ノート:ピアノ協奏曲第1番 (チェレプニン)
表示
改名提案
[編集]括弧内がチェレプニンになっていますが、ニコライ・チェレプニンとアレクサンドル・チェレプニンはロベルト・シューマンとウィリアム・シューマンのように片方が突出して有名ではなくGoogleの検索結果[1]、[2]でもほぼ同じような知名度のためピアノ協奏曲第1番 (アレクサンドル・チェレプニン)への改名を提案します。なお改名後による残骸は不要と思いますので削除を提案致します。--Louis XX(会話 / 投稿記録) 2016年1月30日 (土) 12:38 (UTC)
- (反対より) ニコライのピアノ協奏曲第1番という記事を作る予定ならば構わないかと思いますが、そうでないなら不要だと思います。また、この記事も単独で存在するほどの内容があるかというと無いように思います(作曲者記事への統合)。そういう意味で削除は賛成です。--Bellis(会話) 2016年1月30日 (土) 14:50 (UTC)
- コメント 括弧内がチェレプニンだけですとピアノ協奏曲の一覧、カテゴリ、記事名をみただけではニコライの作品と誤解されかねないので閲覧者のためにも名前を入れて父親と区別した方が良いと思います。また、内容についても出典になりそうなBISとオリンピアのライナーノーツを基に加筆したところで単独記事として成立する内容には程遠いので、1週間経過して他に意見がないようでしたらリダイレクト化を実行したいと思います。なお当方は先日交響曲第1番 (アレクサンドル・チェレプニン)を作成しましたが、ニコライが交響曲を作曲していないのでしたらこちらも改名した方が宜しいのでしょうか?--Louis XX(会話 / 投稿記録) 2016年1月31日 (日) 06:09 (UTC)
- 賛成 改名に賛成します。統合には反対です。記事が発展するのを待ちたいと思います。交響曲第1番 (アレクサンドル・チェレプニン)の改名には反対です。ニコライが交響曲を作曲していない、ということは詳しい人にしか分りません。ヨハン・シュトラウス2世やヨーゼフ・シュトラウスが交響曲を作曲していないからと言って、交響曲第2番 (リヒャルト・シュトラウス)が単に「交響曲第2番 (シュトラウス)」という記事名だったら不親切です。--Gruppetto(会話) 2016年1月31日 (日) 12:31 (UTC)
- 親切・不親切でいうと、どちらでも大して変わりはしない。ちょうどGruppettoさんが例にあげたシュトラウスの記事ですと、英語版だとSymphony No. 2 (Strauss)、フランス語版だとSymphonie nº 2 (Richard Strauss)。そんな程度の話です。どうでもいいことに手間をかけるのはやめたほうがいい。移動して削除する手間をかけるのは記事が充実してから考えても遅くはないかと。とはいえ、やめろという程の強い意味合いの反対ではなかったので反対よりとちょっと弱めの意見表明としています。まあ、お好きにどうぞ。--Bellis(会話) 2016年2月8日 (月) 12:32 (UTC)
- 賛成 改名に賛成します。統合には反対です。記事が発展するのを待ちたいと思います。交響曲第1番 (アレクサンドル・チェレプニン)の改名には反対です。ニコライが交響曲を作曲していない、ということは詳しい人にしか分りません。ヨハン・シュトラウス2世やヨーゼフ・シュトラウスが交響曲を作曲していないからと言って、交響曲第2番 (リヒャルト・シュトラウス)が単に「交響曲第2番 (シュトラウス)」という記事名だったら不親切です。--Gruppetto(会話) 2016年1月31日 (日) 12:31 (UTC)
- 賛成 --まっきんりい(会話) 2016年2月5日 (金) 07:57 (UTC)
- 反対 チェレプニン親子の作品について、ニコライの作品は嬰ハ短調の1曲のみで通し番号はなく、アレクサンドルのものは第6番まであるのでジャンル群を成しています。ニコライの作品を立項する場合には、息子のジャンル群と区別するために「ピアノ協奏曲 (ニコライ・チェレプニン)」と書くべきでしょう。しかし、チェレプニンのピアノ協奏曲第1番といえば、アレクサンドル・チェレプニンのピアノ協奏曲第1番と同定でき、本文にもアレクサンドル・チェレプニンの作品であると明記してあるので、この表記で問題ないと考えます。むしろ、「ピアノ協奏曲第1番 (アレクサンドル・チェレプニン)」と書くことで、ニコライにも同様のジャンル群が存在するのではという憶測を生むことを危惧します。なお、同様の危惧から、「交響曲第1番 (アレクサンドル・チェレプニン)」も「交響曲第1番 (チェレプニン)」のほうが望ましいと考えます。父ニコライはシンフォニエッタなる作品を書いているものの、「交響曲」を名乗る作品は見つかっていません。それでなお誤認リスクがあるというのであれば、チェレプニン親子それぞれの作品目録を充実させて全体像を俯瞰したうえで、熟慮して作品の記事を立てるべきと考えます。--ワンツスリッフォー(会話) 2016年2月12日 (金) 10:52 (UTC) 一部修正。--ワンツスリッフォー(会話) 2016年2月12日 (金) 17:43 (UTC)
- コメント 1週間以上経過しましたが、あと5日程度待って再反論がないようでしたら改名を行いないと思います。--Louis XX(会話 / 投稿記録) 2016年2月8日 (月) 00:48 (UTC)
- 返信 (ワンツスリッフォーさん宛) それですと記事名を見ただけではニコライが第1番と嬰ハ短調を作曲したのか或いはアレクサンドルが第1番と嬰ハ短調を作曲したのか判然としないので、混同を避ける意味でも苗字は付けた方が良いと思います。--Louis XX(会話 / 投稿記録) 2016年2月12日 (金) 11:45 (UTC)
- 返信 アレクサンドルのピアノ協奏曲の方は通し番号つきで出版されているので、通し番号なしのピアノ協奏曲が出てくることはありません。ニコライのピアノ協奏曲は、嬰ハ短調の一曲しか作っていないので、番号付きの「チェレプニン」の協奏曲(や交響曲)は、自ずとアレクサンドルの作品だということになろうかと思います。現状、Wikipedia内で「チェレプニン ピアノ協奏曲」で検索しても、この項について「ピアノ協奏曲第1番作品12は、アレクサンドル・チェレプニンにより、1918年から1919年にかけて作曲したピアノ協奏曲。」と明記されて出てくるので、ニコライの作品なのか、アレクサンドルの作品なのか判然としないということはないと思われます。--ワンツスリッフォー(会話) 2016年2月12日 (金) 17:43 (UTC)
- 返信 (ワンツスリッフォーさん宛) 返信が1ヶ月以上遅れてすみません。Gruppettoさんのコメントと多少重複しますが、交響曲を一切作曲していないシュトラウス家との混同を避けるためリヒャルト・シュトラウスが作曲した番号付きの2作目の交響曲が交響曲第2番 (リヒャルト・シュトラウス)として起稿されている以上名を付けて曖昧さを回避することはジャンルに関係なく必要だと思います。--Louis XX(会話 / 投稿記録) 2016年3月3日 (木) 15:13 (UTC)
