ノート:ヘイト本
ヘイト本の定義について
[編集]定義について弱い気がしますし、反論なども載せて中立的な記事に発展させる必要を感じます。また、スタイルの修正も必要と感じます。--S.S.E.H.(Talk/Contribs 2021年4月15日 (木) 11:36 (UTC)
- 賛成 S.S.E.H.さんの、定義に関しての意見に賛同するとともに、セクションの整理と統合を行うべきだと考えています。さらに、内容そのものについてですが、香港と台湾、およびアメリカとオーストラリアの「ヘイト本」についての議論を検証し直すべきだと思えました。定義について補足しますと、「ヘイト本」という語句そのものの定義の参考になりそうなもので以下のようなものがありました:「ヘイト本」の定義について|出版社ここから さらに、スタイルについての件ですが、脚注についてはひとまず修正を行ないました。ご確認いただければと思います。 --Dokuo350(会話) 2021年4月22日 (木) 15:14 (UTC)
2021年4月25日 (日) 00:46 版 への差し戻し提案
[編集]出展が十分でないまま 「2021年4月28日 (水) 13:04版」以降で全面的に書き換えられており 独自研究に近いものとなっている。また、過去の内容が削除された理由も不明瞭です。
永江朗の「私は本屋が好きでした」(太郎次郎社エディタス)では「ヘイト本」を「差別を助長し、少数者への攻撃を扇動する、憎悪に満ちた本」と定義している。 大泉実成らによる「さらば、ヘイト本! 嫌韓反中本ブームの裏側」(ころから)では「ヘイト本」を「よその国を十把ひとからげにし、他民族を嘲笑したり、民族差別や排外主義を煽る本」「人種的差別撤廃条約の第4条(b項)にあたる人種差別を助長し及び扇動する宣伝活動にあたる書籍」と定義している。 また「ヘイト本」という呼称は、ヘイトスピーチと後述の嫌韓・嫌中本ブームが一続きのものいう意図が込められている。
ここは、出展があるので残してもよいのかなと思います。
注釈 がついているものも、書籍名、項目、ページ番号が記載されていれば「2021年4月25日 (日) 00:46 版」と統合する形で残してもよいと思います。 編集合戦になるようならば、保護依頼で。
(--103.140.113.234 2021年4月29日 (木) 09:19 (UTC)
- 定義については現状の方がまだ中立的と感じますし、Dokuo350さんがリンクを提示されている内容を呼称側は主張しているという旨を記載して良いと思います。確かに書き換えられたのは一旦差し戻してもいいのかもしれませんが、同時に私が指摘したとおり中立的な内容に修正していくことも必要かと思います。--S.S.E.H.(Talk/Contribs 2021年4月29日 (木) 15:00 (UTC)
- 中立的な記述という点からも、海外の状況についての記述がなく、消えてしまっている分を一部書きました。
(--103.140.113.244 2021年5月4日 (火) 06:44 (UTC)
ヘイト本認定は対象が中韓が中心(一部例外として沖縄も対象)で米国や日本が対象外な点について
[編集]タイトルからヘイト本を認定する人たち(岩下結・木瀬貴吉など)は批判対象を韓国や中国に関する本を中心に焦点をあてて「ヘイト本」とネガティブに呼称することに終始しており(一部例外として沖縄に関する本も対象)、彼らは日本人によるアメリカ人にネガティブなタイトルの本(例として近藤康太郎の「朝日新聞記者が書いたアメリカ人「アホ・マヌケ」論」(講談社)や小林至の「アメリカ人はバカなのか」(幻冬舎文庫)や大江かおりの「在米日本人女子高生から見たバカなアメリカ人」(データハウス)や有元美津世の「欲張りで懲りないアメリカ人」(祥伝社))や非日本人による日本人にネガティブなタイトルの本(例として孔健の「日本人は愚かである!?」(ごま書房)や金容雲「醜い日本人」(三一出版)や田霊玉の「悲しい日本人」(たま出版」)は「ヘイト本」扱いをしようとはしない(もしくは一切無関心である)という特徴がありますね。タイトルからヘイト本を認定する人たち(岩下結・木瀬貴吉など)はこういうダブルスタンダードを放置し続ける限り、タイトルからヘイト本を認定する人たち(岩下結・木瀬貴吉など)への反発がやむことはないでしょう。
出典がないという理由でこの旨の記述は本記事では削除されていますが、出典が無くてもこういう素朴な疑問が出てくるのは当然だと思います。--2400:4153:3161:1200:5C6E:5E35:A9E9:FD74 2021年6月11日 (金) 09:22 (UTC)