ノート:スールー王国
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改名提案
[編集]このページは 2023年6月15日 (木) 17:53 に利用者:Vichycombo(会話 / 投稿記録 / 記録)さんにより、「スールー王国」から「スールー・スルタン国」に改名(ページの移動)がなされました。改名にあたって事前に議論をした形跡は一切ありません。しかしながら、次の3つの理由により、元に戻すことを提案します。第1の理由は、下に示すように「スールー王国」の使用例が「スールー・スルタン国」より多いからです。第2の理由は「サルタネイト (sultanate)」 はウィキペディア以外では「王国」と訳すのが普通だからです。第3の理由は、この地域がイスラームを受容する(すなわち「スルターン」というアラビア語を用いるようになる)よりはるか以前から何らかの政権・政体がこの地域に存在し、このページはそれも扱うこととしているため「王国」の方が好ましいと思われるからです。
- J-stage における「スールー王国」の使用例: 18件
- 「スールー王国軍」兵士侵入事件, 山本 博之, 『地域研究』, 2014年 14 巻 1 号 214-237, 発行日: 2014年, DOI https://doi.org/10.24638/jcasreview.14.1_214
- 三王昌代 著『海域アジアの異文化接触――18世紀スールー王国と中国・ヨーロッパ』すずさわ書店 2020年 382頁, 増田 えりか, 『東南アジア -歴史と文化-』, 2021年 2021 巻 50 号 125-129, DOI https://doi.org/10.5512/sea.2021.50_125
- 海のエスノヒストリー : スールー諸島における歴史とエスニシティ, 床呂 郁哉, 『民族學研究』, 1992年 57 巻 1 号 1-20, DOI https://doi.org/10.14890/minkennewseries.57.1_1
- 1950~60年代フィリピンのイスラーム知識人の国家観 ──アフマド・バシール著『フィリピン・イスラーム史』を中心に──, 川島 緑, 『東南アジア -歴史と文化-』, 2011年 2011 巻 40 号 5-26, DOI https://doi.org/10.5512/sea.2011.40_5
- フィリピン・ムスリム研究, 川島 緑,『東南アジア研究』, 1999年 37 巻 2 号 194-209, DOI https://doi.org/10.20495/tak.37.2_194
- 以上、歴史学分野の論文、書評から目についたもののみ。
- J-stage における「スールー・スルタン国」の使用例: 1件
- マレーシア・サバ州における森林管理の変遷と地域住民の生業変容, 内藤 大輔, 『東南アジア研究』, 2014年 52 巻 1 号 3-21, DOI https://doi.org/10.20495/tak.52.1_3
--ねをなふみそね(会話) 2023年9月29日 (金) 02:07 (UTC)
- 済 改名を完了しました。「スールー・スルタン国」のリダイレクトは残します。--ねをなふみそね(会話) 2023年10月11日 (水) 05:09 (UTC)