ノート:バールのようなもの

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てこの原理」が執筆される前にこの記事が執筆されて驚いています(記述を一部「てこの原理」に移してはどうでしょう)。ただ、バールのようなもの、と報道されるものは本当にバールではないんでしょうか?その根拠が特にないように思われるのですが…(警察などでは押収物を特に鑑定していない場合、本物であるかどうかにかかわらず「麻薬らしきもの」とか、「ダイアモンドらしきもの」と表記するにとどめることがあるようです)。なお2ちゃんねるで盛り上がる、というくだりはWikipediaはスラングの使用法案内ではありませんので削除しました(Wikipedia:ウィキペディアは何でないか参照)。--Gleam 2004年7月23日 (金) 13:52 (UTC)[返信]

「鬼のような顔」~の論理は、清水義範氏の作品内で出た話ですね。構成を変えたほうがいいと思います。Qazzx 2004年7月23日 (金) 14:15 (UTC)[返信]

正直なところ、項目として不適当であると考える。0null0 2004年7月23日 (金) 14:47 (UTC)[返信]

内容を読んでみて、記事名としては不適当と思う。正確には、書名の部分のみが有効でそれでも作者の項に落とせる程度であるので、「バール」との統合が望ましいのでは。Sat.K 2004年7月24日 (土) 01:22 (UTC)[返信]
本来、バール (工具)として項を立ててその中に記載すべき内容だとは思うが、同名の著作があるので項そのものは著作の紹介と報道における表現に縮小してその他はバール (工具)に移行するのが落とし所かと。
もっとも、単純に項として見る限りでは面白く仕上がっているので個人的には「これはこれでいいじゃない?」と言う感もしないではない。--T-ohara 2004年7月31日 (土) 23:21 (UTC)[返信]

ところで、のようなものという表現は類似した別の二つのものを結びつけるものである。 例えば「鬼のような顔」をした人は鬼そのものではない。「カレーのような味のせんべい」はカレーそのものではない。 同様に考えると、バールのようなものはバールそのものではないことになる。 の部分であるが、「鬼のような顔」のようなは比喩表現であることを示すのに対し、「カレーのような味」のようなは不確かさを示すものであり全く別物である。同様に、「バールのようなもの」のようなも比喩表現などではなく、不確かさを示すものであることは明らかであり、この項の論理展開は無茶苦茶である。218.227.227.146 2004年8月25日 (水) 12:09 (UTC)[返信]

そうでしょうか。よく分かりませんが、「ような」の文法的使い分けは議論しませんし、そもそも、「ような」という言葉そのものが、一般に厳密に意識された使い方がなされているわけでもありませんから、全く問題はないと思います。
一応、新明解の記述(「ようだ」の項)では、
1 ある事柄が、それに似ている何かを思わせるという判断を表す
2 条件にかなうものを具体的に例示することを表す
3 明確な根拠はないが、そう判断しうることを表す
などとあります。広辞苑でも同等の記述で、1比況、2例示、3推定または不確実断定、となっていて、両書とも、他に「願望/目標・目的」、「指示的な用法/婉曲な表現」の項目もありますけど、「鬼のような」「カレーのような」は1に分類され、「バールのような」は2ではなかろうかと思うのですが、どうなのでしょうか?ticky 2004年8月26日 (木) 07:04 (UTC)[返信]

リダイレクトの提案[編集]

興味深く読ませていただきました。以下に「清水氏の著作のパクリ」等の意見がありますが、大多数の一般利用者にとっては彼の著作どうのこうのは一切関係が無く、本項そのものに価値を見いだしているとおもいます。この記事が独立した客観性を保っているか、百科事典に載るに値するかどうかのみを判断の基準とするべきでしょう。「清水」という言葉を持ち出す時点で全くお門違いだと思います。また、少し考えれば「誰かにネタにされたことは、(それを知らない人も含めて)ネタにしてはいけない」等というルールが存在しないことは自明です。さらに、ある意味普遍性を獲得していた言葉について、誰がそれをネタに利用し始めた等と言うことは全く意味を持たない議論です。ということで、私はこの記事自身に価値を見いだしているため、削除などの処置にはに反対します。以上の署名の無いコメントは、122.17.218.100会話/whois)氏が[2007年5月21日 (月) 20:55 (UTC)]に投稿したものです(Ohuraによる付記)。[返信]

