ノート:ソマリランドの戦い
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全文はチェックしていませんが、翻訳元の英語版と異なる記述や英語版にない記述が散見されます。しかし、脚注は英語版のままのように思えます。よって、英語版と異なる部分について出典の追加、変更が必要だと考えます。--三日月 2011年5月16日 (月) 17:33 (UTC)
全文をはチェックしていないと言われると、こちらとしては何とも返答も対応もし辛いのですが…(苦笑)
脚注が用いられた「出典付き記述」(基本的には文の始まりから、出典が用意された句点部分までを「出典付き記述」と見なすようにしております)に関しては、基本的に内容に沿って訳しているつもりです。
意訳や要約などで削ったりはしていますが、付け足しは直接的なものは避けています。補足として増補や付記を行っていますが、「出典付き記述」とは恐らく別の文として分けてあると思います。
(ただ今回は履歴継承に「補足」「追記あり」等の記述を用意していないので、それ自体が不適切であったかも知れません)
とりあえず問題があるという箇所を具体的に(要出典範囲などで)ご指摘願えれば、それに応じて改めて確認・修正いたします。
ページ全体用のタグだけを貼られても、問題箇所が分かりませんので。--Sarandora 2011年5月20日 (金) 15:03 (UTC)
では何点か例示します。
- (日本語版)ソマリランド放棄が決定されるとイギリス紅海艦隊は直ちにバルベラで輸送準備を始め、ソマリランドのイギリス入植者に避難勧告を発令した。16日から撤退作業が開始され、次々と民間人や役人が輸送船に積み込まれて他の植民地へ脱出した
- (英語版)While the British made their retreat to Berbera, the Royal Navy had constructed an all-tide jetty and had commenced evacuating civilian and administrative officials. On 16 August, the British started to embark troops onto the waiting ships.
- この文ほぼ全文にわたって英語版と記述が異なっています。英語版には「避難勧告発令」と言う記述は無く、また英語版では16日に開始されたのは兵員の船への乗り込みとなっています。
- (日本語版)アルガン砂漠を越えてバルベラ近郊に迫っていたシモーネ司令官は用心深く、英軍の総後退から伏兵攻撃を危惧して慎重な偵察任務を行わせていた
- 英語版には偵察を行わせたと言うような記述は無いように思います。
- (日本語版)民間人の脱出任務については殆ど英軍は監督しなかったが、住民虐殺や略奪などの被害は発生していない。
- (英語版)The British defenders had little interference in this operation.
- 日本語版の後半部分は英語版にはありません。
- (日本語版)19日、バルベラの完全占領をもってソマリランド植民地政府はイタリア王国に降伏を宣言、英領ソマリランドは伊領東アフリカに統合された
- (英語版)On 19 August, the Italians took control of Berbera and then moved down the coast to complete their conquest of British Somaliland. The British colony was annexed by Mussolini to the "Italian Empire" as a part of Italian East Africa.
- バルベラ占領を持ってソマリランド植民地政府が降伏したとの記述は英語版にはありません。
--三日月 2011年5月20日 (金) 15:26 (UTC)
具体的な指摘に感謝します。自らの拙訳で他者の時間を割いてしまい申し訳なく思っています。
- >While the British made their retreat to Berbera, the Royal Navy had constructed an all-tide jetty and had commenced evacuating civilian and administrative officials. On 16 August, the British started to embark troops onto the waiting ships
- 「イギリスがバルベラへ撤退する間、イギリス海軍は市民と役人を脱出させる手助けをした。8月16日には兵士の乗船が行われ始めた」というところでしょうか。
- De Simone's forces advancing from Tug Argan were very cautious and did not attack the Barkasan rearguard until late morning on 17 August
- バルベラ攻撃に対する用心深い行動(或いは攻撃準備)という内容に違いはないと思いますが、確かに「偵察」という文言は無く無用な付け足しであったと思います。
- >(英語版)The British defenders had little interference in this operation.
- It is possible that this was because on 15 August , the Duke of Aosta had ordered General Nasi to allow the British to evacuate without too much fighting
- 英軍が民衆脱出を監督しなかった理由に上記の文言があり、これを兵士に対する「住民対する危害などへの禁止があった」(住民虐殺や略奪などは避けられた)と要約しました。
- しかし命令は「その可能性があった」というに留められていますし、実際に実行されたかも不明なのであって、英軍の行動理由の説明として記述すべきでした。
- On 19 August, the Italians took control of Berbera and then moved down the coast to complete their conquest of British Somaliland. The British colony was annexed by Mussolini to the "Italian Empire" as a part of Italian East Africa.
- 「占領を完了するために」という文言があるため、バルベラ占領(8月19日)をもって降伏というのは確かに誤訳です。
(上記の署名を忘れていました)--Sarandora 2011年5月21日 (土) 16:04 (UTC)