ノート:ハンモックナンバー
この記事は2012年5月26日に削除依頼の審議対象になりました。議論の結果、版指定削除となりました。 |
皇族の卒業席次について
[編集]海兵の卒業席次って皇族が上位のことがあるのだけど、出世にも影響しているので、名誉上位であることを指摘した上で記述すべきでしょうか[1]?--経済準学士 2009年2月21日 (土) 14:49 (UTC)
ハンモックナンバーによる昇進は「前の期のクラスヘッドを、後の期のクラスヘッドが追い抜くことはない」というルールがありました。
一方、皇族はそのルールの例外として、前の期のクラスヘッドを追い抜いて昇進しています。例えば、49期の久邇宮朝融王(最終階級 海軍中将)は、43期のクラスヘッド相当で昇進しているようです。簡潔に書けば「皇族はハンモックナンバー制度を適用されず特急昇進した」となるでしょう。
また、皇族として兵学校に入校したが、宮家の二男以下であるために宮内庁の内規に従って臣籍降下した士官には、普通にハンモックナンバーがつき、その通りに昇進していました(例:37期 26/179 小松輝久 最終階級:海軍中将。37期クラスヘッドの井上成美は昭和20年5月に大将昇進)。--Pooh456 2009年7月3日 (金) 06:00 (UTC)
防衛大学校卒の幹部自衛官の「防衛大学校の卒業席次…」ですが、時代にもよりますが現制度では普通学一般教養中心の防大でのよりももっと後の段階の幹部候補生学校、幹部学校の席次の方が重視される傾向です。--210.255.52.182 2009年10月29日 (木) 12:04 (UTC)
同時昇進の場合の疑問
[編集]本文中に
仮に、草鹿・大川内・小沢の3名を同時に大将に昇進させれば問題はなくなるが、大将へ昇進する人数は陸軍とのバランスもあって限られているため不可能だったろう。
とあります。私の認識では仮に3人同時に昇進しても先任序列は、草鹿〉大川内〉小沢 のままで問題は解消しないと思うのですがいかがでしょう。あるいはどこかの書籍に上記の文章が書いてあったのでしょうか?--Soica2001 2010年12月22日 (水) 11:45 (UTC)
- 上記部分の記述を除去しました。--Soica2001 2011年1月13日 (木) 11:17 (UTC)
将官進級後の「淘汰」について
[編集]「例えば、先任順位が A・B・C・D・E・Fの順である6人の大佐が同時に少将に進級し、4年後にA・Eの2人が中将になるとする。3年後までには B、D、Fの3名が予備役編入(淘汰)されて A・C・E の3名の少将が残り、さらに翌年に C が淘汰され、A・E の2名が中将に進級する、といった要領である。<!--何年後などの設定は必要か?「淘汰」は実際にこのように行われたので、例示を分かり易くする意味で有用と思われます。この記載は、出典の記載に準じており、「少将進級から中将進級には4年を要した」史実を踏まえています。←実際4年を要したことや、なぜB,D,Fが三年後までに予備役になった一方でCが翌年だったのかは説明しないとわからないので妙な感じ。説明する必要性も薄い。この例示の目的を考えると、「Eが進級するときB,Dは予備役編入された」というシンプルな例示の方がいいかなと。-->」
上記のうち、コメントアウトされた文章が、2012年3月18日 (日) 14:17 (UTC) の NNMMさんの編集で書き込まれました。
本文のコメントアウト文で議論をするのは場違いですので、新節を設けます。
さて、上記の「将官になってから、抜擢進級がなくなり、淘汰のみとなる」ことの例示は、出典文献の記載を少しアレンジして私が書いたものです。
なお、この例示は、
- 海軍では、各階級で、進級から一定の年数が経っても現役にある者は進級し、進級しない者は予備役に入るシステムになっていた。
- 陸軍でも同様でしたが、海軍と比べて戦時に将官の必要数が激増する陸軍では、そのやり方では現役将官が足りなくなり、落ち度もない将官に「予備役編入・即日召集」をやる訳にも行かず、本文の注釈で記述しているように、最終的には「抜擢による大将親任」に至った訳です。これについては、本記事で出典文献として使用している 『陸軍省人事局長の回想』 で詳述されています。
- 海軍では、この「一定の年数」は、少将については、太平洋戦争の前は5年か4年、太平洋戦争開戦後は3年になったようです。
- この「先任順位が A・B・C・D・E・Fの順である6人の大佐が同時に少将に進級し、4年後にA・Eの2人が中将になる」という例示は、太平洋戦争の始まる前の海軍の人事慣行に沿っている訳ですが、この6人については「4年以内に少将で予備役編入されるか、4年後に中将に進級するか」のどちらかです。将官の進級では「お茶を挽く」ことはなかったようです。
- NNMMさんの示した「Eが進級するときB,Dは予備役編入された」という記述の真意がよく分りませんが、Eが少将進級から4年経過して中将に進級するとすれば、Eより先任のA・B・C・Dは全て予備役に入っていなければなりません。これが「抜擢進級がない」ということです。そして、本文では触れていませんが「進級から一定の年数が経っても現役にある者は進級し、進級しない者は予備役に入るシステムになっていた」ので、Eより後任で、Eと同時に少将に進級したFは、Eが中将に進級する時点で、中将に進級するか、予備役に入っているかのどちらかです。
