ノート:フェデリコ・テシオ

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

テオデュール・リボーを「無名」とする記述の妥当性[編集]

同一人物と思われる可変IPの方(220.107.172.250153.132.181.214のプロバイダはどちらも群馬OCN、IPv6の2400:4069:29C8:C600::/64は群馬かどうか不明ですがやはりOCN)が特定の記述(差分74722322の「晩年になるとさすがにネタが尽きたのかリボーはかなり無名の画家である。」)にこだわっているのですが、この記述は

  • テオデュール・リボー(en:Théodule Ribot)は多数の言語のWikipedia(11ヶ国語)に記事が存在し、これはテシオ自身(3ヶ国語に記事が存在)や競走馬のリボー5ヶ国語)よりもむしろ多く、無名と言ってよいのか疑わしいこと
  • 仮にリボーが現在無名であるとしても、1950年代に無名だったかはまた別の話で、「ネタが尽きたから無名な画家の名前を使った」と決めつけるのは独自研究に当たること

などの問題があるため、除去すべきだと私は考えています。これについてご意見をお願いします。--侵入者ウィリアム会話2019年10月22日 (火) 08:45 (UTC)[返信]

議論[編集]

  • 報告 僭越ながら、プロジェクト:競馬プロジェクト:美術にコメント依頼の告知を行わせていただきました。--(あ)会話2019年10月29日 (火) 05:48 (UTC)[返信]
  • コメント 自分もこのコメント依頼を見るまで名前の由来すら知りませんでしたが、それでも典拠もなしに「○○は有名/無名である」と断じるのはあまりにも主観的すぎます。競馬を知らない人からすればリボーだって「画家の名前を拝借したらしい無名の馬の骨」とされてもおかしくありません。現状は、リボーの記事に「競馬オタクくらいしか知らない無名な馬である」と記述されているのようなものです。--(あ)会話2019年10月29日 (火) 05:48 (UTC)[返信]
  • コメント これは出典がないですし、サクッと除去して構わないでしょう。「晩年になるとさすがにネタが尽きたのか」「リボーはかなり無名の画家」とか、どちらも執筆者(利用者:139会話 / 投稿記録 / 記録さん)の個人的感想(憶測)にすぎないようにみえます。書いたのが2005年なので、当時としては別に悪いことでもないでしょうけれど。
  • 「仮に出典がある」としても、信頼性要検証というやつです。吉沢譲治にせよ、原田俊治『世界の名馬』や山野浩一『伝説の名馬』あたりにせよ、「競馬分野側」からの文献であって、「イタリア美術の専門家」からの文献ではない。単に著者がイタリア美術の知識がなかった、ということは大いにありえます。(彼らの活躍時期にはインターネットも無かったので、限られた情報源から推測して書いたのだろうと思います。いまは容易にインターネットで情報が手に入るので、彼らによる「馬名の由来」がまったく見当違いであるというようなものが結構ありますね。)
  • 本当に名馬リボーの馬名がen:Théodule Ribot由来であるかどうかや、「ネタが尽きたので無名の人を選んだ」のかは、断定を避けて「吉沢によれば」ぐらいにしておいてはどうでしょう。Théodule Ribotの息子Germain Ribotも画家だといいます。テシオ自身が「私は誰々の名前から馬のリボーを命名した」と証言したものがあるなら別ですが、そうでなければ、後世の人の想像にすぎません。もちろん、テオドアが由来であるという話が広く知れ渡っていることが確認できる情報源があるなら、また話は別(リボーが現役時代の1950年代の新聞にそう書いてあるとか)で、「こうだと言われている」とかけます。--柒月例祭会話2019年10月29日 (火) 06:13 (UTC)[返信]
  • 一応初版作成者としていくつかコメントを。おそらくこの記述は山野浩一『伝説の名馬』を根拠にしていると思います。なお、私はこの記述に特にこだわっていませんので削除してしまって構いません(本音を言えば他の怪しい記述もすべて削除してしまいたい)。結果的に14年も前の記述に対してこのように名指しでさらし上げられるような形になり、あまり気分の良い物ではありません。群馬IPの方のいいとばっちりです。とは言え、名前が出なければこちらへの通知も来なかったでしょうから仕方ないのかもしれませんが。--139会話2019年10月29日 (火) 07:12 (UTC)[返信]
    • 返信 2005年当時はどこもこんなものですから、お気になさらず。
    • 山野『伝説の名馬PratI』p105-106を確認しました。主なポイントは下記の通り。
      • (1)馬名は「テオドゥル・オーグスタン・リボー」に由来する(と山野は言っている)
      • (2)初期の生産馬には、「レンブラント、ミケランジェロといった巨匠」の名を用いた(と山野は言っている)
      • (3)晩年になると有名な画家の名前は使い果たして、「無名画家や彫刻家」の名を用いるようになった(と山野は言っている)
