ノート:バヤン・モンケ・ボルフ晋王
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改名提案
[編集]「バヤン・モンケ・ボルフ晋王」を「バヤン・モンケ・ボルフ・ジノン」に改名することを提案します。また、この記事のみならず、
- アクバルジ晋王→アクバルジ・ジノン(モンゴル記事名:Агваржин хаан、中国語記事名:阿噶巴尔济)
- ウルス・ボラト晋王→ウルス・ボラト(モンゴル記事名:なし、中国語記事名:兀鲁思孛罗)
- バルス・ボラト・サイン・アラク晋王→バルス・ボラト(モンゴル記事名:Барсболд хаан、中国語記事名:巴尔斯博罗特)
- グン・ビリク・メルゲン晋王→グン・ビリク・メルゲン・ジノン(モンゴル記事名:Гүнбилэг жонон、中国語記事名:衮必里克墨尔根)
- ノヤンダラ晋王→ノヤンダラ・ジノン(モンゴル記事名:Ноёндарь жонон、中国語記事名:诺延达喇)
- ボショクト晋王ハーン→ボショクト・ジノン(モンゴル記事名:Бошигт жонон、中国語記事名:博硕克图)
- セレン・エルデニ晋王ハーン→セレン・エルデニ・ジノン(モンゴル記事名:なし、中国語記事名:斯楞额尔德尼)
も同時に改名したいと思います。
理由としては、
- 同時代に上記の人物を「晋王」と表記する事例は一つも存在しないこと。「ジノン」という称号は確かに「晋王」に由来するものですが、北元時代には既に原義が忘れ去られて純然たるモンゴル語の称号として用いられており、同時代の漢文史料でも吉嚢/済農と表記されていました。実際に、「ジノン」の中国語記事名は「濟農」で、上記の人物の中国語記事名でも「晋王」に当たる箇所は全て「濟農」と表記されています。
- 「晋王」表記は主に岡田英弘の著作で見られるが、近年のモンゴル史研究者の著作では全て「ジノン」表記で「晋王」とするものは存在しないこと(吉田順一『アルタン・ハーン伝訳注』風間書房、1998年/井上治『ホトクタイ=セチェン=ホンタイジの研究』風間書房、2002年/前野利衣「ジノンの地位とその継承過程からみた17世紀ハルハ右翼の三核構造」『内陸アジア史研究』、2017年など)。
などとなります。「ジノン」というモンゴル語称号が「晋王」に由来すること自体は学会で認められた通説ですが、実際には「晋王」と表記されたことのないJinong号を敢えて「晋王」と表記する必然性は少ないと思われます(だからこそ、近年のモンゴル史研究者は単に「ジノン」と表記するのだと思います)。似たような例として、岡田英弘は「ホンタイジ」も「皇太子」がモンゴル語化した称号であるとして全て「皇太子」と漢字表記していますが、例えばバートル・ホンタイジを「バートル皇太子」と表記したりはしないでしょう。--カラ(会話) 2020年10月24日 (土) 13:50 (UTC)
- コメント 「晋王」表記の問題は、かねてから違和感を覚えていたので納得です。ですが、記事名にそもそも「ジノン」を付けなければならない理由はあるのでしょうか? 個別人物の事情はあるのでしょうが、名前だけで通用するなら称号は極力排するべきとも考えられます。あと、ハーンにまでなった人物に「ジノン」を付けるのにも違和感があります。--エンタシス(会話) 2020年10月25日 (日) 05:16 (UTC)
- コメントありがとうございます。正直なところ、自分も当初は中国語版の表記に倣って「ジノン(晋王)」を除去した記事名でもよいのではないかと考えていました。ただ、元々の記事名をある程度尊重した方がよいのではないかとの思いから「晋王」を「ジノン」に置き換える方向で改名提案しましたが、他の方の理解が得られるならば下記のように「晋王/ジノン」を除去した本名のみの形に改名するよう提案を変更しようと思います。なお、ハーンを称したとされるアクバルジとバルス・ボラトは即位の事情が特殊で独自のハーン号も有していないため、やはり中国語版に従って本名のみの記事名にするのが無難かと思います。--カラ(会話) 2020年10月25日 (日) 15:13 (UTC)