- 返信 (ワンツスリッフォーさん宛) わたくしも一言申し上げますと、「ニコライのピアノ協奏曲は1曲のみなので番号なし、アレクサンドルは6番まである。番号付きのチェレプニンの協奏曲(や交響曲)は、自ずとアレクサンドルの作品だ」といったことは知らない人の方が圧倒的に多数だと思われます。改名によって大きな不都合や問題が生じるとは思えません(「ニコライにも同様のジャンル群が存在するのではという憶測」が生じるのも、一定以上の知識と興味のある人ではないでしょうか。そういう人なら自力で調べるでしょう。)。百科事典はあくまでごく普通の人の利便性を重視するべきと思いますが、いかがでしょうか。--Gruppetto(会話) 2016年3月3日 (木) 16:15 (UTC)
- 返信 Louis XXさん、Gruppettoさん返信ありがとうございます。私としては、現行の記事で混同が起こるということはないと思います。先に申しましたように、まず記事内でアレクサンドルの作品であることが明記されているからです。さらに、ほかのチェレプニンの名前で「ピアノ協奏曲第1番」が作られていないからです。今後チェレプニンを名乗る人が「ピアノ協奏曲第1番」を作った時に、改めて混同の可能性が出てきたとして提案すればいいのではないでしょうか。ごく普通の人の利便性を重視するべきという意見はごもっともだと思います。そう考えると、記事内でアレクサンドルの作品であることが明記されている以上、「ピアノ協奏曲第1番 (アレクサンドル・チェレプニン)」という見出しよりも、「ピアノ協奏曲第1番 (チェレプニン)」のほうがパッと見でわかりやすいと思います。むしろ、利便性を重視するのであれば、Bellisさんが指摘しているように、閲覧者の調べものの参照として役立つ記事になるよう育てることが先かと考えます。--ワンツスリッフォー(会話) 2016年3月9日 (水) 15:34 (UTC)
- 返信 (ワンツスリッフォーさん宛) 「パッと見でわかりやすい」ことを優先するとクラシックに関して一定以上の知識を有する人達にとっては確かに利便性が上がりますが、クラシック初心者やあまり知識がない人達にとってはあまり利便性が上がらず却って敷居が高くなるだけだと思います。また、調べた限りイワンは番号付きのピアノ協奏曲を作曲しておらず、セルゲイも現時点で作曲していませんが、だからといって「ピアノ協奏曲第1番 (アレクサンドル・チェレプニン)」を排除する理由はないと思います。--Louis XX(会話 / 投稿記録) 2016年3月13日 (日) 12:42 (UTC)
- 返信 私の意見は、「ピアノ協奏曲第1番 (アレクサンドル・チェレプニン)」の「排除」ありきという意見ではありません。現状では「ピアノ協奏曲第1番 (アレクサンドル・チェレプニン)」に変更して現行の記事名を削除する積極的意義が感じられないというのが、私の反対意見の骨子です。記事内で冒頭にアレクサンドルの作品であると明記してある以上、現行の見出しでどういう弊害が生じるのかが、私にはどうも不明瞭です。どうしても取り違えが起きるというのであれば、取り違えが起きないように記事を加筆すればいいのではないでしょうか。私自身は、「ピアノ協奏曲第1番 (アレクサンドル・チェレプニン)」とすることによって、「ピアノ協奏曲第1番 (イワン・チェレプニン)」や「ピアノ協奏曲第1番 (セルゲイ・チェレプニン)」も存在するから「ピアノ協奏曲第1番 (アレクサンドル・チェレプニン)」と書いているのかと、調べ物をしている人であれば考えてしまうのではないかと思います。「ピアノ協奏曲第1番 (チェレプニン)」という見出しは、何某のチェレプニンという人が作ったピアノ協奏曲第1番がアレクサンドルの作品に同定されるという現状に沿うので、「ピアノ協奏曲第1番 (アレクサンドル・チェレプニン)」と書くことで利便性が上がり、調べ物をする人の敷居を低くするとは思えません。「改名後による残骸は不要と思いますので削除を提案します」という貴殿の提案にも、首肯しかねるところがあります。仮に、セルゲイや、別のチェレプニンの姓を名乗るほかの作曲家が「ピアノ協奏曲第1番」を作った時は、その時に「ピアノ協奏曲第1番 (チェレプニン)」は、曖昧さ回避のページとして生かせると思います。--ワンツスリッフォー(会話) 2016年3月13日 (日) 17:29 (UTC)
- 返信 (ワンツスリッフォーさん宛) 同姓で番号付きの楽曲がないものとしては他に「交響曲第2番 (リヒャルト・シュトラウス)」がありますが、「交響曲第2番 (ヨハン・シュトラウス1世)」や「交響曲第2番 (ヨハン・シュトラウス2世)」も存在すると思う人はいないと思います。それと同じように「ピアノ協奏曲第1番 (アレクサンドル・チェレプニン)」への改名が他のチェレプニン一族の番号付き記事が存在するのではという憶測は、クラシック初心者かある程度の知識がある人であれば生まれない思います。また、「取り違え」は記事を加筆してもしなくてもあまり関係ないと思います。
。--Louis XX(会話 / 投稿記録) 2016年3月14日 (月) 03:27 (UTC)- 返信 例示していただいた「交響曲第2番 (リヒャルト・シュトラウス)」では、先にGruppetto、Bellis両氏のやり取りの中で、英語版で「Symphony No. 2 (Strauss)」として記事が作成されていることが示されていますね。これに倣えば、別に取り違えられる可能性がない(あるいは低い)のであれば、現行でも問題なく、敢えて「ピアノ協奏曲第1番 (アレクサンドル・チェレプニン)」にすべき理由にならないと思います。改名は「ピアノ協奏曲第1番 (アレクサンドル・チェレプニン)」にしなければならないほどの不都合が生じた時に、改めて議論すべきと考えます。--ワンツスリッフォー(会話) 2016年3月14日 (月) 04:45 (UTC)
- 報告 議論が平行性を辿りつつあるのでコメント依頼を提出致しました。--Louis XX(会話 / 投稿記録) 2016年3月15日 (火) 01:15 (UTC)
- コメント(賛成より)「英語版で「Symphony No. 2 (Strauss)」として記事が作成されていることが示されていますね。これに倣えば、別に取り違えられる可能性がない(あるいは低い)」というのはどうなんでしょうね。「不満に感じているが言い出さなかっただけ」(今の議論のように)かもしれませんし。もしも同じような議論が英語版で行われていて、その上で却下されたと言うなら別ですが。また、「パッと見」でも改名後の方が分かりやすいと思うのが『「ニコライのピアノ協奏曲は1曲のみなので番号なし、アレクサンドルは6番まである。番号付きのチェレプニンの協奏曲(や交響曲)は、自ずとアレクサンドルの作品だ」といったことは知らない』一般人としての自分の意見です。--Mercurius(会話) 2016年3月16日 (水) 07:56 (UTC)
