ノート:フランツ・ブレンターノ

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ブレンターノのバーターとしてのマッハについて[編集]

今田恵『心理学史』(1962)という本によると、感覚論的性格の強い心理学を説いていたブレンターノが、1895年にフランツ・ヨーゼフ1世帝政下のウィーンを去った直後に、同じく感覚論を説いていたエルンスト・マッハが教授としてウィーン大学に赴任しています(ブレンターノとマッハは直接会わなかったそうです。)。ここら辺の奇妙な符号の一致を解明する研究などをご存知の方いませんか?ただ、この20年後にサラエボ事件が発生して、第一次世界対戦が発生していたりするので嫌な予感がして尻込みしてしまいそうです。

上記の心理学史の本もなぜか、有名なウィーンの急進的な心理学者たちであるフロイト、ユング、アドラーの記述も奥歯にものが挟まったような記述で非常に不思議な感覚を覚えます。

その後にウィーン学団(Wiener circle)が立ち上がっても、なぜかそれら心理学者たちがいる本場のウィーンを本拠地とする団体なのに、オットー・ノイラートは心理学は自然科学ではないとしてその対象とはしませんでした。

自分としては興味があるのですがなかなか一人では調べきれないものがあります。--I.hidekazu会話2019年4月20日 (土) 14:05 (UTC)[返信]