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ノート:トゥグリル・ベグ

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先ほど死因となった病気に関して投稿がありましたが、典拠はどちらからでしょうか?いや、鼻血がとまらなくなって云々というのは白血病などだった場合にはあって不思議はないんですが、今まで聞いたことがなかったもので確認の意味で質問させていただきました。--ウミユスリカ 2007年5月21日 (月) 02:34 (UTC)[返信]

自分もちょっと気になったので、今度 The Encyclopædia of Islām と関連資料を少しあたってみます。Haydar 2007年5月21日 (月) 18:27 (UTC)[返信]
あと、こういう中世イスラム圏の君主の場合、ヨーロッパ側から悪意で尋常な死に方でなかったことにされてるケースもあり得ますよね。先述のように、決して医学的にはあり得ないわけではない死に方ではありますが、そういう情報でゆがめられている可能性もありますので、慎重な対処が必要だと思います。当方十分資料を持ちませんし、闘病中で広範な資料にアクセスするのも困難ですよで、よろしくお願いいたします。--ウミユスリカ 2007年5月21日 (月) 23:49 (UTC)[返信]
セルジューク朝史の一次資料というといくつかありますが、セルジューク朝最後の君主トゥグリル3世(在位1176-94年)に仕えていたムハンマド・ラーヴァンディーが、1207年ルーム・セルジューク朝カイ・ホスロー1世に献呈したいわゆる大セルジューク朝の通史、『歴史における胸臆の安息と喜悦の表彰』(Rāḥat al-Ṣudūr va Āyat al-Surūr dar Tārīkh)に、トゥグリル・ベクが歿する件で鼻血云々について載っていました。
それによると、トゥグリルがアッバース朝カリフ・カーイムの娘と婚約するという話しがあって、トゥグリルが軍を率いてタブリーズからイラン高原のレイへやって来て、婚姻するまでレイ市を首都と定め、レイの市街地の郊外にあった「タジュリシュト」( طجرشت Ṭajrisht?)という村にいた時に「冷たい空気が降りて来たために、なんとも暑い空気が極まった(?)。鼻血( رُعاف ru'ūf)が顔を支配して、どんなに惜しみなく薬も(投与したが)、滋養が失われるほどで効かなかった。そして(ヒジュラ暦)455年ラマダーン月に(トゥグリルは)世界から逝った(亡くなった)。」(بقصران بيرونى بدر رَى بديه طجرشت از جهت خنكى هوا نزول فرموذ چه حرارت هوا بغات بوذ، رُعاف برو مستولى شذ و بهيچ دارو امساك نپذيرفت تا قوّت ساقط شذ و دنيا برفت در رمضان سنهء خمس و خمسين و اربع ماية)と書かれてありまして、どうやらそういう話しは実際にあったようです。ただ、The Encyclopædia of Islām(新版)のトゥグリルの項目では特に死因は言及されていないようで、もう一つ調べた13世紀にモースルのイブン・アル=カスィールが書いた『完史』(al-Kāmil fī al-Ta'rīkh)のヒジュラ暦455年の部分のトゥグリルの逝去に関する件にも、特に何か変わった死に様だったような話しはなさそうな感じでした。
鼻血云々という逸話は何かで聞いた覚えがありましたのでちょっと気になったのですが、まだ、『セルジューク・ナーメ』やその他の資料は調べてないので、こちらもちょっと見てみようと思います。鼻血云々の情報をさも確定情報として書くのは躊躇を覚えますが、しかし、現在の項目の状態を見ますと記事の内容はまだ中途半端でむらが有り過ぎるようなので、バグダードにやって来た後から没するまでの事蹟については、いずれにせよもう少し加筆せねばならないところだとは思います(汗 Haydar 2007年5月23日 (水) 23:14 (UTC)[返信]

なるほど。「奇病」という修辞は余計だと思いますが、セルジューク朝自体のいわば「正史」にあった情報なのですね。「奇病云々」の修正と、全体へのバランスのよい加筆でフォローできそうですね。でも、やはりこの症状、白血病っぽいですねぇ。--ウミユスリカ 2007年5月23日 (水) 23:46 (UTC)[返信]