- 実際は、同時に6人の大佐が少将に進級するとして、後任の大佐(例示では、EやF)の方が、先任の大佐(例示では、AやB)よりも兵学校のクラスが若く、クラスの中での先任順位が高く(ハンモックナンバーが高く)、中将に進級できる率が高かったでしょう。これは出典文献でも数字で示されています。(『海軍アドミラル官制物語』 39-41頁)
- 例示では、そこまで反映させる必要はないでしょうし、「少将から中将への進級には太平洋戦争までは4年、太平洋戦争開戦後は3年を要した」「海軍では、各階級で、進級から一定の年数が経っても現役にある者は進級し、進級しない者は予備役に入るシステムになっていた」などといった記述を記事「ハンモックナンバー」に付加するのは不適当でしょうから、現状程度の説明が「将官になってから、抜擢進級がなくなり、淘汰のみとなる」ことの説明として妥当と考える次第です。--Pooh456(会話) 2012年3月20日 (火) 06:22 (UTC)
- すいません、不適当なものになってました。「A,Eが進級するときはB,C,Dが予備役編入(淘汰)された」という例で十分なのではないか、ということです。「例示ではそこまで反映させる必要はない」「現状程度の説明が妥当」と私も思います。ただなぜか記事の例示には実際の事情が反映されており、それを知らない場合こうして説明がないと理解できず、妙な例文だと感じられてしまうでしょう。まあ4年後という設定は単に文頭で仮定しているものと考えればすんなりくるのですが、「3年後までにB,D,Fが、その翌年Cが予備役編入した」はさすがに。「4年後までにはB,C,Dが淘汰され」でいいんじゃないでしょうか。
- Fについて(一定期間がたって進級しない者は予備役に入ること)は、もし説明しないなら例示から取り除く、残すなら説明も加えるのがよいと思います。「兵学校同期の先任順位」が「兵学校同期の進級」と密接に関わっているので説明があってもいいのかなと。大尉まで進級は一緒であったことも説明されていることですし。--NNMM(会話) 2012年3月20日 (火) 12:29 (UTC)
- 「Fについて(一定期間がたって進級しない者は予備役に入ること)は、もし説明しないなら例示から取り除く、残すなら説明も加えるのがよいと思います。「兵学校同期の先任順位」が「兵学校同期の進級」と密接に関わっているので説明があってもいいのかなと。大尉まで進級は一緒であったことも説明されていることですし。」
- そうですね。そうすると収まりが良くなると思います。ご提案有難うございました。ただ、それを記事に書くには「後任の大佐の方が、先任の大佐よりも兵学校のクラスが若く、クラスの中での先任順位が高く、中将に進級できる率が高かった」(出典あり)に加え、「一定期間がたって進級しない者は予備役に入ること」に言及している出典が要るので、探してみます。--Pooh456(会話) 2012年3月20日 (火) 19:01 (UTC)
- 「淘汰についての例示」ですが、記述をいじるほど、逆に分りづらく、冗長になるため、出典書籍の例示と同様にしました。出典書籍の例示が、結局は、もっとも練られているようです。ハンモックナンバーと昇進との関連についても、出典を明らかにして加筆しました。--Pooh456(会話) 2012年3月21日 (水) 08:27 (UTC)
- 例示は「4年後までにはB・C・D・Eが予備役編入され、A・Fが中将に進級する、といった要領である」でむしろ簡潔になります。「3年後までにはB・D・Eが、翌年にはCが淘汰される」と書いても特に解説の役に立っておらず冗長だと思うのですが。--NNMM(会話) 2012年3月23日 (金) 15:31 (UTC)
- 「淘汰についての例示」ですが、記述をいじるほど、逆に分りづらく、冗長になるため、出典書籍の例示と同様にしました。出典書籍の例示が、結局は、もっとも練られているようです。ハンモックナンバーと昇進との関連についても、出典を明らかにして加筆しました。--Pooh456(会話) 2012年3月21日 (水) 08:27 (UTC)
- 例示は「将官になると抜擢進級がなくなり、淘汰だけになる」という2つのことを示すためのものです。「4年後までにはB・C・D・Eが予備役編入され、A・Fが中将に進級する、といった要領である」では、簡潔かもしれませんが「抜擢進級がなくなる」ことが例示されなくなります。それを踏まえて記述を校訂しました。--Pooh456(会話) 2012年3月24日 (土) 02:16 (UTC)
(インデント戻し)いやいや、それは私が問題にしていることとはまた別の話です。Pooh456さんが追加したのは「抜擢進級がなくなる」ことの例示ではなく「抜擢進級がなくなり淘汰だけになった」ことの解説です。抜擢進級がないからこそ淘汰になったことが分かりやすくなっていてよいと思います。ただ私の例示もPooh456さんの例示も「抜擢進級がなく淘汰である例」であることに注意してください。「(極端に言えば)抜擢進級が全くなくなり、全て淘汰になった事実」の例示は全て「抜擢進級ではなく淘汰である例」になります。抜擢進級が全くない/全て淘汰である事実は、抜擢進級がない/淘汰である例示をいくら並べても証明できないので、直接言ったりデータを示したりという方法で伝えることになります(該当節の最初に書かれています)。