      • (4)日本の美術界では画家リボーは「ほとんど無名」(と山野は言っている)
    • 厳密に読んでいくと、(1)まず画家リボーのカタカナ表記が異なります。ただし山野はいつもカタカナ表記が普通じゃないので、要注意でしょう。
    • (2)山野が具体的に挙げているのは「レンブラント」と「ミケランジェロ」2名だけ。これらを「巨匠の画家」としています。これに対して、記事では「美術家」としてドナテロ、ベリーニ、ボッティチェリetcを挙げています。これは、山野を情報源とする限りにおいて、「独自研究による付け足し」をしてしまっています。吉沢もチェックする必要はありますね。
    • (3)山野が言っているのはあくまで「巨匠の画家」から「無名の画家および彫刻家」です。逆に言えば、前半には「有名だろうが無名だろうが彫刻家は使っていない」というものと解釈できます。
    • (4)山野が言っているのは、「日本では」「奇妙なことに」、「世界の偉大な画家」を知らないくせにフランスの画家は名前だけが本国よりもよく知られている、ということ、そんな日本では画家リボーは無名である、ということ。画家リボーがイタリアや世界でも無名だと言っているのではありませんし、画家リボーが日本で無名なのは奇妙なことだ、とも受け取れます。
    • というわけで、山野に照らす限り、2005年当時の記述が根拠がないものというわけではない、ということは言えそうです。ただし細かい部分では情報源と話が違ってきてしまっているので、修正は必要です。また、上でも書いたように、そもそも山野が画家の著名度についてどの程度見識があるのかは疑ってかかる必要はあるでしょう。画家リボーが有名か無名かについて書くならば、美術系の情報源にあたるのが正解。
    • 私だったら、「画家リボーが有名であるか無名であるか」はあまり重要ではないので、たとえ山野がそう言っているとしても、除去してしまうか、注釈扱い程度にしてはいかがでしょう、と思います。
    • Wikipedia的にはルール違反ですが、[1]では、画家リボーはフランスの写実主義の代表的人物であること、レジオンドヌール勲章受賞者であることなどを指摘し、「画家リボーが無名だというのはおかしい」という主張をしています。(山野が言ったのは、あくまで「奇妙な日本の美術界では無名」ということなので、フランスでも無名であるとは山野は言ってない。)
    • ついでに原田『世界の名馬』を眺めましたが、こちらには馬名の由来に関する記述はないです。Mortimer『Biographical Encyclopaedia of British Flat Racing』、中央競馬PRC『世界百名馬』にも馬名の由来はないですね。
    • これは個人的な疑問なのですが、テシオはリボーの初出走前(2歳の5月1日)に没しています。なので、厳密にはどの時点でテシオ自身が命名したのか、要確認なんじゃないのかなー、とも思いました。ここらへんになると、もう日本語の文献ではなく本格的なテシオ研究書にあたる必要がありますね。--柒月例祭会話2019年10月29日 (火) 11:39 (UTC)[返信]
  • 情報 確認したところ私の加筆部分も出典の裏付けが杜撰でした。失礼しました。
出典に使った原田俊治『世界の名馬 セントサイモンからケルソまで』(1970年)の205ページに出ているのは以下の内容です。
  • テシオは著名な画家や彫刻家の名前を生産馬に使った。ボッティチェルリや高村光太郎から取ったトカムラなど
  • ネアルコは紀元前4世紀頃のギリシャ・アテネの画家兼陶芸家から取ったのだろうが、テシオ自身はネアルコの由来を語っていない
  • ネアルコの由来は陶芸家の方ではなく武将のネアルコスかも知れないとも私(=原田)は考えている
原田の本は手持ちではなく、図書館で閲覧してコピーを取ったのですが、同書のコピーを取り忘れた部分にはリボーに関する章があるようです。そちらにはリボーの馬名の由来が書いてあるかも知れません。再確認して後日報告します。
(追記)失礼、原田の本のリボーに関する記述は、既に柒月例祭さんから「馬名の由来は出ていない」とご報告頂いていますね。--侵入者ウィリアム会話2019年10月29日 (火) 15:15 (UTC)[返信]
もう一冊出典に使った吉沢譲治『競馬の血統学 サラブレッドの進化と限界』(2001年版)71-72ページに出ているのは以下の内容です。
  • ネアルコは紀元前4世紀頃のギリシャの画家兼陶芸家の名前と言われる
  • テシオは生産馬に世界の有名な画家や彫刻家の名前をつけた。ボッティチェルリ、ドーミエ、ドナテロ等
  • ネアルコの弟のナカムロは中村不折らしい
  • 初期の馬名は有名人の名前で間に合ったが、後年になると底をつき、あまり有名でない芸術家の名前も使ったようだ
  • (リボーについては言及なし)
「陶芸家のネアルコ」の年代を紀元前4世紀としている(it:Nearco (ceramista)のことであるならば正しくは紀元前6世紀)ことからすると、吉沢は原田の本を参考にして執筆したのかも知れません。
