ノート:ホツマツタヱ/否定側の最低限ライン
否定側の最低限ライン
[編集]肯定側の議論が白熱しており興味深く拝見しております。私はどちらかというと否定側です。個人的には平安時代以降に纏められ、集大成は江戸時代だが、元ネタは記紀以前に遡る可能性のある文書を含むもの(先代旧事本紀と同様)と思っております。
さて、ウィキペディア日本語版の公式な方針である中立的な観点から言えば、疑似科学であろうとも「主流派の(科学者の)意見を主流派のものとして提供し、少数派の(時として擬似科学的な)意見を少数派のものとして提供し、更に、科学者がそれら疑似科学の意見をどのように受け止めているかを説明すること」で対処しようとするものであり、本項目のように疑似科学とまでは言えなくとも熱心に否定論を唱えている正当な学者が一部に存在する説の場合、その事実は冒頭で明記すべきであろうと思います。
否定説が圧倒的多数である九州王朝説のように、冒頭で否定側の存在を明記し、本文中で否定側意見も紹介すれば、全体のトーンが肯定意見で埋め尽くされていても中立的な観点は担保されると考えますので、そこだけは削除しないで頂きたいと思い、その点を合意事項にしたいのですが、ご意見をお願いします。--ろう(Law soma) 2007年1月16日 (火) 02:08 (UTC)
ろう(Law soma)さんが手を加えた冒頭の説明文は、中庸を得た、バランスの良い形になったと思います。ただちょっと長く感じますけどね。まあ両論ある微妙な題目ですから、私は納得できます。--Hotsuregua 2007年1月16日 (火) 09:51 (UTC)
否定側の主要学説がLaw somaさんの書かれたもので押さえられているのなら、私も同意します。冒頭第1段落は、少なくとも江戸時代まではさかのぼれる古文書であるとの記述。第2段落は、学説ではこうだとの記述。第3段落は、真書であるならこうだとの記述。順序としてもよいのではないでしょうか。--うまやど 2007年1月16日 (火) 13:58 (UTC)
定義が長くなりますが、第3段落の真中にあった真偽の決着がついていないなどの記述は、第4段落をもうけて定義の結論にもってゆきました。このあたりで中立的ではないでしょうか。定義にも書きましたが、そろそろ学問的評価が待たれている段階だと私は思います。疑似科学的な記述はあがらないほうがよいのですが。--うまやど 2007年1月17日 (水) 01:05 (UTC)
- 概ね御同意頂けたものと思います。なお、否定側の主要学説は、単に「神代文字」を否定するものであることがほとんどで(近著では、言語学者北大名誉教授の大島正二の「漢字伝来」など)内容に踏み込んでいるものはほとんどありません。
- 私は神代文字には否定的ですが、古代からの伝承が何らかの形で記録されることはあり得たとは思っています。ただ、現在の実証主義史学では、(宮内庁本の公開がなければ)これ以上の考察は不可能だと思います。せめて文体研究などから推古朝文体であるか否かでも研究されていれば、仮にヲシテが後世の創作であっても記述内容について信憑性があるかどうかが判断できると思うのですが。
- ただ繰り返すようですが、中世~近世は日本神話を体系化しようと色々な試みがなされた時期ですので、本書が真書なのか偽書なのかの判断には慎重を期す必要があることは言うまでもありません。--ろう(Law soma) 2007年1月17日 (水) 05:37 (UTC)
- 宮内庁本の有無については、検証不能ではないでしょうか。ソースは「古田史学の会」です。古田史学は、「和田家文書」(いわゆる「東日流外三郡誌」)を宣伝し,評価してきたことから、信用を失っています。
- 文体研究は、本来しなければならないもののひとつですね。ホツマツタヱの中でも前半(カミヨ)と後半(ヒトノヨ)で随分文体や語彙が異なります。ですから全体が推古朝文体になるとは思えませんが、最後のほうは類似性があってもおかしくありません。もっとも、景行天皇から推古天皇まででも少なくとも500年くらいの時間が経っていると思われます。
- 私の第1印象は、随分漢文の読み下し文のような文なんだなです。後世の偽作じゃないかと直感いたしました。しかし、漢文の読み下し文の文体の起こりはなんだったんだと考えると、「ヲシテの文体 → 漢文読み下しの文体」、も否定しきれるものではないと思うのです。延喜式の祝詞も、ヲシテからすると「随分後世の漢文の影響を受けた文体」のように見えます。なんといっても五七調じゃないし。
- 妄想に走るのではなく、学問に足るレベルでヲシテ文献を研究する学者の登場を心から待っております。本当は、日文研・国学院・皇學館がちゃんと取り組まないといけないものだと思います。--うまやど 2007年1月17日 (水) 06:00 (UTC)
- 全く同意します。先代旧事本紀のように偽書扱いであったものが、少なくとも古代からの伝承を元に平安時代初期に纏められたものと評価された場合もあり、研究が望まれるところです。それには神道学を学術レベルで研究している両大学あたりが最適なんですけれどね。--ろう(Law soma) 2007年1月17日 (水) 06:22 (UTC)
- わたしはホツマツタヱ、ミカサフミ、フトマニの3文献は、学問的再評価の段階にきたと考えています。それゆえ百科事典であるwikiのホツマツタヱの記述は、主観を排し、できるだけ事実に即した記述とし、どうしても主観的な内容も記述したい場合は、明らかにそれとわかる形で併記する(現在のスタイル)で記述することを希望します。これがどうしても守れない場合は、「ホツマツタヱ」の項目と「秀真伝」の項目を分離し、あいまいさ回避のページをはさんだ上で、主観的な記述は「秀真伝」の方に移していただくようお願いいたします。--うまやど 2007年1月17日 (水) 12:23 (UTC)
