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ノート:フォルクスワーゲン・サンタナ

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*サンタナのライセンス生産がなければプリメーラは生まれなかったと言われている・・・の件

  • 関連項目リンクの全車作業中に見つけたので、調査してみました。結果報告として、まず資料として初代『プリメーラのすべて』モーターファン別冊三栄書房の37~38ページに日産自動車の開発スタッフ主管・津田靖久氏が開発ストーリー内で解説しています。「昭和55年12月日産は技術提携を結びサンタナの国内生産販売を行う事になった。津田氏主管に就任。(略)その後プリメーラ開発が始まり、昭和62年1月の異動でプリメーラ開発主管に就任し」とあり、彼はプリメーラの主管としては2代目として就任しています。他のページを読んでも、欧州車を意識した開発を行っているのは間違いないですし、彼の経験や日産社内でのVW車の製造を行い、生かされたとは充分に考えられます。しかし、日産の当時の状況やラインナップを見ると本文のように「言い切れる」かどうか微妙な感じもしてきました。理由として、①津田氏が1番目に就任し企画を立ち上げていない。②サンタナの写真も掲載しているが他のページの開発担当者やテストドライバーからサンタナの単語がでていない。③この当時マルチリンクサスペンションはメルセデスW124が世界初で、国産メーカーはこの当時、各社同じく影響うけて採用していた④日産901活動として90年代に世界一のハンドリング・・・とありR32GT-RやZ32等も考えると「言い切る」のは難しいです。まあ日産としても、なにがしかの影響を受けて欧州車テイストに向かったのは間違いないですから、間違ってるとも言えませんが。実は以前、私もなにかの自動車雑誌で読んだ記憶で、本文のような事を書かれたものを見たような気がしますが、ライターか編集者がそう書いただけなのか、担当者が言ってたのか立証は難しいです。(この時代は欧州車意識が強いのはトヨタ他メーカーでも同じ)そこで、文面を直すのであれば、「サンタナのライセンス生産の経験等がプリメーラの開発にも生かされている。」か、もう少しゆるめて「サンタナのライセンス生産がなければ初代プリメーラは非常に欧州車的な仕様で生まれる事はなかった」

でいかがでしょうか?--203.135.215.161 2007年6月14日 (木) 06:31 (UTC)[返信]

その程度であれば、敢えて解説するほどの根拠にはならないでしょう。同じメーカー、同じ技術者による製品において、「製品Aがなければ、製品Bは生まれなかった」なんて言い出したら、キリがありません。よほど明確な因果関係や、成り立ち上の特筆性がない限り、安易な記載は控えるべきだと考えます。--82.24.242.173 2009年11月15日 (日) 12:15 (UTC)[返信]