ノート:テディ/Maris stellaさんの発言
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参考
[編集]日本語版にしかなかった記事
[編集]こんにちは。英語版の記事は、2007年7月31日、つまり日本時間だと、8月1日に作成されています。リンクがないのでおかしいと思っていたら、昨日できた記事なのです。また、曖昧回避の順番は、機械的に一番上に追加したので、英語版のトップにあるというのは、現在では意味がありません。また、英語版の曖昧回避ページは、もともと、ランジェリーの「テディ」のページであったのであり、英語だと、テディが多数あるため(つまり、名前として多数使用されているので)、曖昧さ回避になったと思えます。それほど有名な馬の記事が、つい昨日まで書かれていなかったというのは、疑問ではないでしょうか。この件に関しては、「知らない」と自称しつつ、勝手に「平等」とか述べて、他の「コリン」や「ドミノ」の例はどう考えるのか、答えないはつかねずみ氏や、先に名前を取った者の勝ちだなどということを述べる人がいます。とまれ、改名提案を出したとき、英語版には、馬の記事はなかったのです。馬の記事があったのは、全言語版のなかで、日本語版だけだったのです。--Maris stella 2007年8月2日 (木) 13:50 (UTC)
問題の基本
[編集]ここで、Hatukanezumi 氏などが述べていることは、率直に言えば、同じ名の項目があってバッティングした場合、どうするのがよいのかという基本的な考え方についての理解に欠けているというか、単に自分がそう思ったというだけで、自分の理屈を押し通そうとしているようにしか見えません。
最初の改名提案での「オプション」で、Hatukanezumi 氏が「これしかない」と主張しているものもオプションに入れている訳で、本当は、もう一つのオプションとして、現状の競走馬は「テディ」のまま、ランジェリーは「テディ (下着)」というのも実はオプションとしてあります。ただそれを述べていないのは、「改名提案」を行うということは、現状とは違う形を提案しているので、現状と同じオプションなら改名提案の必要はないのです。従って、この競走馬を「テディ」に残すというオプションは入っていないだけで、考慮していない訳ではありません。
同じ名の項目があってバッティングした場合、鳥得る方法は複数あって、従ってオプションと述べています。それに対し、Hatukanezumi 氏の述べていることは、「違う種類のものなので、周知性など関係なく、平等に曖昧回避にする」という主張のようですが、これは余りにも乱暴な話です。検索のステップとして、多くの人が検索する可能性のあるものが優先的に検索される方が望ましいというのは、立派な判断理由として存在します。例えば、英語版では、en:Voltaire (horse)は競走馬です。何故、Voltaire にしないのかというと、en:Voltaire は啓蒙思想家の名です。人名の Voltaire と競走馬の Voltaire と異なる種類のものであるから、「平等」に曖昧回避にするというのが、Hatukanezumi 氏の主張をそのまま適用すれば成立する論法です。では、そういうことをするのが妥当なのでしょうか?
ドミノとコリンは、わたしはこのままで良いと思っています。しかし、ここで注意することは、ドミノというのは、人名に使う名です。ドミニクの愛称でもあるはずです。またコリンは、コリン・パウエルやコリン・ウィルソンを見れば分かる通り、これも人名に使われている言葉です。これを、「曖昧さ回避の「ドミノ」」として、そこから「ドミノ (ゲーム)」と「ドミノ (競走馬)」という風に分岐させればよいというのが、Hatukanezumi 氏の主張していることです。そうしたければそうすればよいなどと述べていますが、これの改名提案をする理由がわたしには思い当たりません。わたしの認識や知識が偏っているからかも知れませんが、「ドミノ」というと、わたしはゲームのことを思い浮かべます。競走馬のことは、そういう馬がいたのか、いてもおかしくないという程度でしょう(人名でドミノとつく人が大勢いると同様、競走馬を多数いると、名前を付けるとき、人間の名に準じて愛称的に付けていると、バッティングが必然的に起こってきます)。
ドミノの場合は、ドミノはこの名で独立記事、その他のドミノ関係記事は、ドミノ (曖昧さ回避)で、更に分岐する形になっています。この形は、上のオプション3に当たります。日本語版では、ドミノが人の名だと分かりませんが、英語版で見れば、en:Domino (disambiguation)で、人名も出ていることが分かるでしょう。