- 返信 上の議題提起におけるチェレプニン親子の検索結果(現状ではアレクサンドルのほうが8,410件、ニコライのほうが7,250件)を勘案するに、ヒット件数が両者とも6桁どころか5桁に届いていない状況では、そもそも「チェレプニン」なる作曲家の存在が一般的に認知されているかどうか疑わしく、「ピアノ協奏曲第1番 (チェレプニン)」がどのチェレプニンの作品かわからないという苦情が出て来にくいのではないでしょうか。むしろ、そういう苦情を出してくる人は、Gruppettoさんのいう「一定以上の知識と興味のある人」ではないかと推察します。しかし、そのような苦情は、記事の最初にアレクサンドルの作品だと明記してあるので、すぐに解消されるかと思います。リヒャルト・シュトラウスの例に即する形で別の例を出せば、日本語版にある「交響曲 (フランク)」は、エドゥアルト・フランクも交響曲を作っているにもかかわらず、セザール・フランクの作品と同定されてしまっています。これはおそらくエドゥアルト・フランクの作品が立項されたときに、不都合な事情が発生したとみなされて適宜議論されるのではないかと思います。「ピアノ協奏曲第1番 (チェレプニン)」に関しても、記事内にアレクサンドル・チェレプニンの作品である旨がきっちり書かれているので、「これがニコライかほかのチェレプニンの作品かわからない」という不都合は生じておらず、現状改名しなければならないようには感じられません。--ワンツスリッフォー(会話) 2016年3月24日 (木) 06:22 (UTC)
- コメント Mercuriusさんのコメントから1週間経過しましたが、あと1週間経過して異論がなければ改名をおこないたいと思います。--Louis XX(会話 / 投稿記録) 2016年3月23日 (水) 13:28 (UTC)
最後に言った者勝ちでしかない。理屈に無い理屈でごねてるだけになっているけど。それでいいのかなと思います。チェレプニンの記事は外国語版では単にチェレプニンとしているケースばかりなのに。現状「Category:ピアノ協奏曲」で、どうにも間違えようがないのですから。ここまでグダグダねばるのなら論点を整理するぐらいのことはしてください。--Bellis(会話) 2016年3月23日 (水) 15:38 (UTC)- コメント Bellisさん、一定以上の賛成意見もある状況で「最後に言った者勝ち」「理屈に無い理屈でごねてるだけ」「グダグダねばる」とかいった感情的な言葉を使うのは雰囲気を悪くするだけなのでおやめ下さい。--Gruppetto(会話) 2016年3月23日 (水) 16:31 (UTC)
- 意味がわからないな。本当のことでしょう。反対意見を出している方は、解決案も示している。「記事の拡充をしましょう」と。それを無視して改名だけをしたがる方々はなんなんだろうと思います。他言語版や他の記事を比較しても、単にチェレプニンという表記が多いのが実際です。それなのに、なんとなーくわかりやすいから。という理由だけで、内容そっちのけで記事名だけをあれこれいじりたがるのは、おかしな考えだと思います。--Bellis(会話) 2016年3月24日 (木) 11:49 (UTC)
- Gruppettoさんが、私は感情を害した不愉快だというのであれば、それはそれで仕方が無いので、取消線を引いておきます。感情論がどうとかには興味がないですし。--Bellis(会話) 2016年3月24日 (木) 12:07 (UTC)
- 取り消した部分を除外して読んでも、Bellisさんが結局仰りたかった「論点を整理するぐらいのことはしてください」は十分に伝わることをご理解頂けますと幸いです。--Gruppetto(会話) 2016年3月24日 (木) 14:55 (UTC)
- そこは違う。--Bellis(会話) 2016年3月24日 (木) 15:26 (UTC)
- 取り消した部分を除外して読んでも、Bellisさんが結局仰りたかった「論点を整理するぐらいのことはしてください」は十分に伝わることをご理解頂けますと幸いです。--Gruppetto(会話) 2016年3月24日 (木) 14:55 (UTC)
- Gruppettoさんが、私は感情を害した不愉快だというのであれば、それはそれで仕方が無いので、取消線を引いておきます。感情論がどうとかには興味がないですし。--Bellis(会話) 2016年3月24日 (木) 12:07 (UTC)
- 意味がわからないな。本当のことでしょう。反対意見を出している方は、解決案も示している。「記事の拡充をしましょう」と。それを無視して改名だけをしたがる方々はなんなんだろうと思います。他言語版や他の記事を比較しても、単にチェレプニンという表記が多いのが実際です。それなのに、なんとなーくわかりやすいから。という理由だけで、内容そっちのけで記事名だけをあれこれいじりたがるのは、おかしな考えだと思います。--Bellis(会話) 2016年3月24日 (木) 11:49 (UTC)
- コメント Bellisさん、一定以上の賛成意見もある状況で「最後に言った者勝ち」「理屈に無い理屈でごねてるだけ」「グダグダねばる」とかいった感情的な言葉を使うのは雰囲気を悪くするだけなのでおやめ下さい。--Gruppetto(会話) 2016年3月23日 (水) 16:31 (UTC)
- 返信 例示していただいた「交響曲第2番 (リヒャルト・シュトラウス)」では、先にGruppetto、Bellis両氏のやり取りの中で、英語版で「Symphony No. 2 (Strauss)」として記事が作成されていることが示されていますね。これに倣えば、別に取り違えられる可能性がない(あるいは低い)のであれば、現行でも問題なく、敢えて「ピアノ協奏曲第1番 (アレクサンドル・チェレプニン)」にすべき理由にならないと思います。改名は「ピアノ協奏曲第1番 (アレクサンドル・チェレプニン)」にしなければならないほどの不都合が生じた時に、改めて議論すべきと考えます。--ワンツスリッフォー(会話) 2016年3月14日 (月) 04:45 (UTC)
- 返信 (ワンツスリッフォーさん宛) 同姓で番号付きの楽曲がないものとしては他に「交響曲第2番 (リヒャルト・シュトラウス)」がありますが、「交響曲第2番 (ヨハン・シュトラウス1世)」や「交響曲第2番 (ヨハン・シュトラウス2世)」も存在すると思う人はいないと思います。それと同じように「ピアノ協奏曲第1番 (アレクサンドル・チェレプニン)」への改名が他のチェレプニン一族の番号付き記事が存在するのではという憶測は、クラシック初心者かある程度の知識がある人であれば生まれない思います。また、「取り違え」は記事を加筆してもしなくてもあまり関係ないと思います。
