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ノート:ジョン・バーナード

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時系列の表記について

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以下について誤りがありましたので、検証ならびに修正をお願いします。

  • 1986年にフェラーリに移籍したが、最初に手がけたマシンは1988年に投入予定だったフェラーリ639(F188)で、F187およびF187/88Cはハーベイ・ポズルスウェイトが手がけています。
  • ベネトンに1990年に移籍し、B191を手がけましたがシーズン前半に離脱した後、ロリー・バーンが復帰して彼がB192をデザインしました。

-- Rera1016 2007年6月26日 2:40(UTC)

GPX(山海堂)のバックナンバーを漁って調べてみました。フェラーリへの移籍は、ご指摘の通り1986年末のようです。F187の設計者ですが、基本設計はグスタフ・ブルナーが行い、これをまとめ上げ開発を行ったのがバーナード(率いるGTO)、シーズン中の空力改良などはポスルスウェイトが行ったようです。さらに、ポスルスウェイトがフェラーリを辞したタイミングと前後して、1988年7月のフランスGPからバーナードはレース現場に復帰していますので、それまではポスルスウェイトが現場(&イタリア)、バーナードがGTOという分業がなされていたと思われます。
続いてベネトン時代についてですが、B191を設計後、1991年6月にチームを離脱との記事があります。1992年序盤のB191Bまでは彼の作品と言えますが、第4戦スペインGPから投入されたB192は「バーンとロス・ブラウンの共同作品」と紹介されています。
以上のことから、移籍時期は修正が必要、1987年のフェラーリの戦績についてはバーナードの寄与もあるのでそのまま、B192の記述は修正(というか削除)するのがよいでしょう。これ全部英語版から翻訳したものなので、英語版の方も要修正ですね。--K.F. 2007年6月28日 (木) 16:57 (UTC)[返信]