げられるべきで、これらの人物とおたく像とは必ずしもマッチしません。シネ・フィルの参照項目としておたくを上げることに異論はないのですが、おたくにシネ・フィルを包括してしまうのには反対です。--parole 2004年10月7日 (木) 05:24 (UTC)
- 辞書的定義以上の記事を書けば問題ありません。Wikipedia:ウィキペディアは字引ではないを参照してください。焦らずじっくりいきましょう。映画関係の執筆者はまだまだ少ないのでよろしくお願いします。いぬ 2004年10月11日 (月) 15:31 (UTC)
- コメントありがとうございます。アドバイスいただいたリンクを読ませていただきました。つい最近書き込みをするようになったため、ウィキペディアに関してまだまだ十分に(ちっとも?)理解できていなかったようです。「シネ・フィル」に関してはこの考え方に基づいて新たに項を書き起こしたいと思います。--parole 2004年10月12日 (火) 04:24 (UTC)
本文中に「シネフィルcinephile」、「シネフィリーcinephilie」、「シネファージュcinephage」といった概念の混乱がある。 またシネフィルをcinefilもしくはcinephileとして紹介しているのもおかしな印象を受ける。"Le Robert"もしくは"Larrouse"のような仏仏辞書を引いてもそのような表記を認めているところはない。またフランス語の著書を読んでいても« cinefil»という表記を目にしたことがない。音声上はcinefilになるが、明らかにcinephileの表記が正しい。よってcinefilと紹介した真意が問われる。 またヌーヴェルヴァーグの面々をシネフィルとして取り上げるのは間違いではないが、そこに取り上げられている引用は、私の記憶するところゴダールのものであり、カイエデュシネマの批評家の精神的な支柱ととゴダールの発言を混同するのは明らかに間違いである。とりわけ古今東西の映画を見続けるということを自明としたという本文は、1950年代のシネフィルの発生から68年5月までの過程を全く知らないと見える。ゴダールの「映画史」はそこに過去の映画と当時のメディア的状況の間隙で映画を生成させ生きながらえさせるという試みはあるものの、本文中にあるように「彼らにとっては古今東西の映画を見続けることは自明であると同時に、アイデンティティでもあった。その象徴的作品は、映画史を語ることによって映画そのものを創り上げたゴダールの『映画史』であると言えよう」というように自明さを謳う事実などはない。むしろ反対にその曖昧さについて語っている。ゴダールの"Le secret est perdu, mais la memoire existe' 6 avril,2004, liberationの記事を読めばその真意がつかめる。 事実上シネフィルが五月革命以降消えたという事実と、その後のシネフィルの現状つまりシネファージュ化と区別がつかなくなりつつある昔からのシネフィルと現代の新しい世代のシネフィルについても混乱がなく触れられる必要がある。 仏語のページを見ることでより良い内容の編集が期待できるであろう。--Roisdecastor(会話) 2015年4月17日 (金) 14:51 (UTC)
移動の提案
[編集]シネ・フィルは誤りです。シネフィルへ移動することを提案いたします。--Kmrt 2007年4月22日 (日) 15:05 (UTC)
- もともと誤記であり、提案からすでに半年を経過し、異論もなきようなので、シネフィルへ移動しました。--Kmrt 2007年10月19日 (金) 07:18 (UTC)