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ノート:ジョン (イングランド王)

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“イングランド王・イギリス王として「ジョン」を名乗った王はいない”について、「俗説」で“半分しか当たっていない”とありますが、列記してある人物はいずれも王子や王室の人物であり、結果的に「イングランド王・イギリス王としてのジョン2世」が公式に存在しない以上、前述の部分は正確性に欠いていると判断致しました。--博物学博士 2006年8月13日 (日) 08:27 (UTC)[返信]

「ジョンの評判が悪かったため」という理由が、半分しか当たっていないと言っているのです。当然、「イングランド王・イギリス王としてのジョン2世」が存在しないのは事実です。 Zorac 2006年8月13日 (日) 10:19 (UTC)[返信]

2006年9月22日の加筆について

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Libertasさんの加筆について、以下のように思っているのですが、いかがでしょうか?

  1. 「欠地王と呼ばれているが、実際には、1185年に父ヘンリーより「アイルランド卿」の地位を与えられている。」→幼年時のあだ名だから、成人(当時の18歳は十分成人)後に与えられたものは直接関係しないし、冒頭にわざわざ書くことでもない。
  2. 「実際にジョンがこの三国(スコットランド、ウェールズ、アイルランド)を直接支配したことはない」→これらの国に無関心だったリチャード1世と比べると影響力を強めた訳で、この段階では直接支配について言及する必要は無い。
  3. アイルランド卿は父ヘンリー2世が与えたもので、本人が自称に成功したというものではない。

Zorac 2006年9月24日 (日) 14:08 (UTC)[返信]

「失地王」について

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「失地王」を誤訳とする編集がありますが、「失地王」という名称自体は高校生の世界史教科書や参考書にも掲載されています。この辺りは完全に誤訳なのでしょうか?Eagle2 2007年11月11日 (日) 22:56 (UTC)

「妻と子供」について

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2度目の妻イザベラ・オブ・アングレームについて、「イザベラはジョンと死別後、かつての婚約者ユーグ10世と再婚した。」と記載されていますが、イザベラ・オブ・アングレーム の項目には、「1220年のジョンの死没後、イザベラはかつての婚約者ユーグ9世の息子ユーグ10世と再婚した。」と記載されています。誤りではないでしょうか。--126.111.93.11 2017年10月2日 (月) 13:38 (UTC)[返信]