- 返信 私の意見は、「ピアノ協奏曲第1番 (アレクサンドル・チェレプニン)」の「排除」ありきという意見ではありません。現状では「ピアノ協奏曲第1番 (アレクサンドル・チェレプニン)」に変更して現行の記事名を削除する積極的意義が感じられないというのが、私の反対意見の骨子です。記事内で冒頭にアレクサンドルの作品であると明記してある以上、現行の見出しでどういう弊害が生じるのかが、私にはどうも不明瞭です。どうしても取り違えが起きるというのであれば、取り違えが起きないように記事を加筆すればいいのではないでしょうか。私自身は、「ピアノ協奏曲第1番 (アレクサンドル・チェレプニン)」とすることによって、「ピアノ協奏曲第1番 (イワン・チェレプニン)」や「ピアノ協奏曲第1番 (セルゲイ・チェレプニン)」も存在するから「ピアノ協奏曲第1番 (アレクサンドル・チェレプニン)」と書いているのかと、調べ物をしている人であれば考えてしまうのではないかと思います。「ピアノ協奏曲第1番 (チェレプニン)」という見出しは、何某のチェレプニンという人が作ったピアノ協奏曲第1番がアレクサンドルの作品に同定されるという現状に沿うので、「ピアノ協奏曲第1番 (アレクサンドル・チェレプニン)」と書くことで利便性が上がり、調べ物をする人の敷居を低くするとは思えません。「改名後による残骸は不要と思いますので削除を提案します」という貴殿の提案にも、首肯しかねるところがあります。仮に、セルゲイや、別のチェレプニンの姓を名乗るほかの作曲家が「ピアノ協奏曲第1番」を作った時は、その時に「ピアノ協奏曲第1番 (チェレプニン)」は、曖昧さ回避のページとして生かせると思います。--ワンツスリッフォー(会話) 2016年3月13日 (日) 17:29 (UTC)
- 返信 (ワンツスリッフォーさん宛) 「パッと見でわかりやすい」ことを優先するとクラシックに関して一定以上の知識を有する人達にとっては確かに利便性が上がりますが、クラシック初心者やあまり知識がない人達にとってはあまり利便性が上がらず却って敷居が高くなるだけだと思います。また、調べた限りイワンは番号付きのピアノ協奏曲を作曲しておらず、セルゲイも現時点で作曲していませんが、だからといって「ピアノ協奏曲第1番 (アレクサンドル・チェレプニン)」を排除する理由はないと思います。--Louis XX(会話 / 投稿記録) 2016年3月13日 (日) 12:42 (UTC)
- 返信 (ワンツスリッフォーさん宛) 返信が1ヶ月以上遅れてすみません。Gruppettoさんのコメントと多少重複しますが、交響曲を一切作曲していないシュトラウス家との混同を避けるためリヒャルト・シュトラウスが作曲した番号付きの2作目の交響曲が交響曲第2番 (リヒャルト・シュトラウス)として起稿されている以上名を付けて曖昧さを回避することはジャンルに関係なく必要だと思います。--Louis XX(会話 / 投稿記録) 2016年3月3日 (木) 15:13 (UTC)
- 返信 アレクサンドルのピアノ協奏曲の方は通し番号つきで出版されているので、通し番号なしのピアノ協奏曲が出てくることはありません。ニコライのピアノ協奏曲は、嬰ハ短調の一曲しか作っていないので、番号付きの「チェレプニン」の協奏曲(や交響曲)は、自ずとアレクサンドルの作品だということになろうかと思います。現状、Wikipedia内で「チェレプニン ピアノ協奏曲」で検索しても、この項について「ピアノ協奏曲第1番作品12は、アレクサンドル・チェレプニンにより、1918年から1919年にかけて作曲したピアノ協奏曲。」と明記されて出てくるので、ニコライの作品なのか、アレクサンドルの作品なのか判然としないということはないと思われます。--ワンツスリッフォー(会話) 2016年2月12日 (金) 17:43 (UTC)
- 返信 (ワンツスリッフォーさん宛) それですと記事名を見ただけではニコライが第1番と嬰ハ短調を作曲したのか或いはアレクサンドルが第1番と嬰ハ短調を作曲したのか判然としないので、混同を避ける意味でも苗字は付けた方が良いと思います。--Louis XX(会話 / 投稿記録) 2016年2月12日 (金) 11:45 (UTC)
- (反対)記事名は記事主題がなんなのかを具体的に説明するためのものではありません。記事名は記事の主題を曖昧さなく特定し、他の記事主題と区別するにあたって必要以上に長くない名前であることが望ましいです。「ピアノ協奏曲第1番」は曖昧ですし、「チェレプニン」も曖昧です。しかし、両者を組み合わせた記事名で十分に他の同名のトピックと区別可能です。曖昧さ回避はウィキペディアで解説されているトピックを区別するために行うのであって、世の中に存在するがウィキペディアで解説する対象とならないもの、ましてや世の中に存在すらしないものとの混同を防ぐためのものではありません。他の同類の記事が姓のみで曖昧さ回避を行っているにもかかわらず、本記事を姓名で曖昧さ回避することによって、姓のみの曖昧さ回避では不完全である、つまり他のチェレプニン姓の人物による同名のトピックが存在するとの印象を与えるというワンツスリッフォーさんの懸念は妥当なものだと思います。英語版での記事名に関して、リヒャルト・シュトラウスの作品で曖昧さ回避が必要なものについて姓のみで曖昧さ回避を行っていることについて英語版で議論があったのかというコメントがありますが、英語版では音楽に関する記事名の付け方でクラシックの音楽を作曲家の名前で曖昧さ回避を行う場合、基本的には姓のみで曖昧さ回避するとしており、同姓の作曲家がいても混乱を招かない例として、リヒャルト・シュトラウスの作品(en:Oboe Concerto (Strauss))を挙げています。実際の改名議論の例としては、en:Talk:Also sprach Zarathustra (Strauss)#Disambiguationをご覧下さい。当該議論では、他に同名の作品を書いたシュトラウスはいないという理由で曖昧さ回避を姓だけにする改名が提案され、反対者はいませんでした。--Kusunose(会話) 2016年3月24日 (木) 12:09 (UTC)
- ワンツスリッフォーさんへの 返信 (時系列が混乱しないよう現在いちばん下のここに書きます)ワンツスリッフォーさんが示して頂いた検索数の結果を見ても、ニコライとアレクサンドルの知名度は同程度です。セザール・フランクとエドゥアルト・フランクでは圧倒的にセザールが上ではないでしょうか?また、仰るように「チェレプニン」自体の知名度が低いわけですが、チェレプニンという作曲家を知らなかった人がこの記事にたどり着いた場合、「ピアノ協奏曲第1番 (チェレプニン)」という記事名と「アレクサンドル・チェレプニンにより」という冒頭文から、「ラフマニノフ」=「セルゲイ・ラフマニノフ」であるかのごとく「チェレプニン」=「アレクサンドル・チェレプニン」であるかのような、つまりアレクサンドル一人が歴史に名を残しているかのような誤解を与えることにもなるかと思います。--Gruppetto(会話) 2016年3月24日 (木) 15:43 (UTC)