次に、ここでは「テディ」の話をしているので、その他の項目は関係がないというのは違うと思います。名前のバッティングが起こったとき、どうするか、それは先例を参照するというのがやはり重要でしょう。ドミノやコリンは、もともとわたしが持ち出したのではありません。また、どのオプションを選ぶかにおいて、「検索される可能性が大きいものに優先度がある」というのは、自明というか、上のヴォルテールの例がそれを示していると思います。Hatukanezumi 氏の主張だと、バッティングした場合は、曖昧さ回避ページを造るということで、山手線方式とか anotheruse などは不要だという主張にもなります。
それは、この「テディ」の話に限ったことで、一般にそういうことは述べていないという主張だと言われるかも知れませんが、バッティングした場合、どうするかは、先例を元に判断するのがここでは当然のことではないのでしょうか。ルールやガイドラインの多くは、過去の事例の判断蓄積の上に成立しているものです。曖昧さ回避についての、どういう場合に、どれを主として、どれを anotheruse などにするかというのは、ガイドラインがありませんし、また作成困難でしょう。個別事例で判断することです。しかし、「検索されやすさ」という基準をまったく無視するというのは、ヴォルテールの例をみても、おかしな態度だとしか思えません。
わたしがここで再三述べていることは、競走馬は、やはり特定の趣味の領域であるということで、バッティングした場合、相手も、趣味の領域の事項である場合は、平等になるかも知れないが、衣服の場合は、特定の趣味の領域ではないと述べているのです。ウィリアム・モリスという記事があります。この記事を見ると、もう一人ウィリアム・モリスがいることが分かります。ウィリアム・リチャード・モリスとして区別すればよいということかも知れませんが、後者の記事を作成したのはわたしですが、一方は、詩人・芸術家・思想家で、他方は、自動車産業の実業家です。同じ人間ですが、分野で種類が違います。実業家のモリスも、自動車産業の歴史では重要な人物です。しかし、「検索の多さはどちらにあるか」「一般的に知られているのはどちらか」という判断で、実業家の方は、anotheruse というか山手線方式で分岐させています。
最初からわたしは、テディは衣類にすべきで、現在のテディは「テディ (競走馬)」にずべきだとは述べていません。オプションを提示して、わたしの考えでは、第一オプションが望ましいので意見を述べてくださいと記しています。
(追加すると、「ノヴァーリス」というロックか何かのグループがあるはずですが、現ノヴァーリスを「ノヴァーリス (詩人)」にして、平等にすべきだというのは考えるのが困難ではないのかと思います。ヴォルテールの場合と同じです)。
いずれにしても、「周知度」や「検索の可能性の大きさ」を考慮してどのオプションが望ましいかという話は、あって当然で、わたしは競走馬の「テディ」が周知度があるとは思えないのはほぼ自明なので、最初は何も述べませんでしたが、次に Google の検索結果を示し、競走馬のテディはその分野では知られた存在ではあるが、不特定多数の人が知っている対象ではないということを示したのです。
長文で申し訳ないが、考慮すべき論点を、まったく無視して同じことを繰り返すのは話になっていないと言わざるを得ません。「先に名を取ったものが勝ち」だなどと述べる方に至っては、この言葉だけで論外になります。
わたしとしては、テディを曖昧さ回避にして、「テディ (下着)」、「テディ (競走馬)」の分岐もオプションとしてありえると考えています。しかし、その場合、「衣類のテディも、あまり周知度がないように思え、ここでは、どちらが周知度が高いという点では、誰もが明白にそうと判断できるだけの差がないようなので、とりあえず平等に」というような主張があれば、話になっていると思いますが、そういう論点を無視しているというのは、おかしいというべきでしょう。「ドミノ」や「コリン」は関係ない、というのも曖昧さ回避の判断において、似たような「競走馬」が出てきている例であり、「ドミノ」や「コリン」の改名を提案せよとわたしに述べるのではなく、Hatukanezumi 氏が自分で改名提案を出せばよいでしょう。そうすれば、述べていることの一貫性が出てくるでしょう。
何故、先例や類似例を無視し、基本的な論点、何故オプションを提示しているのか、その理由も考慮しないのでは議論にならないと思います。競走馬の記事を作成した人にも配慮して、オプションを出しているので、そういう配慮なしなら、単に、現在の「テディ」は衣類のテディにし、競走馬は「テディ (競走馬)」にすることを提案します、だけでしょう(長文を失礼します)。--Maris stella 2007年8月3日 (金) 06:53 (UTC)
なお、今日の時点で、最終的に「投票」で決めるしかないとも考えるようになりました。昨日では、「平等の曖昧さ回避」でもよいだろうと思っていましたが、あまりに論点を無視されるので、合意形成の手順を考えます。--Maris stella 2007年8月3日 (金) 06:53 (UTC)