ノート:パリ大賞典
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2024-07-06 11:39:42 の編集に関して。
[編集]- (1867年)「皇帝ナポレオン3世のほか、ロシア皇帝アレクサンドル2世とその姫、ベルギー王レオポルド2世と王妃、そして王太子の姿もあった」
- 姫って誰だろう、マリア・アレクサンドロヴナ (ザクセン=コーブルク=ゴータ公妃) でしょうか。ただ出典として付されたフランスギャロのサイトには“Napoleon III, Tsar Alexandre II, King Leopold II, the Belgian Queen and the Prince and Princess of Prussia.”としかないようです。アーカイブされる前は記述があったとか?
- (1886年)「サラブレッド・ヘリテイジの記述が「5馬身」と齟齬がある」
- サラブレッドヘリテイジのミンティングのページに着差に関する記述はないように見えます。
- (1904年)「4月のはじめにフランスダービーの前哨戦の一つであるジャンプラ賞 [この「ジャンプラ賞」は、現在のジャンプラ賞とは全く別物である。フランスダービーの前哨戦であるビエンナル賞 (Prix Biennal) が、1904年には「ジャンプラ賞」と呼ばれていた。] に勝った」
--霧木諒二(会話) 2024年7月6日 (土) 12:42 (UTC)
- 返信 うーん。これは完全に私ですね。ただ、当時の記憶はもはや皆無です。とりあえず
- いろいろ調べたり考えたりした結果、原文の末尾の「Princess of Prussia」を「Princess of ロシア」と誤読した、というのが一番ありそうな気がします・・・というか、「the Belgian Queen and the Prince and Princess of Prussia」部を、「(1)ベルギー王妃 (2)その王子 (3)ロシアの姫」と訳しちゃっているような。正しくは「(1)ベルギー王妃 (2)(3)プロシアの王子と王女」ですよね、これ・・・
- アーカイブサイトには2012/03/30版[3]もありますけど、そこにも姫なんていないし、まあ2012/03/30と2013/09/27の間にだけ「姫」が追記されていた、と考えるのは無理がありますね。
- 『競馬の世界史』には1867年の回次についての詳細はなし。
- (当時は所持してなかった)『Horse-Racing in France』の当該年次の項を眺めると、出走各馬のことはもうちょっと詳しく書かれているものの、臨席した貴人についての記述はない。
- 他の件についてはまた後日・・・うーん・・・--柒月例祭(会話) 2024年7月6日 (土) 14:28 (UTC)
- いろいろ調べたり考えたりした結果、原文の末尾の「Princess of Prussia」を「Princess of ロシア」と誤読した、というのが一番ありそうな気がします・・・というか、「the Belgian Queen and the Prince and Princess of Prussia」部を、「(1)ベルギー王妃 (2)その王子 (3)ロシアの姫」と訳しちゃっているような。正しくは「(1)ベルギー王妃 (2)(3)プロシアの王子と王女」ですよね、これ・・・
- 返信 ミンティングについてはTヘリテイジに「Dawson was able to recoup his forfeited wager on the Derby by betting on Minting for the Grand Prix, which he won easily by five lengths.」とあり、これが「5馬身」の出どころだと思います・・・(自信なし)--柒月例祭(会話) 2024年7月6日 (土) 14:42 (UTC)
- 返信 即レスありがとうございます。
- (1867) フランスギャロの記述は仰るとおり「ナポレオン3世、アレクサンドル2世、レオポルド2世とベルギー王妃、プロイセンの王子と王子妃(もしかしたら王女)」が正しそうに思います。ロシア大公女の代わりにプロイセンの王子と王子妃って誰問題が発生しましたが。
- 当時の報道を探してみたところ、[“Courses au Bois de Boulogne.” (フランス語). La Patrie. フランス国立図書館. (1867年6月4日) 2024年7月7日閲覧。] に以下の記述を見つけました。Au premier rang étaient placés: au centre, la reine des Belges, ayant à sa droite l'emperieur de Russie et à sa gauche l'Empereur Napoléon III; près de ce dernier était le roi des Belges et du côté opposé le prince de Prusse et la princesse Murat. La princesse de Prusse, professant la religion anglicane, s'était abstenue en raison de la solennité du dimanche.
Au second rang, se trouvaient les deux grand-ducs de Russie, Alexandre et Wladimir; la grande-duchesse Marie de Russie et sa fille, la princesse Mathilde, le duc de Leuchtenberg et le prince Murat.(後略。廷臣の名前が挙げられています)- ナポレオン3世と、名前が確実な外国からの来賓としてアレクサンドル2世・レオポルド2世(とマリー=アンリエット王妃)だけにするのが無難かもしれません。
- 当時の報道を探してみたところ、[“Courses au Bois de Boulogne.” (フランス語). La Patrie. フランス国立図書館. (1867年6月4日) 2024年7月7日閲覧。] に以下の記述を見つけました。
- (1886) すいません、これは完全に私の眼が節穴でした。サラブレッドヘリテイジにちゃんと“five lengths”って書いてありますね…。余計な面倒をかけて申し訳ないです。ただフランスでも2馬身 (deux longueurs) と報じられてはいます [“GRAND PRIX DE PARIS.” (フランス語). Le Jockey. フランス国立図書館. (1886年6月7日) 2024年7月7日閲覧。]。
- (1867) フランスギャロの記述は仰るとおり「ナポレオン3世、アレクサンドル2世、レオポルド2世とベルギー王妃、プロイセンの王子と王子妃(もしかしたら王女)」が正しそうに思います。ロシア大公女の代わりにプロイセンの王子と王子妃って誰問題が発生しましたが。
- --霧木諒二(会話) 2024年7月7日 (日) 10:06 (UTC)
- 返信 即レスありがとうございます。