私の言う例示であれば、解説は「A・F は中将に進級させる、B・C・D・E は少将で予備役とすると判断した場合、後任のF少将は先任のB・C・D・Eを抜いて中将に進級できないため、B・C・D・Eを予備役とする措置が取られた」となるでしょう。例示・解説したい「抜擢進級がなくなって淘汰だけになった」ことは4人とも同じです。それに対し、CとB・D・Eとの差である「いつ・どのように予備役編入されたか」を例示・解説するのは目的ではありません。必要性は薄いでしょう。--NNMM(会話) 2012年3月26日 (月) 13:36 (UTC)
- NNMMさんの言っていることは変ですよ。「A・F は中将に進級させる、B・C・D・E は少将で予備役とすると判断した場合」なら「先任順位が A・B・C・D・E・F の順である6人の大佐が同時に少将に進級したとする。海軍人事当局は、A・F は中将に進級させる、B・C・D・E は少将で予備役とすると判断した。数年後までにA・Fは中将に進級し、B・C・D・E は少将で予備役となった」で終わりです。わざわざ例示を設ける意味もないでしょう。
- 例示の目的は「将官になると先任・後任の順位が固定され、抜擢進級がなくなり、淘汰だけになる」というルールがどう運用されるのかを示す、ということです。
- 現状の例示は「6人の大佐が同時に少将に進級し、3人は途中で予備役に入り、4年目の少将としてA・C・Fの3人が残った。人事当局は、AとFの2名を中将に進級させると判断した。この場合、Fより先任のCは予備役に入る必要があるので、そのような人事措置が執られた」と言うことを示し、出典に即して説明しています。この「後任者を進級させたい場合、現役にある先任者を 『無理にでも』 予備役にしなければならない」というルールを、例示で説明するのは、その後に続く「小沢が大将親任を辞退した件」の説明のために有益です。--Pooh456(会話) 2012年3月27日 (火) 02:09 (UTC)
- ああ、ようやく分かりました……B・D・Eは淘汰と書いてありますが淘汰ではないのですね。そりゃ間違います。だとすると「先任順位が固定され、抜擢進級がなくなり、淘汰だけになった」ことに単なる予備役編入は関係しないので、逆にその3人が不要です。以下では3人を残す形で整理しますが、除いた方がいいでしょう(前提を「例えば、先任順位A・C・Fの順である少将が中将進級時に現役でいるとする」とする)。
例えば、先任順位が A・B・C・D・E・F の順である6人の大佐が同時に少将に進級し、 中将進級時までにB・D・Eが予備役編入されてA・C・Fの3名の少将が現役に残ったとする。 ここで海軍人事当局が「A・Fを中将に進級させる」と判断した場合、 抜擢進級がないため後任のF少将は先任のC少将を抜いて中将に進級できない。 よってCを予備役編入(淘汰)し、A・Fを中将に進級させる、といった要領である。
- B・D・Eを淘汰だと書いたりCと切り分けていない点、人事当局が「A・Fを中将としCを予備役とする」という判断を淘先より先ににしている点は直しました。それとCが軍令部出仕→待命→予備役編入になったとする
(=どのように予備役編入されるのか)のも不要で、書くとごちゃごちゃしてしまうのでシンプルにしました。もちろん仮想の例示ですから、これもB・D・Eも含めなんでも書けなくはないですが、説明に必要ない部分です。「将官の進級における先任順位」を書いているのであって進級・予備役編入システムを解説しているのではありませんので。--NNMM(会話) 2012年3月29日 (木) 11:35 (UTC)
- NNMMさんの示された例示なら、分かり易くなって、記述の改善になっていると考えます。現状の記述を、お示しの案のように置き換えて頂いて、私としては異議ありません。
- なお、「淘汰」という言葉と「予備役編入」という言葉が、帝国海軍で使い分けられていた、という史実は(たぶん)ありませんので、あまりその言葉にこだわらない方が良いでしょう。「予備役編入」を短く表現すると「淘汰」となる、といった程度です。これは、この記述の主な出典文献である 『アドミラル軍制物語』 の該当ページを読んで頂ければ分かるはずです。--Pooh456(会話) 2012年3月30日 (金) 06:27 (UTC)
- この議論は合意が形成されたようですので、NNMMさんの最終案を元に本文を書き換えました。--Pooh456(会話) 2012年4月2日 (月) 14:04 (UTC)
「兵37期の先任順位について」節
[編集]兵37期の先任順位についてに関して、元々ノート:井上成美#先任順位について(「井上成美#海兵37期の先任順位について」)で議論されていましたが、こちらで続きを。