- 返信 「チェレプニン」=「アレクサンドル・チェレプニン」であるかのような誤解については、「アレクサンドル・チェレプニン」にリンクが張られており、そのリンク先でも「ニコライ・チェレプニン」等のページに飛ぶことができます。また「チェレプニン」で曖昧さ回避のページが作られている点からも、アレクサンドル一人が歴史に名を残しているという即断への予防線は張られていると思います。それでもなおチェレプニンに関する誤解が生じるというのであれば、チェレプニン一族それぞれに関するコンテンツの充実を図って誤解を解くようにしていくべきだと思います。--ワンツスリッフォー(会話) 2016年3月24日 (木) 18:01 (UTC)
- Kusunoseさんの意見について コメント en:Oboe Concerto (Strauss)ですが、英語以外の言語ですとfr:Concerto pour hautbois (Richard Strauss),es:Concierto para oboe (Richard Strauss),nl:Hoboconcert (R. Strauss)そしてオーボエ協奏曲 (リヒャルト・シュトラウス)となっており、姓のみでない曖昧さ回避の例も多いようです。--Gruppetto(会話) 2016年3月24日 (木) 16:08 (UTC)
- 英語版ウィキペディアの情報はMercuriusさんが、「もしも同じような議論が英語版で行われていて、その上で却下されたと言うなら別ですが。」とおっしゃった点について、実際に英語版では却下されているということを示したものです。他の言語を挙げるなら、その言語で記事名に関してどのような合意が成立しているかを教えていただければ参考になりますが、単に姓のみ、あるいは姓名で曖昧さ回避している記事の数を数えて、多い、少ないといっても参考にはならないでしょう。en:Also sprach Zarathustra (Strauss)(wikidata:Q35720)では、Gruppettoさんの挙げたフランス語版もスペイン語版もオランダ語版も単に「(Strauss)」を曖昧さ回避の語句として使用していて、その他の言語版でも姓のみでない曖昧さ回避の例はわずかです。--Kusunose(会話) 2016年3月24日 (木) 16:57 (UTC)
- 返信 (Kusunoseさん宛) フランス語版ではfr:Concerto pour hautbois (Richard Strauss)だけでなくfr:Concertos pour cor (Richard Strauss)、オランダ語版ではnl:Hoboconcert (R. Strauss)だけでなくnl:Hoornconcert nr. 2 (R. Strauss)、nl:Metamorphosen (R. Strauss)でも名が使われていることから、姓名で曖昧さ回避するか結論が出ていない言語版も多いと思います。--Louis XX(会話 / 投稿記録) 2016年3月29日 (火) 03:49 (UTC)
- この方面の話題は、「ヨハン・シュトラウス2世やヨーゼフ・シュトラウスが交響曲を作曲していないからと言って、交響曲第2番 (リヒャルト・シュトラウス)が単に「交響曲第2番 (シュトラウス)」という記事名だったら不親切です」[3]という、意見から始まったものですが、その直後の「どちらでも大して変わりはしない。ちょうどGruppettoさんが例にあげたシュトラウスの記事ですと、英語版だとSymphony No. 2 (Strauss)、フランス語版だとSymphonie nº 2 (Richard Strauss)。」[4]で、完結したものと思っています。どちらかに決める理由にはならないのだから、改名の(賛成/反対の両方の)根拠にしてはいけない。--Bellis(会話) 2016年3月29日 (火) 11:36 (UTC)
- コメント 仏語版と日本語版には「リヒャルト」がついているのに、なぜ完結したことになるのでしょうか?Bellisさんが「完結した」と個人的に思ったからといって、他の人にまでそれを押し付けられても困りますが…。各国語版は英語版に従うべし、といったような規則はありません。--Gruppetto(会話) 2016年3月29日 (火) 13:43 (UTC)
- えーと、Gruppettoさんの意見を言い換えると、「日本語版とフランス語版では姓名を使っているから姓名をつかうべきである。英語版では姓だけを使っているけど無視する。」ですかね。--Bellis(会話) 2016年3月29日 (火) 14:04 (UTC)
- 「姓名を使っている版も姓だけを使っている版もあり、一概にどちらが正しいとは断定できない。日本語版は日本語版で議論すべし」ですが。--Gruppetto(会話) 2016年3月29日 (火) 14:10 (UTC)
- それならば、「プロジェクト‐ノート:クラシック音楽/ページの移動・削除・統合・分割へ議論場所を移す。」が適当そうです。--Bellis(会話) 2016年3月29日 (火) 15:45 (UTC)
- コメント 議論が出尽くした感があるのでこのまま議論しても埒が明かず、プロジェクト‐ノート:クラシック音楽/ページの移動・削除・統合・分割に移すことをそろそろ考えていましたが、反対派とはいえワンツスリッフォーさんやKusunoseの意見も聞いておきたいので3、4日程度待ちたいと思います。--Louis XX(会話 / 投稿記録) 2016年3月29日 (火) 23:43 (UTC)
- コメント作品の名前に添えるカッコ内に姓だけを使うことによって、その姓を名乗る人の作った件の作品をこのページで解説する作品に収斂させることができると考えます。現段階では、チェレプニンという人の作った「ピアノ協奏曲第1番」という作品は、アレクサンドル・チェレプニンの作った作品しかないので、現状の表記でチェレプニンという人の作った「ピアノ協奏曲第1番」という作品はアレクサンドル・チェレプニンの作った作品だということに収斂できるというわけですね。今後、ほかのチェレプニンを名乗る人が同名の作品を作った場合は、Template:Otherusesでほかのチェレプニンの作品に誘導できますし、その時にほかのチェレプニンを名乗る何某の「ピアノ協奏曲第1番 (何某・チェレプニン)」の記事を作り、「ピアノ協奏曲第1番 (アレクサンドル・チェレプニン)」に移動させたうえで、転送ページ化したこのページを曖昧さ回避のページにすることも出来ます。こうした施策は、ほかのチェレプニンを名乗る人が作って不都合が生じたときにすればよいことです。「ピアノ協奏曲第1番 (アレクサンドル・チェレプニン)」への移動は、他のチェレプニン姓の人物の記事が作られているのかといういらぬ憶測を生むことにもなりかねないので、今すべきことではないと感じます。また、プロジェクト‐ノート:クラシック音楽/ページの移動・削除・統合・分割での議論は、今までの話の流れをみるにつけ、作品名に姓と名を一律でつけるべきかどうかという規則制定の議論をするのではないかと睨んでいますが、私のにらみ通りであれば、私はそういう規則制定を促すために反対意見を出したのではないと申し上げておきます。規則を作って書式をまずしばるのではなく、それぞれの記事の問題として議論すべきです。なお、下記の論点整理の今後案の中では、2を最善の策と考えています。--ワンツスリッフォー(会話) 2016年3月30日 (水) 10:08 (UTC)
