ノート:ブレーズ・サンドラール
ブレーズ・サンドラール(ブレーズ・サンドラルス)
Blaise Cendrars, 1887年-1961年 詩人・小説家。現代詩の先駆者。スイスのラ・ショー・ド・フォン生まれ。国籍はスイスだがフランスの詩人として認識されている。本名フレデリック・ソーゼル。ジャリと共にブラックユーモアの先駆者として有名である。「サンドラール」は Braise(熾火)、Cendre(灰)、Art(芸術)の三語を組み合わせたペンネームで、「芸術を燃やして灰にする」という過激な意味を含む。密輸宝石商、トラクター運転手、軽業師といったさまざまな職に手を染めながらロシア、アメリカ合衆国、ブラジル、アフリカなど世界各国を放浪し、詩や小説、戯曲、エッセイなど広汎な分野に亘って作品を発表した。とくに長篇詩『ニューヨークの復活祭』(1912年)はアポリネールらに多大な影響を及ぼし、その後の前衛芸術運動の先鞭をつける。小説に『黄金』(1925年)、『モラヴァジーヌ』(1926年)など。ダリウス・ミヨーの音楽で有名なバレエ『万物創世』(1923年)の脚本も手がけている。アフリカの呪い師たちとともに過ごした時間から生み出された詩を原作に「影ぼっこ」という絵本がある。ヘンリー・ミラーにも影響を与えた。モジリアニ(画家)やアポリネール(詩人)、シャガール(画家)フェルナン・レジェ(画家)など多数と親交があり、レジェと共にル・コルビジェらが始めた「エスプリ・ヌーボー」運動に参加したりもしている。
生い立ち
[編集]スコットランド人の母とスイス人の父との間にスイスで生まれる。本名、Frederic-Louis Sauser。16歳のときに家を出て、モスクワへ行く。それからシベリア鉄道 transsiberien でアジアへ。それから1907年までサンクトペテルブルグ Saint-Petersbourg の宝石商 joaillier で働く。そこの図書館に通い、書くことを勧められる。それから読書や思索の記録を残すようになり、この作業を生涯続けることになる。
スイスに戻ってからベルンで医学の勉強をするも、そこには人間の抱える問題、精神現象、行動様式などについての答えは見出せなかった。この時期に最初の詩を書く。それからパリに短期間滞在した後、再びサンクトペテルブルグに戻り最初の小説を書き(1922年まで出版されなかった)、ショーペンハウアーにのめり込む。
アメリカでは、機械的で、忙しい、現代性に溢れる世界に触れる。1912年、再びパリに戻り、詩人を天職と確信する。そこではアポリネール Apollinaire、シャガール Chagall、フェルナン・レジェ Fernand Leger、モディリアーニ Modiglianiなどと友情を暖める。第一次世界大戦に参加し、1915年右腕を失う。1916年にはフランスの国籍をとる。
アフリカに魅せられ、ブラジルに招待され、第二次世界大戦ではイギリスの従軍記者になる。戦後はフランス、イタリア、アメリカで映画にも手を出す。まさに世界中を歩き回ったような人生。1956年に書かれた "Emmene-moi au bout du monde !" 「世界の果てまで連れてって」 が最後の作品となった。Transsiberien. La Prose du transsiberien et de la petite
Jehanne de France などの彼の作品にインスピレーションを与えていたのは、現実あるいは想像上の旅であったようだ。
作品
[編集]『世界の果てにつれてって』 Emmene-moi au bout du monde 『モラヴァジーヌの冒険』 『リュクサンブール公園の戦争』 La guerre au Luxembour 『黄金 -ヨハン・アウグスト・サッター将軍の不可思議な物語』 『サンドラルス抄 -選集』 『影ぼっこ』 『ニューヨークの復活祭』 『シベリア横断鉄道』
《黄金》 《雷に打たれた男》
逸話
[編集]『ノヴゴロドの伝説』 La Legende de Novgorodeは、サンドラール幻の処女作だった。回想記でも言及し、自製の著作目録
では1907年にロシアの出版社から、ロシア語訳で14部出版と記されている。1995年、この本がブルガリアのソフィアで発見
された。
詩人で現在パリのブルガリア文化センター長 Kiril Kadiiski キリル・カディースキーが偶然古本屋で見つけた。だが研究者が十分に鑑定を行なう前に、スイスのコレクターの手に渡る 。翌96年には、ファタ・モルガナ社からファクシミリ版に仏訳とピエール・アルシンスキーの挿絵を添えた La Legende de Novgorode (amazon.fr)が出版さ
れた。
本の真正性を疑う声は当初からあった。今年6月、ラファエル・スタンヴィルの「フィガロ」紙記事( Un faux Cendrars
au gout bulgare,Le Figaro litteraire du 28 juin 2007)が騒ぎを引き起こす。 スタンヴィルの記事はロシアの留学生Oxana Khlopina(オクサナ・フロピーナ? パリ第10大学ナンテール、クロード・ルロワ教授の指導で博士論文を作成) の研究に基づく。
フロピーナは次のような問題点を挙げる。サンドラールは「滑稽で英雄的な叙事詩」としているのに、見つかった作品の基
調は悲劇的。またホテルの名前など1907年の作にしては奇妙な箇所がある。文法と綴りの分析からも、ロシア革命で正書法
改革の行なわれた1917年以前のものとは思えず、扉のタイトルに用いられたキリル文字は、1988年に作られ普及した[[コンピ
ュータ]](プリンタ?)用のフォントと一致する。これらの点から、フロピーナは発見された『ノヴゴロドの伝説』は偽書だ
とする。
彼女は偽書の作者を特定していない。ところがスタンヴィルの記事は、ずばり Kadiiskiを作者とする。フロピーナの論点
をまとめた上で、
Et pourtant, trop respectueuse de l'homme de lettres qu'elle ne rencontra qu'une fois a la Rotonde, toute timide alors et petrie d'admiration, la jeune universitaire se refuse a livrer le nom de celui que tout accuse : une parfaite connaissance de la langue russe et de ses subtilites, des qualites de poete, une connaissance des techniques de l'edition, la Bulgarie : Kiril Kadiiski. Celui-la meme qui decouvrit le faux.