問題なのが、出典である『伝記』の内容が忠実に書かれていないことです。記事だけを見てもおかしさは分かると思うのですが、具体的に確認したいと思います。以下、記事の記述順にそって、a.クラスの1/4が任官遅れ組となったこと、b.小林が病気で任官遅れ組に入ったこと、c.小林と井上の成績評価、d.意見書に任官を遅らせるべしとあったこと、とします。
『伝記』において、a.とb.はP49~P.50の節「最先任者として少尉任官」に書かれています。この部分の構成は、a.→その理由(d.の事実)、井上が最先任者であった事実→その理由(b.の事実)となっています。節は同じではありますが(これは任官について同じ場所で述べたからでしょう)、前者と後者は関連づけて解説されてはいません。
記事の記述を見ると、最初に事実として、前者の事実であるa.と後者の理由であるb.を一緒に書いています。そして「この措置は」「その背景に」としてc.とd.を挙げています。これは『伝記』の構成とは異なります。また、ここで唐突に出てきたc.は、『伝記』で一つ前の節「教育の成果は二十年後」に書かれており、他とは明らかに別の話題です。
余談となりますが、私の編集では『伝記』で「その真相を彼らが知った」とあるためほぼ確実なのだろうと判断し、断定としました。それはまずいとしても、「背景として指摘されている」というわけでもない気がします。「これについて、~~の意見書では~~と書かれていた」という事実だけ書けばいいでしょうか。--NNMM(会話) 2012年3月29日 (木) 12:38 (UTC)
- この節では、記事「井上成美#出典の簡略表記」で記載しているのと同様に、「井上成美伝記刊行会編著 『井上成美』 井上成美伝記刊行会、1982年(昭和57年)」を 『伝記』 と略称しております。
- NNMMさんのご意見を踏まえて考えてみましたが、現状の記述を、『伝記』 の記述になるべく忠実に書き換えるとすれば、下記のようになるでしょうか。
== 兵37期の先任順位について == 兵37期(卒業時179名)は、帝国海軍の歴史を通じて唯一、同期生が揃って少尉任官しなかったクラスである。井上成美(のち大将)を最先任者とする 海兵37期 137名 は1910年(明治43年)12月15日に少尉任官し、序列下位の約1/4は、約3ヶ月遅れの1911年(明治44年)2月27日に少尉任官した。兵学校卒 業時に首席であった小林万一郎(兵37期において、兵学校卒業時の首席であった小林万一郎は、1922年(大正11年)、少佐の時に病没(井上成美伝記刊行会編著 『井上成美』 31頁。))は、病気のため任官3ヶ月遅れ組に入ったため、少尉任官以降は井上が兵37期のクラスヘッドとなった。兵37期が中尉になるときは、 同期生が揃って進級する通常の形に戻った。(井上成美伝記刊行会編著 『井上成美』 49-50頁。) この措置は、当時「国家予算の都合により」と説明された(井上成美伝記刊行会編著 『井上成美』 49頁。)。 兵37期が乗組んだ練習艦隊の司令官だった伊地知彦次郎少将が 斎藤実海軍大臣に宛てた意見書の存在が後に判明した。 その意見書には「37期の候補生の後半(序列下位者)は、練習航海中の勤務 ・成績共に不良。 彼らの反省を促すため、37期候補生の後半の任官を半年遅らすべし」 と書かれていた。(井上成美伝記刊行会編著 『井上成美』 50頁。)
- なお、ノート:井上成美#先任順位について(「井上成美#海兵37期の先任順位について」)で、「兵37期において、兵学校卒業時の首席であった小林万一郎は、1922年(大正11年)、少佐の時に病没」と書く必要があるのか?とNNMMさんが問題提起しておられましたが、それについては、
- 1) 「ハンモックナンバー#海軍兵学校卒業席次」で、37期の1位に小林万一郎の名前があり、赤リンクとなっている。
- 2) 「ハンモックナンバー#兵37期の先任順位について」節で、「小林が少尉任官以降はクラスヘッドでなくなったこと」「少佐の時に病死したこと」が記されれば、(1)で「兵37期のクラスヘッド」として名前が出ている小林について、必要十分な説明ができる。
- ということで、「書く理由がある」となる、と考えます。--Pooh456(会話) 2012年3月30日 (金) 09:37 (UTC)
- 上で言うc.はなくなりましたが、a.とb.両方の背景としてd.が挙げられているのは『伝記』と異なります。それと忠実に書こうとしすぎてものすごく硬い文章になっているような。多少長い文にはなりますが、「この措置は」以降の文章を一文で書いた方が自然かもしれません。出典についても2ページに満たない一つの節で書かれている内容なので、流石にref1つでいいでしょう。このあたり、私が前に井上成美を編集したときのもの[2]を少し直して使えばいいと思いますけどどうでしょうか。
- ハンモックナンバー#海軍兵学校卒業席次は、少し前にIPの方が名前を一律赤リンクにしていました。記事が作られるのを想定しての赤リンクではないように思います。……よく考えたら席次の方に注釈をつければいいんじゃないですか? やっぱり兵学校のクラスヘッドというだけで書く必要があるのかなぁとは思いますけど。--NNMM(会話) 2012年4月2日 (月) 11:14 (UTC)
