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ノート:スペイン内戦

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Hasiと申します。いくつかの箇所で大幅に文章を訂正したいと思っています。なので、あらかじめ確認をさせてください。

大航海時代に隆盛を誇ったスペインであったが、1898年米西戦争に敗北し広大な植民地を失い国力は衰退傾向にあった。こういった状況の下で国民の不安と不満は政治運動につながったが有力な指導者が現れず、しだいに武力闘争へと変化していき内戦につながったのである。」という表現がありますが、1898年よりはるか前からスペインは衰退していると考えるのが一般的ではないでしょうか。また、米西戦争以前からラテンアメリカの独立にともない広大な植民地が失われています。それと比べれば、米西戦争で失うキューバ・グアムなどは広大とは言えないでしょう。さらに、これではかつての世界帝国スペインが衰退したことがスペイン内戦を導いたように読めてしまいますが、これは通例の歴史理解とは異なっていると考えます。

第一次世界大戦後、スペインでは立憲君主制の行き詰まりから、軍事政権、ファシスト政権が相次いで立ち」とありますが、スペイン内戦前に成立したファシズム政権とはどういった政権でしょうか。プリモ・デ・リベーラの時代を想定されたのかもしれませんが、もしそうだとしても、プリモ政権下では例えば共産党の活動も認められており、独裁政権であってもファシズム政権とは定義しないのではないでしょうか。

戦争は停滞し第一次世界大戦そのままの塹壕戦と第二次世界大戦以降の民間が犠牲となる戦争が組み合わさった奇妙な状態が続く。」とありますが、第一次世界大戦も総力戦としての性格を持ち、多くの民間人が命を奪われています。確かに、ゲルニカに対して行われた空爆による市民殺戮、ファシズム対反ファシズムの対立構図などはその後勃発する第二次世界大戦に通じる性格を有していますが、上の文章からこれらの趣旨を読み取ることは困難だと思われます。--Hasi 2006年2月9日 (木) 05:24 (UTC)[返信]