清水の本のパクリ。項目としての意義はない。 --Eroro 2005年4月3日 (日) 14:17 (UTC)[返信]

同様の例としては「拳銃のようなもの」があるが、まさか項目を立てる人はいないであろう。つまり、清水義範との関連でのみ意味を持つ項目なので、清水義範の項目に内容を移し換え、リダイレクトにしてはいかがでしょうか? --Eroro 2005年4月17日 (日) 15:08 (UTC)[返信]

清水義範の小説との関連以外に意味を持たない項目との意見に基本的に賛成します。本文の構成を変えて、『バールのようなもの』という短編小説(および短編集)に関する記事としてはいかがでしょうか。NDR 2005年4月18日 (月) 03:00 (UTC)[返信]

どうも、この記事を最初に立てた者です。確かに初版は思いつき先行のおふざけででっち上げたもので、まさに記事のようなものであり、これは清水義範氏のパクリと言われても仕方ない出来ですが、その後に全面的に改稿されて、事実に即した結構まともな記事になっていると思います。この記事の存在意義についてあえて強弁すると、「バールのようなもの」は決して清水作品内部で完結しているような言葉ではなく、また清水氏の造語でもなく、現に犯罪事件報道で「バールのようなもの」が使われているのだし、そのことについて淡々と記述しているので、作品本位ではなく事実に即した記事となっています。本文中でちゃんと本物のバールについての説明(写真つき)や、ニュース特有の曖昧にぼやかした言葉であるとの解説もあり、誤解の余地もないでしょう。(その意味で作品記事化するのは、むしろネタ記事への後退だと思います)
また、「バールのようなもの」は清水作品でネタにされてからはかなり広まって、様々なネタ、パロディとして一人歩きし、ネット検索でも相当数がヒットする言葉となっています(ついでに言えば、google検索ではウィキペディアがトップに来てます…)。ついでに「バールのようなもの wikipedia」で検索してみると、この項目は結構外部からの参照が多く、おおむね好意的に受け入れられているようです。上等な記事としてではなく珍妙な記事としての反応ですが、このまま消すのは惜しい記事であると考える次第です。--Charon 2005年4月20日 (水) 12:31 (UTC)[返信]
再び反対意見。前半3分の1(写真など)はバールで説明すれば十分である(吸収可能)。後半3分の1については、清水義範の項目に説明すれば十分である(吸収可能)。では残り3分の1は、といえば、このノートにも記載されているとおり、別に間違った用例ではない。つまり内容の無い項目であり、独立した項目にする意義はないと考えます。 --Eroro 2005年4月20日 (水) 15:15 (UTC)[返信]
付け加えるならば、百科事典の項目を「ウケるかどうか」で判断するのは間違いではないかと思います。 --Eroro 2005年4月20日 (水) 17:12 (UTC)[返信]
「内容が無い」というのは話が反対でしょう。この記事を成り立たせているいくつかの要素を分解し、抜き取っていけばどんな記事でも無意味にできてしまうだけのこと。例えば専門的な良記事電波望遠鏡について言えば、アンテナ関係はアンテナに、天体観測関係は電波天文学に……という具合に吸収していけば残るのは断片的な記述に過ぎず、独立項目として立てる価値はない、というように、どんな記事でも否定できます。それに、折田先生像のノートでも言われたことですが、こちらが反論するたびに削除すべき理由をコロコロ変えるのでは、とても付き合いきれませんよ。--Charon 2005年4月21日 (木) 13:05 (UTC)[返信]
独立した項目として、果たして何の意義があるのでしょうか。 --Eroro 2005年4月21日 (木) 14:01 (UTC)[返信]

