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ノート:ホツマツタヱ/学問的な検証に耐える議論のみに記事を限定することを提案

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学問的な検証に耐える議論のみに記事を限定することを提案

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数日間、出張にて場を離れておりました。 203.168.92.153というIPアドレスから繰り返し質の低い投稿が繰り返されています。 私は、人格攻撃になることを避けるよう、彼の議論の内、

  • 根拠となる資料が明確でない
  • 根拠となる資料の質が低い
  • 根拠となる資料の組み合わせに無理がある、論理の飛躍が激しい

ものについては、はじめから議論の対象としないようにしてきました。これを問題にすると、必然的に、彼の資料を選ぶセンス、真偽に対するセンス、学問に対するセンスを問うことになり、最終的に人格を問うことになります。

言霊

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一例をあげますと、漢字・カタカナ表記についての彼の発言の発端は、言霊でした。ヲシテ時代の言葉は、今と違い言霊であった。その言霊を損なうカタカナ表記はダメである。しかし、ヲシテ文献には、「コトダマ・ことだま」なる言葉は全く存在しません。どこを探してもない。言霊(コトダマ)なる言葉は、ヲシテ文献に基づいた分析とは無縁です。

ヲシテ文献 → 言霊

という議論はできない。主張のレベルでは別。主張するのは勝手ですから。しかしヲシテ文献からはいえない。逆に

言霊 → ヲシテ文献

という議論、言霊を信じていてそれに使えるものを探していたところヲシテ文献というものがあった。これで言霊を正当化しよう。このような方向の議論は、主張としては結構だが、ヲシテ文献に関する学問とは無縁。即ち、Wikiの中身には不適です。

203.168.92.153というIPアドレスから繰り返されている投稿はこのレベルのものがほとんどです。もう一例あげましょう。

いわゆる宮内庁本

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二岐温泉で、開かずの部屋から大量の木簡が発見され、それには秀真文字が書いてあり、宮内庁が持っていった。その文書は宮内庁と銀行に保管されているが公開されない。後日、温泉には宮様がこられて、旅館に「大丸あすなろ荘」なる縄文時代にちなんだ名前がつけられた。という話です。しかし、この記事で検証可能なのは、次の点です。

  • 温泉に宮様がこられて、旅館に「大丸あすなろ荘」なる縄文時代にちなんだ名前がつけられた

他のものは、全て伝聞や憶測に過ぎません。最低でも、新聞記事で「二岐温泉で古代文字で書かれた大量の木簡発見」というような記事でもあれば別です。あるいは、宮内庁の工事記録、富士銀行による記者発表があるなら傍証にはなるでしょう。そのような確認もせず、偽情報を出した前歴のある「吉田史学会」の記事を根拠に議論を展開。主張としては結構だが、ヲシテ文献に関する学問とは無縁。即ち、Wikiの中身には不適です。

2例を挙げましたが、このような議論を、「粗雑な議論」「妄想」と指摘しております。

真書である根拠

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ホツマツタヱが真書であるかどうかの根拠としてあげていた情報もひどい情報でした。

  • 上代特殊仮名遣いについて
当時は一音一意、秀真文字は219文字あり、音韻が豊富。上代特殊仮名遣いを満たすことができる。
  • 文字の構成がハングルに似ている
ハングルは、神代文字であるアヒル文字に酷似している。
  • 紙がないのに長文の記録は無理だったはず
上記の宮内庁本をもとに、木簡だったと主張

それに対して、事実は

  • 上代特殊仮名遣いについて
ヲシテ文献からは、母音は5つとしかいいようがない。むしろ上代特殊仮名遣い説のほうに問題があるのではないか
  • 文字の構成がハングルに似ている
そうかもしれないが、こういう文字なのだとしかいいようがない。ヲシテ文献からはクニトコタチの時代から文字があったのではないか
  • 紙がないのに長文の記録は無理だったはず
ホツマツタヱの中の記述から、布または札に染められていたと考えられる。