- コメント 議論が出尽くした感があるのでこのまま議論しても埒が明かず、プロジェクト‐ノート:クラシック音楽/ページの移動・削除・統合・分割に移すことをそろそろ考えていましたが、反対派とはいえワンツスリッフォーさんやKusunoseの意見も聞いておきたいので3、4日程度待ちたいと思います。--Louis XX(会話 / 投稿記録) 2016年3月29日 (火) 23:43 (UTC)
- それならば、「プロジェクト‐ノート:クラシック音楽/ページの移動・削除・統合・分割へ議論場所を移す。」が適当そうです。--Bellis(会話) 2016年3月29日 (火) 15:45 (UTC)
- 「姓名を使っている版も姓だけを使っている版もあり、一概にどちらが正しいとは断定できない。日本語版は日本語版で議論すべし」ですが。--Gruppetto(会話) 2016年3月29日 (火) 14:10 (UTC)
- えーと、Gruppettoさんの意見を言い換えると、「日本語版とフランス語版では姓名を使っているから姓名をつかうべきである。英語版では姓だけを使っているけど無視する。」ですかね。--Bellis(会話) 2016年3月29日 (火) 14:04 (UTC)
- コメント 仏語版と日本語版には「リヒャルト」がついているのに、なぜ完結したことになるのでしょうか?Bellisさんが「完結した」と個人的に思ったからといって、他の人にまでそれを押し付けられても困りますが…。各国語版は英語版に従うべし、といったような規則はありません。--Gruppetto(会話) 2016年3月29日 (火) 13:43 (UTC)
- この方面の話題は、「ヨハン・シュトラウス2世やヨーゼフ・シュトラウスが交響曲を作曲していないからと言って、交響曲第2番 (リヒャルト・シュトラウス)が単に「交響曲第2番 (シュトラウス)」という記事名だったら不親切です」[3]という、意見から始まったものですが、その直後の「どちらでも大して変わりはしない。ちょうどGruppettoさんが例にあげたシュトラウスの記事ですと、英語版だとSymphony No. 2 (Strauss)、フランス語版だとSymphonie nº 2 (Richard Strauss)。」[4]で、完結したものと思っています。どちらかに決める理由にはならないのだから、改名の(賛成/反対の両方の)根拠にしてはいけない。--Bellis(会話) 2016年3月29日 (火) 11:36 (UTC)
- コメント 論点を整理します。
- ワンツスリッフォーさんへの 返信 (時系列が混乱しないよう現在いちばん下のここに書きます)ワンツスリッフォーさんが示して頂いた検索数の結果を見ても、ニコライとアレクサンドルの知名度は同程度です。セザール・フランクとエドゥアルト・フランクでは圧倒的にセザールが上ではないでしょうか?また、仰るように「チェレプニン」自体の知名度が低いわけですが、チェレプニンという作曲家を知らなかった人がこの記事にたどり着いた場合、「ピアノ協奏曲第1番 (チェレプニン)」という記事名と「アレクサンドル・チェレプニンにより」という冒頭文から、「ラフマニノフ」=「セルゲイ・ラフマニノフ」であるかのごとく「チェレプニン」=「アレクサンドル・チェレプニン」であるかのような、つまりアレクサンドル一人が歴史に名を残しているかのような誤解を与えることにもなるかと思います。--Gruppetto(会話) 2016年3月24日 (木) 15:43 (UTC)
賛成意見
- ニコライとアレクサンドルは知名度が比較的拮抗しているので必要
- ニコライが交響曲を作曲していないこと、ピアノ協奏曲は一曲しかないこと、は詳しい人にしか分からない。
反対意見
- ニコライのピアノ協奏曲第1番の記事を作らないなら不要
- 他のチェレプニン姓の人物による同名のトピックが存在するとの印象を与える
- 英語版では同姓の作曲がいても基本的には姓のみで曖昧さ回避する、としている
そこで今後としては、以下の案が考えられます。
- ピアノ協奏曲第1番 (チェレプニン)を「ピアノ協奏曲第1番 (アレクサンドル・チェレプニン)」へ移動
- ピアノ協奏曲第1番 (チェレプニン)は移動せず、交響曲第1番 (アレクサンドル・チェレプニン)を交響曲第1番 (チェレプニン)へ移動
- 本件に限らない問題なのでプロジェクト‐ノート:クラシック音楽/ページの移動・削除・統合・分割へ議論場所を移す。
他にも意見があれば論点に追加して頂ければ幸いです。--Louis XX(会話 / 投稿記録) 2016年3月24日 (木) 16:11 (UTC)
- 論点を賛成側、反対側に分けて整理し直させて頂きました。--Gruppetto(会話) 2016年3月24日 (木) 16:42 (UTC)
- 論点について、さらに表現を一部加筆--Gruppetto(会話) 2016年3月25日 (金) 04:23 (UTC)
- コメント「ニコライとアレクサンドルは知名度が比較的拮抗しているので必要」という意見については、ニコライとアレクサンドルの知名度は、先のGoogleの検索結果を踏まえると、横並びではあるものの、現状彼らの名前が一般的知名度を得ているとはいいがたく、「拮抗」というほど互いに張り合うだけの素地があるのか疑問に思う点と、仮に拮抗しているとしても、記事本文でアレクサンドルの作品と明記してあるので、この記事でニコライかアレクサンドルかという混乱は解消されている点を、反論として既に挙げさせていただきました。「ニコライが交響曲を作曲していないこと、ピアノ協奏曲は一曲しかないこと、は詳しい人にしか分からない」という意見については、詳しくない人にもわかるように記事を書く努力をすべきだと考えます。また、最初の議論のほうでBellisさんから作曲者記事へ統合してはどうかという話も出ていましたし、提案者のほうから「内容についても出典になりそうなBISとオリンピアのライナーノーツを基に加筆したところで単独記事として成立する内容には程遠い」という意見も書かれています。現行の記事内容で単独記事として成立するか否かを含め、アレクサンドルの記事に統合すべきかどうかというのも、一考の余地として議論の俎上に載せてみてはどうでしょうか。個人的には記事が成長してほしいと思いますが、「単独記事として成立する内容には程遠い」と判断されるのであれば、統合すれば賛成派の懸案である「拮抗」の問題と「詳しい人にしか分からない」という問題は、アレクサンドルの記事に取り込まれることで解消すると思います。--ワンツスリッフォー(会話) 2016年3月30日 (水) 10:08 (UTC)
- 返信 ニコライとアレクサンドルのGoogleの検索結果を例示させて頂きましたが、[5]、[6]、両者共互いに張り合うだけの素地がないとは言い難いと思います。また、ピアノ協奏曲第1番 (チェレプニン)に関しては福澤福さんの加筆で単独記事として成立するレベル([7]のような虚偽の出典を除けば)になったと考えます。--Louis XX(会話 / 投稿記録) 2016年3月30日 (水) 11:48 (UTC) 敬称を追加。--Louis XX(会話 / 投稿記録) 2016年3月30日 (水) 13:13 (UTC)
