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ノート:フレデリク3世 (デンマーク王)

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「コペンハーゲン包囲」節の一部の内容削除

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しかしフレデリク3世は、もはや以前のようにデンマーク海軍がバルト海に覇を唱えることが出来なくなった事実を知らされた。コペンハーゲン条約では、失地を取り戻す代償として、バルト海でのデンマーク海軍の恣意活動の禁止を約束させられてしまったのである。一方でこのような惨禍があったにもかかわらず、デンマークは海外におけるデンマーク海上帝国を維持させることには成功した。一方のスウェーデンは、同時期に北米植民地を失っている[3][4]。

は削除しました。コペンハーゲン条約項での記述内容と噛みあっていない(恣意的活動の禁止とはなんぞや。英語版にもそんなことは書いてないし、以前に黄金海岸関係で条約原文をチェックしたときもそんなワードは出てこない)し、フレデリク3世は植民地支配に特段の熱意はなかったようにしか見えない(父王が死んだらさっさと東インド会社を解散し、自力で生き残っていたデンマーク領インド(トランケバル)は1669年5月まで孤立無援で放置。ロスキレ条約では手に入れたスウェーデン領黄金海岸を返還を約束して、再戦中にオランダに勝手に転売される、という成り行きを認めている)ためです。脚注(ひとつは単なるスウェーデン領喪失に関する注釈であって出典ではない)ついてますが、普通に考えれば単に植民地の保持と喪失について書いてるだけで、他の部分の典拠とは考えられない。いずれにせよ、「デンマークの歴史#デンマーク植民地帝国」みたいな項ならともかく、王の記事に盛り込む内容としては不適でしょう。--シダー近藤会話2020年10月21日 (水) 02:19 (UTC)[返信]