ノート:ズンビール

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改名提案[編集]

  • ズンビール」への改名を提案します。
  • EI では、“Zunbīl”が見出し語になっています(Bosworth, C.E., “Zunbīl”, in: Encyclopédie de l’Islam. Consulted online on 25 June 2018 <http://dx.doi.org/10.1163/9789004206106_eifo_SIM_8211> First published online: 2010 )。そのままカナ転写して、ズンビールにするのがいいのではないでしょうか。なお、ズーンビールではなくズンビールを推す理由も、EI の見出し語がそうなっているからです。また、EI, dewp では、“Zunbīl”が君主号だと概念定義しています。wikidata, enwp, frwp では、王朝名だと現時点では概念定義しているので、議論のあるところと思いますが、jawp では「ズンビール」を記事名にして、君主号であり、国の名前、ズン教徒の呼び名としても用いられたことを本文で記載すればよいかなと考えます。政権の性格もよく解明されていない時点で、イスラーム王朝を連想させるような「朝」を付加する必要はないのではないかとも思います。--ねをなふみそね会話) 2018年6月25日 (月) 10:46 (UTC)(誤記を訂正しました--ねをなふみそね会話2018年6月27日 (水) 04:43 (UTC)[返信]
    • コメント記事作成者です。ズーンビル→ズンビールの変更については異存ありません。執筆時に日本語史料が見当たらずネットでの検索結果をもとにしたのですが、不注意でしたね。一方で、「朝」がイスラーム王朝を想起させるというのは、必ずしもそうとは言えないのではないでしょうか。同時代の周辺地域にはササン朝ヴァルダナ朝などがありますし、中東からインドにかけてのイスラーム以前の王国、王朝についても一般に「朝」表記が見られます。また翻訳元のen:Zunbilで第一に「a royal dynasty」と定義されていることから、王国、王朝としての用法を中心に記述しようと考えてページ名を設定しました。(ただこれも白状しますと、ネットで「ズーンビル朝」または「ズンビール朝」表記が多いのを見てそのまま持ってきたようなものです)。私自身そのあたりの線引きはあまり詳しくありませんし、明確な根拠があって反対しているわけではないです。--McYata会話2018年6月26日 (火) 04:27 (UTC)[返信]
    • 返信 コメントありがとうございます。「王朝」の語感について、まあそうですね。王朝、dynasty には一つの家族や一族が君主位を世襲するのが基本かと思います。このザーブルの地方政権が本当にそういえるのか?ウィキペディアがそう言い切って大丈夫か?と思います。奴隷王朝やマムルーク朝の例もあるので、細かいことを気にする必要はないかもしれませんが。ところで、はなはだ不十分な調査ではありますが、グーグルの書籍検索では、『史学雑誌』105巻354ページ(1996年)桑山正進『カーピシー/ガンダーラ史研究』京都大学人文科学研究所, 1990 - 468 ページに、「ズンビール」の用例があるようです(いずれも「王国」や「朝」なし)。あと、dewp が出典にしている、Joseph Marquart, Johann Jakob Maria de Groot: Das Reich Zābul und der Gott Žūn vom 6.–9. Jahrhundert. In: Gotthold Weil (Hrsg.): Festschrift Eduard Sachau zum siebzigsten Geburtstage gewidmet von Freunden und Schülern. Reimer, Berlin 1915, S. 248–292. は、"Das Reich Zābul" と呼んでいます。ザーブル王国で、その担い手が Zumbils という位置づけですね。--ねをなふみそね会話2018年6月27日 (水) 04:43 (UTC)[返信]
    • 賛成 なるほど、合点がいきました。確かに王統や政権の変遷が全く分かっていない以上は「朝」は不適当ですね。提示していただいた専門資料から考えても、「ズンビール」のみの表記がより適当であるように感じました。改名に全面的に賛成いたします。--McYata会話2018年6月27日 (水) 06:41 (UTC)[返信]

史書の記載[編集]

  • 三蔵法師の『大唐西域記』巻第一「迦畢試國」(カーピスィー)の条には、漕矩吒国、䅳那天神という固有名詞が書かれており、䅳那天神というのがズン教徒の尊崇する神、漕矩吒国がズン教徒の住む国の名称なのだそうです(Joseph Marquart, Johann Jakob Maria de Groot: Das Reich Zābul und der Gott Žūn vom 6.–9. Jahrhundert. In: Gotthold Weil (Hrsg.): Festschrift Eduard Sachau zum siebzigsten Geburtstage gewidmet von Freunden und Schülern. Reimer, Berlin 1915, S. 248–292. の249ページ)。『大唐西域記』巻第十二には「漕矩咤國」についてもうすこし詳しい報告があります。『隋書』西域列伝、『唐書』西域列伝にも漕矩吒国は「漕国」の名で言及があり、白鳥庫吉は漢代に「罽宾國」と呼ばれていた国が分裂して北の迦畢試と、南の漕国に分かれたという説を立てているようです。
  • 漢籍を利用した研究を参考にして、もう少し加筆や要出典箇所を補強できそうな気がしました。--ねをなふみそね会話2018年7月2日 (月) 11:47 (UTC)[返信]