- 返信 単独記事として成立するレベルかどうかについては、notabilityも含めて他の方々の意見(特にBellisさんあたり)も伺いたい気もします。両者ともに張り合うだけの素地があるか否かについては、最初に貴方様のほうで、ロベルト・シューマンとウィリアム・シューマンを引き合いに出しておられましたが、この両者をGoogle検索してみますと、ロベルトのほうで 127000件、ウィリアムで79500件のヒット数があります。確かにロベルトのほうが桁数が多いですが、ウィリアムでも8万件に近づきつつあります。議論の中で言及されているヨハン・シュトラウス2世、ヨーゼフ・シュトラウス、リヒャルト・シュトラウスでは、それぞれ 112000件、118000件、209000件となっており、ヨハン&ヨーゼフのシュトラウス兄弟でいえばロベルト・シューマンにも拮抗する数値をたたき出しています。ついでにセザール・フランクとエドゥアルト・フランクでは、それぞれ52700件、9600件となっています。ひるがえってニコライ・チェレプニンとアレクサンドル・チェレプニンは、ヒット数が1万件に届いておらず、今のところ検索にかけた人名の中では、せいぜい知名度で拮抗できるのはエドゥアルト・フランクくらいといえそうです。検索件数が5~6桁を叩き出す人々に比べると、チェレプニン親子の知名度の拮抗ぶりは、彼らの拮抗ぶりと同列に扱えるものではないといえるでしょう。貴方様のいう「クラシック初心者かある程度の知識がある人」が、ロベルト・シューマンやシュトラウス兄弟およびリヒャルト・シュトラウスと同様の頻度でチェレプニン親子の知名度云々について話をするとは考えにくいと思います。こうしたことを考えると、チェレプニン親子は、この議論で引き合いに出された作曲家の多くに比べて、「拮抗」というほど互いに知名度を張り合うだけの素地があるのか疑問です。--ワンツスリッフォー(会話) 2016年3月30日 (水) 14:54 (UTC)
- コメント 私はLouis XXさんの意見に同感です。「拮抗」というのは、例えば100対100も、千対千も、一万対一万も「拮抗」です。「両者ともに張り合うだけの素地」という発想がそもそも私には理解できません。ただし、この議論は完全に平行線で合意の見込みがありません。仮に、プロジェクト‐ノート:クラシック音楽/ページの移動・削除・統合・分割へ議論場所を移しても、同じように平行線の議論が続く可能性もあります。ある改名提案について賛成、反対両意見があって議論がまとまらなければ「合意せず」として改名はお流れとなるのも仕方がないとも思います(勿論、議論の場を移して更に議論を続けるのかどうかは提案者のLouis XXさんにお任せ致します)。ただ、Louis XXさんは上で「ピアノ協奏曲第1番 (チェレプニン)は移動せず、交響曲第1番 (アレクサンドル・チェレプニン)を交響曲第1番 (チェレプニン)へ移動」という選択肢も示しています。そこで、反対派の方々にお尋ねしたいのですが、「交響曲第1番 (アレクサンドル・チェレプニン)を交響曲第1番 (チェレプニン)へ移動」という点についてはどのようにお考えでしょうか?ワンツスリッフォーさんは既に「『交響曲第1番 (チェレプニン)』のほうが望ましい」と表明されていらっしゃいますが、他の反対派の方はどのようにお考えなのでしょうか?両者とも現状維持であれば姓のみの曖昧さ回避と姓名による曖昧さ回避が同居することになりますが、それでも良いというのならばまあそれでも良いとは思いますが…。--Gruppetto(会話) 2016年3月30日 (水) 15:16 (UTC)
- 返信 「拮抗」については、大辞泉では「勢力などがほぼ同等のものどうしが、互いに張り合って優劣のないこと。」とし、「拮抗する二大勢力」という用例が示されています。この議論における拮抗の問題は、両者の知名度が高いという勢力形成の前提で、知名度の高い一方ないし他方への取り違いが起きるという懸念が示されていると理解しています。確かにニコライとアレクサンドルのチェレプニン親子だけに限れば、検索ヒット数に大きな差はなく、二人の知名度は拮抗しているようにとらえられますが、リヒャルト・シュトラウスとヨハン&ヨーゼフのシュトラウス兄弟のような高い知名度という勢力形成をしているとはいえず、セザール・フランクと比べて圧倒的に知名度が低いエドゥアルト・フランクと同等の知名度といえます。いわゆる改名に賛成とおっしゃる方々のいう「クラシック初心者かある程度の知識がある人」が、ニコライとアレクサンドルのチェレプニン親子の間で知名度が拮抗していると日常的に認識して問題だと考えているといえないのではないかと考えます。つまり、拮抗しているという事実より前に、二人ともまだ世間にその名が浸透しているとは言いがたいといえます。(余談ながら、Louis XXさんが提示したGoogle検索の条件に倣ってアレクサンドルの息子の「セルゲイ・チェレプニン」の名前を検索し、そのヒット件数のみをこれまでの議論通りに機械的に抽出すると、23000件という数値が出ます。この数値と照らし合わせると、チェレプニン一族では、セルゲイ・チェレプニンが圧倒的に知名度が上だという結論が導き出されてしまいますね。)それはさておき、「ニコライとアレクサンドルは知名度が比較的拮抗しているので必要」という賛成派の主張は、ニコライとアレクサンドルの混同を避けるべきという懸念が意見の前提になっているという理解をしている旨のことを書きました。こうした懸念については、既に何度か上記の議論で反駁されています。提案者のほうで、各々の意見を列挙するだけでなく、意見の流れの整理をしてもらわないと、話がまとまらないと思います。--ワンツスリッフォー(会話) 2016年3月31日 (木) 02:57 (UTC)
- 返信 単独記事として成立するレベルかどうかについては、notabilityも含めて他の方々の意見(特にBellisさんあたり)も伺いたい気もします。両者ともに張り合うだけの素地があるか否かについては、最初に貴方様のほうで、ロベルト・シューマンとウィリアム・シューマンを引き合いに出しておられましたが、この両者をGoogle検索してみますと、ロベルトのほうで 127000件、ウィリアムで79500件のヒット数があります。確かにロベルトのほうが桁数が多いですが、ウィリアムでも8万件に近づきつつあります。議論の中で言及されているヨハン・シュトラウス2世、ヨーゼフ・シュトラウス、リヒャルト・シュトラウスでは、それぞれ 112000件、118000件、209000件となっており、ヨハン&ヨーゼフのシュトラウス兄弟でいえばロベルト・シューマンにも拮抗する数値をたたき出しています。ついでにセザール・フランクとエドゥアルト・フランクでは、それぞれ52700件、9600件となっています。ひるがえってニコライ・チェレプニンとアレクサンドル・チェレプニンは、ヒット数が1万件に届いておらず、今のところ検索にかけた人名の中では、せいぜい知名度で拮抗できるのはエドゥアルト・フランクくらいといえそうです。検索件数が5~6桁を叩き出す人々に比べると、チェレプニン親子の知名度の拮抗ぶりは、彼らの拮抗ぶりと同列に扱えるものではないといえるでしょう。貴方様のいう「クラシック初心者かある程度の知識がある人」が、ロベルト・シューマンやシュトラウス兄弟およびリヒャルト・シュトラウスと同様の頻度でチェレプニン親子の知名度云々について話をするとは考えにくいと思います。こうしたことを考えると、チェレプニン親子は、この議論で引き合いに出された作曲家の多くに比べて、「拮抗」というほど互いに知名度を張り合うだけの素地があるのか疑問です。--ワンツスリッフォー(会話) 2016年3月30日 (水) 14:54 (UTC)