文章後段での「この措置」は、「兵37期が、帝国海軍の歴史を通じて唯一、同期生が揃って少尉任官しなかった」措置を指します。分かりにくいというご指摘ですので、「クラスヘッド交替」の件は後に持って行けば良いでしょうか。出典表示については、節の最後に文章で書くのが分かりやすいかと思います。
小林万一郎の病死の件は、従来「注釈」としていましたが、下記のように(1922年(大正11年)、少佐の時に病没(井上成美伝記刊行会編著 『井上成美』) 31頁。)とカッコ書きにした方が、記述量としても収まりが良さそうです。「ハンモックナンバー#海軍兵学校卒業席次」の、37期の1位にある小林万一郎の名前に注釈を付ける形にすると、「兵37期の先任順位について」で書いたことと情報が分断されて分かりにくくなりますね。
== 兵37期の先任順位について == 兵37期(卒業時179名)は、帝国海軍の歴史を通じて唯一、同期生が揃って少尉任官しなかったクラスである。井上成美(のち大将)を最先任者とする海兵37期 137名 が1910年(明治43年)12月15日に少尉任官し、席次下位の約1/4は、約3ヶ月遅れの1911年(明治44年)2月27日に少尉任官した。兵37期が中尉になるときは、 同期生が揃って進級する通常 の形に戻った。 クラスメートが揃って少尉任官しないという異例の措置は、当時「国家予算の都合により」と説明された。後年になって、兵37期が乗組んだ練習艦隊 の司令官だった伊地知彦次郎少将が 斎藤実海軍大臣に宛てた意見書の存在が判明した。その意見書には「37期の候補生の後半(席次下位者)は、練習航海中の 勤務 ・成績共に不良。 彼らの反省を促すため、37期候補生の後半の任官を半年遅らすべし」と書かれていた。 兵学校卒業時に首席であった小林万一郎(1922年(大正11年)、少佐の時に病没(井上成美伝記刊行会編著 『井上成美』 31頁)が、病気のため任官3ヶ月遅れ組に入ったため、少尉任官 以降は井上が兵37期のクラスヘッドとなった。 本節の出典は、特記ない限り、井上成美伝記刊行会編著 『井上成美』 井上成美伝記刊行会、1982年(昭和57年)、49-50頁。
--Pooh456(会話) 2012年4月2日 (月) 12:46 (UTC)
1週間経ちましたが、どなたからも意見が出ないので、議論終了とみなし、2012年4月2日 (月) 12:46 (UTC)に示したように書き換えます。--Pooh456(会話) 2012年4月9日 (月) 03:55 (UTC)
「兵37期の先任順位について」節(2)
[編集]この節ですが、ノート:ハンモックナンバー#「兵37期の先任順位について」節で、2012年4月9日 (月) 03:55 (UTC)の時点で合意が形成され、本記事に記載されていたのですが、Wikipedia:削除依頼/ハンモックナンバーについての管理者の処置の結果、消滅してしまいました。
この節の記述が、記事「井上成美」の2012年3月24日 (土) 03:35時点における版に存在した記述(差分で示します)を元にしているのは間違いありません。本来であれば、「Wikipedia:ページの分割と統合#項目一部転記」に示された手順を踏むべきなのですが、
- (1) 転記元の記事「井上成美」には、この節に該当する記述が、2012年3月24日 (土) 04:47の編集以降は存在していない。
- (2) 転記された時点から、本記事において合意が成立するまでの間に、記述がかなり変更されている。
ということから、今になって、「井上成美からハンモックナンバーへの項目一部転記として、「Wikipedia:ページの分割と統合#項目一部転記」に示された手順を踏むのは不適当と考えます。最大の理由は「転記元が既に存在しない」ことです。
Wikipedia:削除依頼/ハンモックナンバーの趣旨も踏まえ、下記のように提案します。
- (A) 前節で合意が既に成立している「兵37期の先任順位について」節を、復活させる。
- (B) その際に、摘要欄に
- 「兵37期の先任順位について」節を復活。本節は、井上成美の過去の版を元にしている。ノート:ハンモックナンバー#「兵37期の先任順位について」節(2)を参照。
- と記載する。
ご意見をよろしくお願いします。--Pooh456(会話) 2012年7月30日 (月) 15:54 (UTC)
- コメント 転記の是非は判断しませんが、仮に転記を行う場合にはWikipedia:ページの分割と統合#項目一部転記に従った手順を踏み、要約欄に転記元の版の指定(日時)を含めるのがよいと思います。つまり「井上成美 20XX年X月X日 (X) XX:XX(UTC)時点の版から一部転記」と記入するということです。ウィキペディアでは削除されない限り過去版の内容も公開され続けますから、最新版から除去されていることは問題ではありません。--Trca(会話) 2012年7月30日 (月) 17:40 (UTC)
- コメント有難うございます。では、摘要欄に
- 「兵37期の先任順位について」節を復活。本節は、井上成美の2012年3月24日 (土) 03:35(UTC)の版から一部転記したものを元にしている。
- と記入する、ということで如何でしょうか。改めてご意見を頂ければ幸いです。--Pooh456(会話) 2012年7月31日 (火) 02:52 (UTC)
