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ノート:トップクラフト

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追補(1)(2)投稿の経緯

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「トップクラフト十周年記念誌」での、山田勝久が書き下ろした原稿については、当時の社長で冊子の発行者である原徹氏より山田勝久本人が自由に使用しても良いという確約をいただいております。これは、自作の著作物ですが、Webページはありません。しかしながら「トップクラフト十周年記念誌」限定300部のうち、冊子の大半は25年以上の時を経て失われております。ウィキペディアに投稿した文章は、当時私自身が書き下ろしました原稿をもとに、加筆及び削除し、自作持ち込み原稿として投稿いたしました。--ArkWork7 2007年6月12日 (火) 17:13 (UTC)[返信]

  • 〈まとめ〉
  • 1)自作の原稿であり、著作権に関してもクリアしている。
  • 2)出典としている「トップクラフト十周年記念誌」(限定300部)は、25年以上経ていてその大半が失われている。
  • 3)オリジナル原稿をもとに、削除、加筆をし、持ち込み原稿とした。
  • -以上---ArkWork7 2007年6月30日 (土) 23:20 (UTC)[返信]

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(削除依頼)が取り消さたことと(存続)のアドバイスに従っての移動。--ArkWork7 2007年6月30日 (土) 22:52 (UTC)[返信]

「トップクラフト十周年記念誌」について

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TOPCRAFT「トップクラフト十周年記念誌」より出典。編集人は山田勝久。発行人は原徹。
1982年2月1日発行(限定300部・シリアル番号つき・非売品)による。関係者にのみ配布。

トップクラフトが創立以来十年を迎えるにあたり、私に社長の原徹氏より記念誌を作りたいとの意向があった。そこで、携わって来たランキン/バスとの合作作品を紹介することでトップクラフトの十年間をまとめてみたものが「トップクラフト十周年記念誌」である。同誌は25年以上の時を経て、その大半がすでに失われている。以下の本文は、1982年月発行の「トップクラフト十周年記念誌」掲載のものを、当時のスタッフであり編集人の私自身、山田勝久が自作原稿を読み返して、百科事典向きに削除及び加筆、修正して投稿したものである。また詳細なデータは、私自身が長年に渡り収集したデータである。さらに、本原稿は投稿するにあたり、当時の社長であり冊子の発行人である原徹氏の了解を全面的に得ていることをお断りしておく。なお、記載にあたり人物の敬称は省略させていただく。また、原画、美術などのスタッフは代表者を記してある。当時のスタッフの方々に深く謝意を表するものである。