- 宮内庁保管本に触れたネット上の記事は多数ありますが、そのうち二所のリンク先を示してあります。もちろん、その元が旅館の主人の談話となってしまうので、最終的には一つの出所からの一つのメディアを通してネット上に広まった情報が、複数サイトに書き込まれ、ホツマツタヱの研究者の間でよく知られるようになったようです。そこで、皇族の方が旅館に命名した一件を持ち出してきて、たった一人の人物の証言だけで、この話が出来上がっているわけではないことを示してあります。--203.168.92.153 2007年1月17日 (水) 12:59 (UTC)
- 勝手な思い込みで、偏った一方の視点からだけの注釈を付けてしまっている人がいるようですが、かえって情報が入り乱れて混乱する可能性もあります。肯定派否定派両方の視点から目配りした記事をお願いします。--203.168.92.153 2007年1月17日 (水) 13:55 (UTC)
- 外部リンク(古墳誰時ホームページ(「ホツマツタヱ」の実年代を推定した資料があるサイト))が追加されたようなので見てみましたがそれらしい資料はみつかりませんでした。これから作るのかな?--Hotsuregua 2007年1月20日 (土) 19:23 (UTC)
- 古墳誰時ホームページの「秀真伝による驚異的な古代史解明図(2001.11.7版)」は、細かく見れば直せる点がありそうだと感じますが、大きな誤りはないのではないかと思いました。もっと良いものを御存知なら、御紹介ください。--203.168.92.153 2007年1月22日 (月) 10:27 (UTC)
- 「秀真伝による驚異的な古代史解明図(2001.11.7版)」というところをクリックしてもまたもとのページが表示されるだけです。メンテナンスがよろしくないページなのかな。ちなみに使ったブラウザはIE6SP2です。--Hotsuregua 2007年1月30日 (火) 14:42 (UTC)
リンクアドレスの最後に「/」がひとつゴミとして紛れ込んでいたので、22日頃それを除去しています。その後、私は正常に表示されています。ネット上の有名な邪馬台国の存在を語る掲示板などからも、そのサイトにリンクが貼られていますが、見れないという話は出ていないようです。一年しか自分の説と差がない、といったコメントが付いているので、皆さん見えているようなのに、どうしてHotsureguaさんだけ見れないのか、私にはよく分かりません。
こういう表は、今後ホツマツタヱの伝承内容の確かさを論じるときに、重要になってくる参考資料だと思います。多くの人が検討を加えたものが出てきて、進展していって欲しいいテーマです。ようやく去年の暮れ頃から、寿の考え方によって年号の「増し」が行われて、神武天皇などの在位期間が不自然に長く見えてしまっているだけで、ホツマツタヱの「増し」を戻す手掛かりになる記述による補正で、実年代が割り出せる可能性があることが、歴史学者達の興味を引くようになってきているようです。これからの検討が注目されている重要な情報なんですよね。もちろん、ウィキペディアの中で紹介することで、研究が進展するなら、役に立つ情報になると思って書いたのですが、勝手な判断で削除されてしまったようです。多くの研究者が認識を得る機会を失い、研究を遅らせる損失を招くことにもなりかねません。記事の改竄には情報伝達の妨害行為という非難が向けられていると感じます。ネット上でリアルタイムで重要視されているテーマを、知識として百科事典に載せることを、個人的判断で身勝手に拒否されるのは問題がありますね。--203.168.92.153 2007年1月30日 (火) 20:26 (UTC)
- 「実年代が割り出せる可能性があることが、歴史学者達の興味を引くようになってきているようです。」とありますが、その論拠を提示してください。また、Wikipediaを元に研究者が認識を得るということがありえるとは思えません。そのようなありえそうもない事例があるのでしたら、それも論拠を示してください。133.46.41.240 2007年1月31日 (水) 06:44 (UTC)
「歴史学者達の興味を引くようになった」ことは、某有名掲示板の反応などを見れば分かると思います。「Wikipediaを元に研究者が認識を得る」のは、今までホツマツタヱをまともに読まずに、偽書と思ってきた人が非常に多いからです。私がある有名サイトから頂いてきて再構成した、和歌姫にまつわる解説などが、関心を持って読まれたのもそのためです。ろうさんも指摘していますが、否定側の主要学説は「神代文字」を否定するものがほとんどです。伝承内容が吟味される機会はこれまであまりなかったのです。今回私が書いた記事で和歌姫の具体的な伝承に初めて触れて、面白いから本を買って一気に読んだという方が、私が関わりを持つある学園を中心にかなりの広がりを見せているようです。マイナーなブームが起こっているみたいで、勉強会も立ち上がりそうな雰囲気です。良い反応になってきていたからこそ、たった一人の研究者だけが正しくて、他は全部信頼がおけないという、独り善がりな印象を受ける記事へと、大きく内容が変えられてしまった、不自然すぎる現状は、ホツマツタヱのコミュニティーの不自然な印象を受ける体質から生じた、深刻な問題が反映したもので、歪んだ混乱を招いていると受け取られているように思います。--203.168.92.153 2007年1月31日 (水) 09:09 (UTC)