- コメント有難うございます。では、摘要欄に
上記から1週間経過しましたが意見が出ませんので、合意成立と看做します。--Pooh456(会話) 2012年8月7日 (火) 03:05 (UTC)
数字の不整合
[編集]私のところにわざわざ苦情が届いたので説明します。
冒頭部の記述ですが、この版を見てください。数字の不整合がわかると思います。何らかの特殊なルールで「1」が「4」に読み替えられるのかもしれません。あるいは、ただの記入ミス。本の誤記。いろいろ考えられますね。
出典を確認してもよいのですが、そこまでして残す必要性も感じられないので私は確認するつもりはありません。このままの状態がつづくようであれば除去します。--Bellis(会話) 2012年8月12日 (日) 04:07 (UTC)
- Bellis氏が「数字の不整合」と呼んでいる部分を修正しました(「一」を「四」に直しただけですが)のでご報告します。--Pooh456(会話) 2012年8月12日 (日) 07:11 (UTC)
Bellis氏の編集について
[編集]Bellis氏が、この編集において、出典の明示された記述を
「推測「あろう」、個人的な感想「器、多少」を除去。」
なる編集理由を記したのみで除去したので、差し戻しを行いました。
「Wikipedia:ページの編集は大胆に#ただし、配慮を忘れない」では、「真実であることが実証されていたり出典が明示されている記述を除去するときには、より慎重になってください。」と示され、以下、「出典がある記述を除去する場合はノートで合意を形成して下さい」という趣旨が書かれております。
ことについて注意を喚起しているのですが、理解して頂けないようです。--Pooh456(会話) 2012年8月23日 (木) 18:08 (UTC)
- その後、Bellis氏から何ら説明がなく、他の方からの意見もありませんので、議論終結と看做し、Bellis氏が削除した記述を、情報源(出典)を明確にして復活させました。--Pooh456(会話) 2012年9月8日 (土) 14:21 (UTC)
利用者‐会話:Pooh456#ハンモックナンバー差し戻しの件 および 和暦テンプレートの差し戻し について を参照。呼びかけに答えず、一方的に差し戻し宣言を行い。さらに「合意形成」を宣言しても、全く意味がありません。
「Pooh456さんは話合いを放棄しないでください」なお、続きは 利用者‐会話:Pooh456でお願いします。--Bellis(会話) 2012年9月11日 (火) 16:37 (UTC)
ガイドライン「Wikipedia:合意形成」で「合理的な期間〔通常は168時間程度(約7日間=約1週間)が妥当でしょう〕内に異論がなければ、提案がそのまま決定事項となります。」と示されております。
Bellis氏は、ここでの議論の開始について通知を受けても(差分)、2週間以上にわたり、何も異論を述べておりません。よって上記の規定が適用されます。--Pooh456(会話) 2012年9月12日 (水) 01:43 (UTC)
「将官進級後の「淘汰」について」の整理案
[編集]説明がくどいので整理を提案します。
ここで伝えたいことは、「序列が下位の者が上位を追い抜く場合、追い抜かれたものは予備役となる。」これだけのはずです。
シンプルな表現にするのであれば、「追い抜く者」と「追い抜かれる者」の2名で十分です。
A~Fの6名が登場し、なんだかいろいろあったんだけど、「BDEはすでに予備役編入されていて」、FがCを追い抜くためにCが予備役編入した。「Aの序列は変わらず」。Aは「追い抜かれない者」として説明を補足する役割があるから残すとしても、BDEは除去しても残しても、関係性の説明に影響ありません。くどい文章は整理すべきです。
登場人物を3名に整理することを提案します。--Bellis(会話) 2012年8月23日 (木) 17:22 (UTC)
- 新たな議論を起こすことになりますので、節を移動しました。
- 一度「ノート:ハンモックナンバー#将官進級後の「淘汰」について」で議論が行われて合意が形成されたことについて、変更を希望するのであれば、合意を覆すに足る十分な理由が必要でしょう。
- この記述については、
- NNMMさんの言っていることは変ですよ。「A・F は中将に進級させる、B・C・D・E は少将で予備役とすると判断した場合」なら「先任順位が A・B・C・D・E・F の順である6人の大佐が同時に少将に進級したとする。海軍人事当局は、A・F は中将に進級させる、B・C・D・E は少将で予備役とすると判断した。数年後までにA・Fは中将に進級し、B・C・D・E は少将で予備役となった」で終わりです。わざわざ例示を設ける意味もないでしょう。
- 例示の目的は「将官になると先任・後任の順位が固定され、抜擢進級がなくなり、淘汰だけになる」というルールがどう運用されるのかを示す、ということです。
