ノート:ダライ・ラマ/過去ログ1
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暗殺について
12世などが暗殺されたとする編集[1]、出典を明記してください。出典があればむやみに除去したりしません。WP:V。--fromm 2008年6月5日 (木) 04:13 (UTC)
- 河口慧海に次のような記述があります。(『チベット旅行記』(三)講談社学術文庫265, 1978より)
- 五代の法王みな毒殺 これまでチベットで八代から十二代にいたる五代の法王というものは、年二十五歳まで生きて居られたお方は一人もないのです。今の法王は十三代目でありますが、八代から前十二代までは十八歳で毒のために殺されたとか、二十二で毒殺されたとかいうお方ばかりです。それは全くチベットでは公然の秘密で誰もが知らん者はない位になって居るです。(p.59)
- 以上は、河口がチベットに入った二十世紀初頭、8世から12世までの歴代ダライラマの夭折が毒殺によるものだと当時のチベットの人々が考えていたことを示す記述といえます。ただしこれを「毒殺された」と断言する証拠とするには弱いかとも思います。--Dalaibaatur 2009年10月8日 (木) 15:13 (UTC)
- コメント現代のチベット人の間でも、政権の中枢に位置してダライ・ラマが主体性を発揮することを望まないゲルク派保守勢力によって暗殺されていたという認識が一般的ですが、当然のことながら皆あまり表立って口にしたがりません。その勢力は現在のシュクデン問題と直結しており、現在進行形の問題だからです。客観的記述として、「暗殺された疑いが指摘されてきた」 という記述をするのがよいように思えます。--サンギェ・ドルジェ 2009年11月5日 (木) 13:41 (UTC)