吉沢の本はネアルコについては1章を費やしていますが、リボーについては章を割り当てていません。同書のセントサイモンの章も確認しましたが、そこには(いずれもセントサイモン系の)リボーやボワルセルについての言及はありませんでした。おそらく吉沢の本の他のページにもリボーへの言及はないと思います。
以上、取り急ぎご報告まで。--侵入者ウィリアム会話2019年10月29日 (火) 14:57 (UTC)[返信]
返信 なるほど、ネアルコに関する文献のなかにも、テシオの命名の記述があったり、もしかするとリボーについてもふれられている可能性はありますね。私はそちらは未チェックでした。
これは㭍月例祭による独自研究になるのですが、テシオは、画家なら誰でもいいわけではなくて、母馬と頭文字を揃えたかったので、たとえばNearcoの場合には母馬NogaraがNなので、「Nで始まる画家(芸術家)」を探す必要があったわけです。Ribotは母がRomanellaなので、産駒はRibotとかRodinとかですね。
もうちょっと情報が出揃ってからでいいのですが、できれば山野以外にもうひとつ(山野の孫引きでなさそうな)情報源で、「馬名の由来がT・リボーであるとされる[1][2]」としたいですね。
和書では『天才テシオの素顔』という文献が刊行されているので、このフェデリコ・テシオを書くならこの文献にはあたっておきたいところです・・・が問題は稀覯本なのでアクセスが困難ですね。いちおうテシオの『サラブレッドの研究』も和訳されて刊行されているのですが・・・。国会図書館か、根岸あたりかなあ。きっとこの文献にあたると、この記事は100倍ぐらいに膨らますことができるでしょうし、その暁には、「馬名の命名方法」で1小節作れるぐらいになるのでは・・・--柒月例祭会話2019年10月29日 (火) 23:05 (UTC)[返信]
「馬名の由来がT・リボーであるとされる」について、[2]は出典として不適格でしょうか?1957年発行のドイツ誌ですので、山野氏の影響はないでしょう。--139会話2019年10月30日 (水) 14:51 (UTC)[返信]
返信 不適格じゃないような気がします!正直、私には知識不足でよくわかりませんが、一見すると、これは当時のドイツで発行されていた雑誌(デア・シュピーゲル)から、当時の記事をおこしたもののようにみえますね。(こんなものまで公式サイトにあがるなんて、ドイツすごいなあ)
「検証可能性」については問題なく、おそらく「信頼できる情報源」として扱ってもよいように思います。
せっかくなので、出典として示す際には、当時の誌面のPDF(PFERDE (PDF) )のURL等も示しておくとベターでしょう。(誌面はT.リボーの顔写真つきです。)--柒月例祭会話2019年10月31日 (木) 08:32 (UTC)[返信]
@139さん宛 デア・シュピーゲル誌の1957年1月の記事(ドイツ語)ですね。リボーの競走馬引退から数ヶ月後に著名な雑誌が掲載した記事であり、良い出典だと私は思います。なおT・リボーについては"heute fast vergessen"(今日ではほとんど忘れられている)とも書いてありますね。◆139さんの出典に比べて質が落ちますが、こちらで見つけた「T・リボーが由来」とする出典2件を報告します。◆1件目はフィガロ紙の2010年9月の記事(フランス語)。◆2件目は"TuttaFirenze"というフィレンツェのローカル情報ウェブジャーナルに掲載された2016年12月の記事(イタリア語)。T・リボーについて"semisconosciuto"(わりと無名)と書いてあります。ただし、このTuttaFirenzeを信頼できる情報源と見なしてよいかどうか私にはわかりません。--侵入者ウィリアム会話2019年10月31日 (木) 16:12 (UTC)[返信]
@柒月例祭さん宛 「母馬と頭文字を揃えるルール」は確かにそのようですね。テシオの命名ルールについては、牝系での頭文字の統一に加えて「命名元となった人物名から、馬の性別に合わせて女性名や男性名らしく見えるように語尾を変えているのでは」との指摘を個人ブログで見つけました。中村をナカム(牡馬)としたのは、語尾がaのままではイタリア語で女性名っぽい(例:マリアとマリオ)からではないか、と。個人ブログなので記事の出典には使えませんが、これもなるほどと思いました。◆ご紹介いただいた書籍のうちマリオ・インチーサ著の『天才テシオの素顔』のコピーは入手しました。それからもう一冊、テシオについて一章を割いている書籍『名馬の生産: 世界の名生産者とその方式』(エイブラム・S・ヒューイット著、佐藤正人訳)から当該章のコピーを入手しました。この2冊はかなり詳しく書いてあるものの、テシオの馬名命名ルールや馬名の由来については言及が見当たりません。◆もう一冊ご紹介いただいたテシオ著の『サラブレッドの研究』の方は、所蔵館が秩父宮記念スポーツ図書館平日木曜日のみ開館、要事前予約北海道新冠町立図書館しか見当たらず、まだ閲覧やコピー入手に至りません。--侵入者ウィリアム会話2019年11月9日 (土) 12:00 (UTC)[返信]