いきなり根源的な質問を投げかけられても困りますね。禅問答です。意義があるといえばどんな記事にも存在意義があるし、無いと言えばたとえ秀逸記事であろうと無い…などと悟ったようなことを言ってもしょうがないので、とりあえず私の思う存在意義を列挙しておきます。

  • 今「バールのようなもの」についてざっと検索をかけてみたが、意外ときっちり解説しているページが見当たらない。清水義範氏の著作があまりにも強烈なためか、それを面白がって主人公と同様のうろたえを演出する紹介記事か、「火星でバールのようなものが発見されました」なるニュースに「吾輩はバールのようなものである」というようなパロディが多数で、あとは清水作品の書誌情報です。そこにこういうことを解説した記事があってもいいと思います。現にウィキペディアが[1]で紹介されているなど、きっちりした説明の需要は少なくともあるようです。
  • 単純に「ウケ」を取れること。私はウケを取ること自体は悪いこととは思っていません。虚偽や純然たる悪ふざけによってではなく、「常識からいってしょうもないことを真面目くさって百科事典的に解説する」ということの面白みの追求です。「バールのようなもの」の現在の版は、改善の余地はあるもののその好例だと思います。「ウィキペディアには、専門用語からバールのようなものの記事まである」という感じで紹介されることもあり、収録内容の幅広さ、懐の深さをアピールする効果もあります。もっとも、これは最初に着目した清水氏が偉大なのであってウィキペディアの手柄ではありませんが。

--Charon 2005年4月21日 (木) 14:29 (UTC)[返信]

特に哲学的になるまでもなく、「百科事典に『バールのようなもの』という項目は必要か、否か」と自ら問いかけてみればよいでしょう。私の内なる声は「必要ない」と言っております。さて、例に挙げていただいた項目の「電波望遠鏡」ですが、次の項目からリンクが張られており、参照の必要性が高いものだとわかります。
ベル研究所、電磁波、天文台、マーズ・エクスプレス、天体望遠鏡、1 E7 m、1 E6 m、

地球外知的生命体探査、クエーサー、臼田町、望遠鏡、電波天文学、天体物理学、宇宙塵、クレオパトラ (小惑星)、電波望遠鏡(月間新記事賞、索引などからのリンクは除く)

しかるにバールのようなものに張られたリンクは、利用者を除けば「バール」「清水義範」のみです。(そのうち立川志の輔にも?)また、これ以上、記事の内容に発展する余地があるとは考えられません。従って、Wikiの発展に貢献するところのない記事だと愚考する次第であります。 --Eroro 2005年4月22日 (金) 11:16 (UTC)[返信]

百科事典に必要かと問うなら、あなたの関わっているエロ記事こそ真っ先にその疑問が突きつけられるのではありませんか? まあオタク記事も同様だけど。私は上記の理由でこの記事は(イロモノではあるけど)必要であると考えているので、削除、リダイレクト化の必要はないと認識しています。だからこうして反論しているわけで。参照に関しても、外部から相当数の参照があることを示しています。(大体リンクを削ったのはあなたでしょう)--Charon 2005年4月22日 (金) 14:22 (UTC)[返信]

エロ記事については、個人的に無くなってもよいと思っていますが、今のところWikiでは排除されていません。例えばソープランドの記事でも、過去にどうしようもないレベルの文章が書かれていたため、少しでも客観的なものとなるよう、手を入れたという経緯であります(もちろん、まだまだ不十分と思いますので、お気づきの点については、加筆訂正いただくか、ノートにでも書いていただければ幸いです)
外部から参照があるから有意義だ、と言われますが、「仁義なきキンタマ」という項目がもし存在すれば、おそらく相当数の外部参照があると思います。必要ですか?
リンクを削ったのは、「必要ない」と思ったから消したまでで、通常の編集の範囲です。(他にも消されている方がいます) --Eroro 2005年4月23日 (土) 18:13 (UTC)[返信]