けれども、「ラ・ロトンド」で一度会ったきりの文学者への敬愛の念はあまりに強く、その頃は内気で、ひたすら相手
に感服していたから、若い研究者はその人物を名指すことを拒む。作者が誰か、すべてが示している。ロシア語とその微妙
さを知り尽くし、詩人の資質、出版技術の心得、ブルガリア―Kiril Kadiiskiだ。偽書を発見したその人。
これにはKadiiskiの激しい反論があった。ルロワ教授も、告発めいた「フィガロ」の記事に怒りを隠さない。フロピーナの
論文は、サンドラールとロシア一般との関係を主題とする。『ノヴゴロドの伝説』についての章はその一部にすぎない。研
究が思わぬ波紋を呼び、フロピーナは動揺している。
最初アスリーヌのブログ(07 juillet 2007 Le fantome de Cendrars en rit encore)で知った話、「フィガロ」記事と
Wikipedia Courrier internationalの記事を参照。要約の要約、情報としては粗くなる。
Poems Ron Padgettの英訳に仏語原詩を付した全詩集Comlete Poems(amazon.co.jp)には『伝説』は収められていない(「
発見」に先立つ1993年刊)
ただ、Prose du Transsiberien et de la Petite Jeanne de France (1913 以下Proseと略記)には
Le Kremlin etait comme un immense gateau tartare Croustille d'or Avec les grandes amandes des cathedrales toutes blanches Et l'or mielleux des cloches... Un vieux moine me lisait la legende de Novgorode
The Kremlin was like an immense Tatar cake Iced with gold With big blanched-almond cathedrals And the honey gold of the bells... An old monk was reading me the legend of Novgorod
別の箇所では「読んで」が「歌って」になる(Un vieux moine me chantait la legende de Novgorode)
2007年10月27日(土)の午後3時から6時、恵比寿の日仏会館ホールで、スイス大使館主催のブレーズ・サンドラール生誕120年記念シンポジウムが行われた。「スイス=ブラジル 1924 ~ブレーズ・サンドラール、詩と友情~」と題して、1924年の彼のブラジル旅行ならびにブラジルのモデルニズモのアーティストたちとの友情に焦点が当てられた。
清岡智比古によるサンドラールの生涯の概観、管啓次郎によるサンドラールのブラジル詩朗読、山口昌男による「世界の創造者サンドラール」、今福龍太による映像構成「1920年代ブラジルへの想像の旅」に加えて、高橋悠治によるダリウス・ミヨーやヴィラ=ロボス、アントニオ・カルロス・ジョビンのピアノ曲演奏。
シンポジウムでは、以下の講演が行われた。 ◆サンドラールの生涯 清岡智比古(フランス語文学) ◆世界の創造者サンドラール 山口昌男(文化人類学) ◆サンドラールの詩(フランス語および日本語訳)朗読 管啓次郎(比較詩学) ◆サンドラールのブラジルへの想像の旅(映像構成) 今福龍太(文化人類学) ◆ミヨー(『ブラジルへのサウダージ』他)、ヴィラ=ロボス(『ブラジル風バッハ』第四番他)、ジョビンのピアノ曲
-演奏- 高橋悠治
--Yayamachi 2009年12月9日 (水) 04:39 (UTC)
すみません
[編集]本文が存在しないと思ってお粗末な記事を書いた後でノートがあることに気づいてしまいました。どうしましょうか・・・ --MTBM3 2010年10月1日 (金) 07:06 (UTC)