(インデント戻します) 報告 時間が経ってしまい申し訳ありません。資料集めに時間がかかりました。以下の書籍を調べました。

  1. フェデリコ・テシオ(著)、エドワード・スピノーラ(編・英訳)、佐藤正人(和訳)『サラブレッドの研究』日本競馬協会、1970年。 
  2. マリオ・インチーサ(著)、原田俊治(訳)『天才テシオの横顔』日本中央競馬会馬事部馬事課、1983年。 
  3. エイブラム・S.ヒューイット(著)、佐藤正人(訳)『名馬の生産 : 世界の名生産者とその方式』サラブレッド血統センター、1985年。 

しかしこれらの書籍には、馬名の命名法についてはあまり書いてありませんでした。また、「晩年になるとさすがにネタが尽きたのかリボーはかなり無名の画家である。」を裏付けるような記述もありませんでした。--侵入者ウィリアム会話2020年1月5日 (日) 03:08 (UTC)[返信]

(余談)わかったことが2件あります。◆一つは、テシオの生産馬すべてが美術家の名前というわけではないということ。具体例はデルビーイタリアーノ馬のトルビド(Torbido)で、母馬テンペスタ(嵐の意味)にちなむ「災難」という意味だそうです(上記文献2.の37ページ)。これらの本には書かれていないのですが、トルビドの馬主名義はテシオ自身ではなく妻のリディア・テシオだったようです(en:Derby Italianoに少し記述あり)。◆もう一つは、テシオがリボーにはあまり期待していなかったらしいこと。リボーの母ロマネラと父テネラニはともにテシオ生産馬ですが、テシオはこの両馬のことを感情的にかなり嫌っていたようで、リボーのダービー出走登録をしなかったのはこれが原因だろうとのことです(上記文献2.の79ページ)。--侵入者ウィリアム会話2020年1月5日 (日) 03:08 (UTC)[返信]

記述除去の提案[編集]

提案 節を改めます。上記#議論節では、「晩年になるとさすがにネタが尽きたのかリボーはかなり無名の画家である。」という記述に関して否定的な意見が揃い、この記述に拘っていた群馬OCNの方から反論はありませんでした。また上述したように、この記述を保証する質の高い高次出典も見当たりません。そこで、このまま出典を伴う反論がなければ、1か月後を目途にこの記述は除去したいと思います。--侵入者ウィリアム会話2020年1月5日 (日) 03:08 (UTC)[返信]

報告 予告した1か月が経過しました。上記の記述除去提案について賛成1、反対0でしたので、合意が成立したものと判断し、先ほど差分74722322に由来する記述を記事から除去しました(差分1)。なお、それ以外の記述についても、出典を確認して加筆修正を行っています(差分2)。--侵入者ウィリアム会話2020年2月5日 (水) 12:57 (UTC)[返信]