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ノート:セルゲイ・ラフマニノフ

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次の文面ですが、

大部分の作品は従来のロマン派的音楽スタイル(主にチャイコフスキー以後の傾向)をとっており、近代音楽・現代音楽の影響はまったく受けていないというのが通説である。当時の記者のインタビューにも、厳格に影響を否定している。しかし、20世紀に入って乱用された平行和音は彼の作品にしばしば現れ、小音符群の驚異的なスピードや手全体を使った幅広い和音の応酬は19世紀の価値観を完全に逸脱している。19世紀後半と20世紀前半の美意識から両方とも微妙に逸れる感覚が、結果的には世界中のピアノファンを狂喜させ、楽譜の海賊版が世間に溢れた。亡命したロシア人音楽家の中で、自己の特性を最大限に発揮する道を選べたのは彼だけになった。ストラヴィンスキーは作風を変えつづけ、プロコフィエフは出戻り、ルリエーが世捨て人同然になったことを考えると、成功に恵まれた奇跡的な人生であったとも言える。

改訂が必要ではないでしょうか。

  1. 20世紀に入って乱用された平行和音は彼の作品にしばしば現れ」=平行和音はムソルグスキーにもよく見られた音楽語法で、とりたてて「近代音楽からの影響」に関連付ける謂れはない。むしろ民族的な音楽語法と見るべき。
  2. 小音符群の驚異的なスピードや手全体を使った幅広い和音の応酬」=まず、「和音の応酬」という表現が意味不明(専門家でなければ分からないというのでは、論外)。もし単なる超絶技巧のパッセージワークを説明しているのであれば、ラフマニノフのそれは、(スクリャービンと同じく)リストやショパンの発展に過ぎないと言うことも出来る。そのような揚げ足を取られないように、具体的な書き換えが必要。
  3. 19世紀後半と20世紀前半の美意識から両方とも微妙に逸れる感覚」=「両方の要素を併せ持っている感覚」のならともかく、「両方からも微妙にそれる感覚」という表現は、それ自体(筆者の言いたい真意から)「微妙に逸れる感覚」になっている。つまり、文学的なアヤの多い表現で、とどのつまりは説明になっていない。
  4. 結果的には世界中のピアノファンを狂喜させ」=ラフマニノフの作品が「世界中のピアノファンを狂喜させ」るようになったのはいつ頃のことなのか説明されていない(一時期ラフマニノフ作品の評価がすこぶる低かったという事情が無視されている)。
  5. 楽譜の海賊版が世間に溢れた。」=要出典。それに「海賊版」とは何か。(Dover や CPP/Belwin Inc. 全音ピアノピースなどの)リプリント版のことを指しているなら問題がある。
  6. 亡命したロシア人音楽家の中で、自己の特性を最大限に発揮する道を選べたのは彼だけになった。」は本当か。ラフマニノフは亡命後の自分自身を「日曜作曲家」と自嘲するようになったのではなかったか。また、最晩年のラフマニノフが、スターリンからの打診を受けて、ソ連に戻る意向さえ検討していたという説は無視してよいのか。

--間久部緑郎 2006年11月18日 (土) 13:56 (UTC)[返信]

以上の文面は、いくつかの「手癖」(独断調、的確でない言葉選び、読者を煙に巻く曖昧表現、独善的・自己陶酔的な修辞法)から、野田憲太郎氏による加筆ではないかと推察される。提案からしばらく時間の経過を見守ったが、野田氏自身が改訂しておらず、第三者も改訂できていないため、思い切って削除した。一つのパラグラフが{{要出典}}だらけで見にくくなるより、よほどましだと判断した次第。 --間久部緑郎 2006年12月6日 (水) 13:14 (UTC)[返信]

追加

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ラフマニノフの成功は、作品中に古典的な作曲態度が多く、聴衆に受けがよかったからといわれています。野田さんの表現には確かに誇張が多い。音楽専門らしく大作曲家の豪快さをそのまま伝えているようですので、別表現で追加しました。(出典はドレミの廉価版(変奏曲集・小品集)です。)--58.138.161.112007年5月30日 (水)

冒頭の定義文について

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「指揮者をつとめたこともある」となっていますが、単に「ロシアの作曲家、ピアニスト、指揮者である」でいいように思います。いかがでしょうか。--sergei semenovich 2007年11月7日 (水) 14:49 (UTC)[返信]

賛成です。「指揮者をつとめたこともある」では、「主としては作曲家(もしくはピアニスト)であるが、ごく稀に指揮者を務めたことがある」という意味に取れるため、作曲家・ピアニストとしてだけではなく、指揮者としても成功を収めたという事実を考慮した場合、「ロシアの作曲家、ピアニスト、指揮者である」の方がより適切ですね。(ちなみに英語版記事ではそのように書かれています。)--Rachmaninov 2007年11月12日 (月) 17:08 (UTC)[返信]
ご賛同ありがとうございます。音楽史における位置付けではピアニストとしての方がはるかに重要でしょうが、やはり「指揮者をつとめたこともある」では生前の演奏活動の実態を適切に表現できているとは言えないですね。冒頭の定義文ということもあり慎重を期して一週間待ってみましたが、反対意見は出ませんでしたので修正しておきました。--sergei semenovich 2007年11月14日 (水) 09:22 (UTC)[返信]