あのー、そういうことではなく最初にリンクを削って回った本人が「リンクが少ないから」と否定材料にするのはマッチポンプではないか、と思うのですが。まあ、電波望遠鏡と比較して有用性、発展性、被リンク数が劣ることは事実ですが、それはどんな百科事典にも必須な、良記事の部類に入る項目と比較するからそうなるのであって、バールのようなもの以外にこれより被リンク数、文章量の少ない項目がそれだけをもって削除理由にならない以上、まったく理由にもなりません。本記事の清水義範への統合案にしても、現状の記事は清水作品ありきのものではなく、何人かの加筆によって、報道用語としての解説が主、清水作品紹介が従の関係になっているので、初版はともかく現在の版にはあてはまらないでしょう。

それに、仮に「仁義なきキンタマ」なる記事が立ったとしても、私にはあまり興味のない(知識もろくにない)分野なのでとくに干渉しませんよ。どこかからのコピペで著作権侵害になっていたり、「……は有名なコンピュータウィルス」みたいな定義未満の一行記事であれば削除依頼を出しますが、そうでない限り、電子情報流出関係のしっかりした記事になっていれば別にあってもかまわないと思います。基本的に記事の削除は、他者の著作権を侵害していたり、記事になってないスタブ未満に個人情報の露出など明確な理由がなければ削除すべきではないと考えています。--Charon 2005年4月24日 (日) 14:37 (UTC)[返信]

あんまり関係無さそうな気がするんですが(^^; Konoa is minority(ノート) 2006年9月22日 (金) 06:22 (UTC)[返信]

「報道で使われるあいまいな表現」として、関連があると思ったので、関連項目としてみたのですが(^。^)--Fuwuyuan 2006年9月25日 (月) 22:24 (UTC)[返信]

読者の立場から見ると、報道現場で用いられているやや特異な表現手法として、この2記事は私個人としてはおもしろく興味深い情報でした。関連項目としてあってもいいと思いますよ。--朝彦 2006年9月26日 (火) 06:01 (UTC)[返信]
なるほど了解しました。Konoa is minority(ノート) 2006年9月28日 (木) 13:21 (UTC)[返信]

独自研究テンプレート[編集]

独自研究テンプレートを付けました。一見おもしろい記事ではありますが、記事の根拠となる検証可能な出典が一つもなく、独自研究の域を出ていないと言わざるを得ないと思います。--まじかんと 2008年9月13日 (土) 03:36 (UTC)[返信]

「一つもない」は嘘でしょう、警察発表の「バール様のもの」という表現がきちんとリンク付きで出ていますから...。ただし、記事の根拠は出典だけでなく、事実の積み重ねによっても証明可能ではないでしょうか。もっとも、私はそれを根拠にテンプレートを外す気はありませんが。Liner 2008年9月14日 (日) 15:29 (UTC)[返信]

う~ん、本文に出ている[2]は「バール様のもの」という語句が使われているという一つの実例にはなっても、「警察での記者発表や調書においては「バール様(よう)のもの」と発音・表記される」ことの根拠としてはかなりツラいと思います。「実例」として本文に挙げられている Google 検索についても、それぞれ数件~数十件程度しかヒットしないし。あと、ウィキペディアでは事実が事実であることを証明するために出典を挙げるという方針をとっているので、単に事実があるというだけでは根拠として認めがたいです。もっとも、出典を挙げにくいというのもわかりますが。

何というか、今のこの記事にはどこかユーモアを感じるんですよね。でもウィキペディアはアンサイクロペディアではないので……。--まじかんと 2008年9月16日 (火) 12:07 (UTC)[返信]

ユーモアを感じるとの事ですが、自分としては「しばしば冗談として『細長い鈍器』の事を『バールのようなもの』と指す場合がある」等の記述が必要だと思います、その手の記述が無い為に記事全体が冗談めいてる様に見えるのでは無いでしょうか?記事として間違ってはないとは思うのですが…。--Elcjp 2008年11月24日 (月) 16:34 (UTC)[返信]