- 現状の例示は「6人の大佐が同時に少将に進級し、3人は途中で予備役に入り、4年目の少将としてA・C・Fの3人が残った。人事当局は、AとFの2名を中将に進級させると判断した。この場合、Fより先任のCは予備役に入る必要があるので、そのような人事措置が執られた」と言うことを示し、出典に即して説明しています。この「後任者を進級させたい場合、現役にある先任者を 『無理にでも』 予備役にしなければならない」というルールを、例示で説明するのは、その後に続く「小沢が大将親任を辞退した件」の説明のために有益です。--Pooh456(会話) 2012年3月27日 (火) 02:09 (UTC)
- ああ、ようやく分かりました……B・D・Eは淘汰と書いてありますが淘汰ではないのですね。そりゃ間違います。だとすると「先任順位が固定され、抜擢進級がなくなり、淘汰だけになった」ことに単なる予備役編入は関係しないので、逆にその3人が不要です。以下では3人を残す形で整理しますが、除いた方がいいでしょう(前提を「例えば、先任順位A・C・Fの順である少将が中将進級時に現役でいるとする」とする)。
例えば、先任順位が A・B・C・D・E・F の順である6人の大佐が同時に少将に進級し、 中将進級時までにB・D・Eが予備役編入されてA・C・Fの3名の少将が現役に残ったとする。 ここで海軍人事当局が「A・Fを中将に進級させる」と判断した場合、 抜擢進級がないため後任のF少将は先任のC少将を抜いて中将に進級できない。 よってCを予備役編入(淘汰)し、A・Fを中将に進級させる、といった要領である。
- B・D・Eを淘汰だと書いたりCと切り分けていない点、人事当局が「A・Fを中将としCを予備役とする」という判断を淘先より先ににしている点は直しました。それとCが軍令部出仕→待命→予備役編入になったとする
- (=どのように予備役編入されるのか)のも不要で、書くとごちゃごちゃしてしまうのでシンプルにしました。もちろん仮想の例示ですから、これもB・D・Eも含めなんでも書けなくはないですが、説明に必要ない部分です。「将官の進級における先任順位」を書いているのであって進級・予備役編入システムを解説しているのではありませんので。--NNMM(会話) 2012年3月29日 (木) 11:35 (UTC)
- NNMMさんの示された例示なら、分かり易くなって、記述の改善になっていると考えます。現状の記述を、お示しの案のように置き換えて頂いて、私としては異議ありません。
- なお、「淘汰」という言葉と「予備役編入」という言葉が、帝国海軍で使い分けられていた、という史実は(たぶん)ありませんので、あまりその言葉にこだわらない方が良いでしょう。「予備役編入」を短く表現すると「淘汰」となる、といった程度です。これは、この記述の主な出典文献である 『アドミラル軍制物語』 の該当ページを読んで頂ければ分かるはずです。--Pooh456(会話) 2012年3月30日 (金) 06:27 (UTC)
- この議論は合意が形成されたようですので、NNMMさんの最終案を元に本文を書き換えました。--Pooh456(会話) 2012年4月2日 (月) 14:04 (UTC)
- という議論を経て、合意に至った訳ですが、上記の議論の何が問題なのかを具体的に説明願います。--Pooh456(会話) 2012年8月23日 (木) 18:36 (UTC)
- コメント提案内容に関する意見なら検討します。上記書き込みはそのようには解釈できません。--Bellis(会話) 2012年8月23日 (木) 19:41 (UTC)
- 2週間以上待ちましたが「BDEは不要」という見解を否定する合理的な説明はでてこなかったので、整理を実行します。--Bellis(会話) 2012年9月8日 (土) 09:21 (UTC)
(インデント戻します)
ノートでの議論の結果である記述について、「整理案」を述べたのみで、「合意を覆すに足る理由を説明して下さい」という意見に対し「提案内容に関する意見なら検討します。上記書き込みはそのようには解釈できません。--Bellis(会話) 2012年8月23日 (木) 19:41 (UTC)」なる意味不明の返答をしたのみで「2週間経過したので合意形成と看做す」と宣言するのでは、議論の体を成していません。
「Wikipedia:合意形成#合意に向けた作業」では「合意に向けた議論は常に「理由」を示して「相手を説得する」努力が求められます。」と示されておりますが、Bellis氏は何らそのような努力を行っておりません。
なお「既に形成された合意を覆すこと」については、「Wikipedia:井戸端/subj/合意形成後に「納得していない」ことを理由に望ましくない編集行為をするユーザーに対して、どのように対処すべきか?」で関連する議論が行われております。
編集をいったん差し戻し、合意形成のためのコメント依頼を行います。--Pooh456(会話) 2012年9月8日 (土) 10:44 (UTC)
- 合理的な理由もなく、説明も放棄した状態にしたのはPooh456さんですが、その状態から私は2週間待ちましたが、まだ納得いただけていませんでしたか。
- 私(Bellis):BDEは除去しても残しても、関係性の説明に影響ありません。
- NNMMさん:これもB・D・Eも含めなんでも書けなくはないですが、説明に必要ない部分です。
- Pooh456さん:『アドミラル軍制物語』 の該当ページを読んで頂ければ分かるはず? ※これは必要性の理由説明になっているのでしょうか?