- 返信 ニコライとアレクサンドルのGoogleの検索結果を例示させて頂きましたが、[5]、[6]、両者共互いに張り合うだけの素地がないとは言い難いと思います。また、ピアノ協奏曲第1番 (チェレプニン)に関しては福澤福さんの加筆で単独記事として成立するレベル([7]のような虚偽の出典を除けば)になったと考えます。--Louis XX(会話 / 投稿記録) 2016年3月30日 (水) 11:48 (UTC) 敬称を追加。--Louis XX(会話 / 投稿記録) 2016年3月30日 (水) 13:13 (UTC)
- コメント「ニコライとアレクサンドルは知名度が比較的拮抗しているので必要」という意見については、ニコライとアレクサンドルの知名度は、先のGoogleの検索結果を踏まえると、横並びではあるものの、現状彼らの名前が一般的知名度を得ているとはいいがたく、「拮抗」というほど互いに張り合うだけの素地があるのか疑問に思う点と、仮に拮抗しているとしても、記事本文でアレクサンドルの作品と明記してあるので、この記事でニコライかアレクサンドルかという混乱は解消されている点を、反論として既に挙げさせていただきました。「ニコライが交響曲を作曲していないこと、ピアノ協奏曲は一曲しかないこと、は詳しい人にしか分からない」という意見については、詳しくない人にもわかるように記事を書く努力をすべきだと考えます。また、最初の議論のほうでBellisさんから作曲者記事へ統合してはどうかという話も出ていましたし、提案者のほうから「内容についても出典になりそうなBISとオリンピアのライナーノーツを基に加筆したところで単独記事として成立する内容には程遠い」という意見も書かれています。現行の記事内容で単独記事として成立するか否かを含め、アレクサンドルの記事に統合すべきかどうかというのも、一考の余地として議論の俎上に載せてみてはどうでしょうか。個人的には記事が成長してほしいと思いますが、「単独記事として成立する内容には程遠い」と判断されるのであれば、統合すれば賛成派の懸案である「拮抗」の問題と「詳しい人にしか分からない」という問題は、アレクサンドルの記事に取り込まれることで解消すると思います。--ワンツスリッフォー(会話) 2016年3月30日 (水) 10:08 (UTC)
- 先に述べたとおり、ピアノ協奏曲第1番 (チェレプニン)はウィキペディアにある他のトピックと区別するという、曖昧さ回避の条件を十分に満たしています。その上で、姓名を使用すべきという意見は、記事名の曖昧さ回避というウィキペディア内部の事情だけでなく、単に「チェレプニン」「ピアノ協奏曲第1番」だけを読者に提示することは現実として曖昧であり、誤解を招く可能性があるということだと理解しています。しかし実際にそのような誤解をする人はどの程度いるのでしょうか。全くの杞憂かもしれません。記事名の曖昧さ回避は不要だが、現実には曖昧さがあるという場合について、日本語版ウィキペディアの名前の付け方には記述がありませんが、英語版ウィキペディアの一般に認知度の高い名前を使用する節にはAmbiguous or inaccurate names for the article subject, as determined in reliable sources, are often avoided ...「信頼できる情報源によって、曖昧あるいは不正確であるとされている名前は(中略)しばしば避けられます。」とあります。単に「チェレプニンのピアノ協奏曲第1番」程度の情報しか提供しないと曖昧あるいは不正確なので避けるべきだ、という意見は実際に信頼できる情報源に裏付けられている、あるいは実際の慣用として定着しているものでしょうか。なお、知名度が同程度だから曖昧さ回避が必要という点について、前述の英語版の記事名の付け方では逆になっているようです。すなわちバッハなど、知名度が明らかに最も高い人物がいる(姓に代表的トピックがある)場合には、知名度の劣るほうの作品が知名度の高い人物の作品と誤解されないように、姓だけでの曖昧さ回避を行わないようになっていますが、姓について平等な曖昧さ回避を行っている場合には姓のみの曖昧さ回避が基本です--Kusunose(会話) 2016年3月31日 (木) 04:05 (UTC)
- コメント 約1週間経過しましたが、ピアノ協奏曲第1番 (チェレプニン)をピアノ協奏曲第1番 (アレクサンドル・チェレプニン)へ移動することとプロジェクト‐ノート:クラシック音楽/ページの移動・削除・統合・分割へ議論場所を移すことについては反対意見があるので、交響曲第1番 (アレクサンドル・チェレプニン)の交響曲第1番 (チェレプニン)への移動については反対意見が見られないので、この方向で議論を進めてもよろしいでしょうか?--Louis XX(会話 / 投稿記録) 2016年4月6日 (水) 02:31 (UTC)
- コメント 約2週間経過し、Gruppettoさん以外積極的な反対意見がないので、本来ならば交響曲第1番 (チェレプニン)への改名に踏み切るところですが、当ページに参加していないクラシック音楽の利用者の中にも反対派はいると思われるので、念のためあと2、3週間程度待って意見がないようであれば、提案を取り下げたいと思います。なお当初は議論場所が掲示されている節を「合意形成のためのコメント依頼」から「議論活性化のためのコメント依頼」に移すことも検討していましたが、現状で新しい参加者が現れてもピアノ協奏曲第1番 (チェレプニン)のピアノ協奏曲第1番 (アレクサンドル・チェレプニン)への移動を反対されている方を納得させる案を出したり、交響曲第1番 (アレクサンドル・チェレプニン)を交響曲第1番 (チェレプニン)へ改名することへの積極的な賛成案を提示するとは考えられないので節の移動を断念致しました。また、ワンツスリッフォーさんは意見の流れの整理を主張されていますが、現状では先で列挙した論点の整理と実質的に重複するので敢えて行いません。--Louis XX(会話 / 投稿記録) 2016年4月18日 (月) 12:00 (UTC)
- 中止 3週間以上経過しましたが、特に異論がなかったので取り下げます。--Louis XX(会話 / 投稿記録) 2016年5月11日 (水) 14:15 (UTC)