- ・・・・私が見た限りでは BDEについては、残すべき理由は見当たらず、不要論しかでてません。これは以前にお伝えした通りです。--Bellis(会話) 2012年9月8日 (土) 13:09 (UTC)
- 続き。これも再度お伝えすることになりますが、記事内容の筋に関係のない文言の整理について、「先行議論で合意済み」を理由に一言一句整理を認めないのは、おかしな理屈です。
- これがもし、私の誤認であるならば、そこを指摘していただかないと私の認識を改めようがありません。やはりPooh456さんの説明放棄となるのでは。--Bellis(会話) 2012年9月8日 (土) 13:23 (UTC)
- 私が「・・・という議論を経て、合意に至った訳ですが、上記の議論の何が問題なのかを具体的に説明願います。--Pooh456(会話) 2012年8月23日 (木) 18:36 (UTC)」と述べたのに対して、Bellis氏が「提案内容に関する意見なら検討します。上記書き込みはそのようには解釈できません。--Bellis(会話) 2012年8月23日 (木) 19:41 (UTC)」と述べて放置したことが、通常の感覚では「説明放棄」、Wikipediaでは「Wikipedia:投稿ブロックの方針#議論の拒否や妨害」となるのでは?
- ノートでの合意形成については、「Wikipedia:合意形成」を熟読願います。なお、「Wikipedia‐ノート:合意形成#合意が変更できるとの記述を追加する提案」は、合意に至らずに終了しております。--Pooh456(会話) 2012年9月8日 (土) 14:39 (UTC)
- (1)過去の合意に拘束されるような提案はしていません。「過去の合意」に拘り、内容に関する話をしようとしないのは不可解です。
- (2)「仮に、『過去の合意』に拘束されるとして」、どこが「過去の合意」を違えることになるのか、問題点を指摘しないのは不可解です。現在の主張は「『過去の合意』によって作成した文章は一言一句変えるな」だけです。どこを問題として反対としているわけでもありません。中身のない反対をしている一方で、そもそも問題にしていない「過去の合意の問題を指摘せよ」と繰り返す。
- ・・・もしかして「過去の合意」の問題点として「冗長でくどい文章を作ったのはおかしい」と主張してほしかったのですか? 。「冗長かつ、くどい文章にしよう」などと合意したわけでもないでしょう。あえてその線で説明をしなおしてみましょうか。
- 提案冒頭部と意図は変わりません。
- (過去の合意には問題があり、できあがった)現状の文章は「冗長すぎくどいため可読性が損なわれている」だから整理しましょう。冗長な箇所を削るだけなので文意が変わるようなことはありません。
- --Bellis(会話) 2012年9月9日 (日) 03:44 (UTC)
- この件について「合意形成のためのコメント依頼」を2012年9月8日 (土) 10:40(UTC)に行っております(差分)。その後1週間ほど経ちますが、議論に参加する方は未だおられません。
- コミュニティは「本件について論じる必要がない」と判断しているようです。--Pooh456(会話) 2012年9月15日 (土) 02:05 (UTC)
- では、整理提案に対し「反対意見が皆無」ということで処理します。--Bellis(会話) 2012年9月15日 (土) 07:41 (UTC)
- コミュニティが「本件について論じる必要がない」と判断しているらしい、ということは、既存の合意を覆す理由を感じているのは貴殿だけである、ということです。貴殿の強行編集は差し戻します。--Pooh456(会話) 2012年9月15日 (土) 09:54 (UTC)
- では、整理提案に対し「反対意見が皆無」ということで処理します。--Bellis(会話) 2012年9月15日 (土) 07:41 (UTC)
- 個人のコメント依頼も出てるからマルチポストはさけたいんだけど、これはあまりにも酷いと思うからコメントします。
- 屁理屈が酷すぎる。コメント依頼をして誰もこなかったということは、確かにBellis氏の意見の支持者が現れなかったことを意味するが、同時にPooh456氏の支持者も現れなかったということだ。それを「本件について論じる必要がない(だからBellis氏の主張は否定された)」と証明されたなんて本気で言ってるの?しかも、たかだか1週間。
- Pooh456氏は何かと対話を大事にされているようなことをおっしゃるけど、正直、この件に限らずPooh456氏の行動は対話を望んでいるようには見えない。わずかな隙があれば、強引にでもそれを非難する根拠としてしまう。コメント依頼なんて1ヶ月待ったって遅くはないし、1週間経っても真に対話を望んでいるなら、さらに数日待ったり、「1週間経った」と予告を入れたりすることなんてざらだ。でも、氏はそういったことは一切やらない。
- もちろん、1週間という区切りがあるし、それをすることによって褒められても、しないことによって非難を受けるものではないけれども、自分は誠実に議論をやろうとしている(相手は不誠実だ)というような態度を見るにつけ、言っていることとやっていることに凄いギャップを感じる。--EULE(会話) 2012年9月20日 (木) 16:03 (UTC)
- 一応、誤解あると悪いから補足しておくけど、前半の「1週間待って人がこなかったからBellis氏の編集は支持されてない」、というPooh456氏の主張は非難に値するからね。--EULE(会話) 2012年9月20日 (木) 16:06 (UTC)