これらは、ヲシテ文献からいえることだけを取り上げたものです。そこに、やれ言霊、やれアヒル文字、やれ宮内庁本と議論を展開する。

このような議論を、「粗雑な議論」「妄想」と指摘しております。

学問に対する姿勢

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学問は地味で敬虔なものです。いろいろ主張したいけれども、確実な根拠のあることしかいえない。ホツマツタヱは、フトマニ、ミカサフミしか類書がない。比較できるものも古事記と日本書紀しかない。必然的に、写本を集めて校本をつくり、記紀と比較する、フトマニ・ミカサフミと比較する、このこと意外には方法はない。この限られた方法の中で、事実を積み上げる。仮説を検証する。このような地味な作業に耐えて作られた議論だけが、学問として信用するに足る議論です。

このような作業に取り組むものは、自ずと、

  • 対象である「ホツマツタヱ」に対する敬意と感謝
  • 対象である「古代史」に対する敬意と感謝
  • 対象である「日本」に対する敬意と感謝

を持つに至ります。しかし、203.168.92.153というIPアドレスから繰り返されている投稿は、そのような姿勢を感じないものばかりです。

ホツマツタヱは真書であると主張しておいて中には変造されている箇所もあると主張してみたり(「寿命に関するくだり」、削除ずみ)、聖徳太子の不在説を根拠に議論を展開したり(「写本が近世まで秘匿された理由の推測」に関するくだり、削除ずみ)、神武天皇は皇位を簒奪しただとか(削除ずみ)。

以上はめだった点のみの指摘です。さらに、やれペトログリフ、やれ道鏡、やれ言霊。ホツマツタヱを、疑似科学、オカルトに貶める議論が続きます。

解決策

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このような、学問的なセンスを疑う投稿が繰り返されていますので、この「ホツマツタヱ」の項目の品質を保つのは困難になっています。 私の提案する解決策は次の3つです。

  • 学問的な検証に耐えない議論を削除する
具体的には、「記紀と『ホツマツタヱ』の比較」(その下位項目を含む)、「ホツマツタヱについてのその他の伝承」、「偽書疑惑に対するその他の反論」、を全面的に削除する。リンク先についても信頼に足るものだけに限定する。
  • 203.168.92.153からの投稿を制限する
「ホツマツタヱ」について、203.168.92.153からの投稿を制限することを依頼
  • 学問的な検証に耐える情報とその他の情報を完全に分離し項目を分ける
学問的な検証に絶える情報のみを「ホツマツタヱ」の項目に残し、その他の情報については新たに「秀真伝」という項目をつくりそちらに移動する。

私としては、203.168.92.153の書きたい、表現したい、伝えたいという意志をわずかであっても尊重できる3つめの方法で彼の意欲もみたしてやれないかと思います。--うまやど 2007年1月21日 (日) 12:44 (UTC)[返信]

[第一案に賛成]私は、1つ目の案に賛成したいと思います。本来あるべき姿に近いと思うからです。--Hotsuregua 2007年1月21日 (日) 13:06 (UTC)[返信]
私はどちらかと言えば否定側ですので、学者中心に否定意見が多いこと、しかし全否定する根拠もないので今後の研究待ちであることが目立つところに明記されていればどちらでも構いません。しかしうまやどさん、Hotsureguaさんのようなスタンスの方がいらっしゃることは、ホツマ系文献の将来が暗くないことを示していると考え、1案が望ましいと思います。(3案の場合、いわゆる隔離項目となって実害が酷くなる気もします。)--ろう(Law soma) 2007年1月23日 (火) 00:05 (UTC)[返信]
この場の品質を維持するという点につき、ご理解を賜り感謝申し上げます。wikiという場の性格上、コンセンサスの取れた第1案の方向で参りたいと思います。--うまやど 2007年1月25日 (木) 01:57 (UTC)[返信]
コンセンサスに基づいて、記事を整理しました。鳥居礼の書籍は、誤認や誤訳、論理の飛躍も多い主張レベルのものです。学問的な検証に耐えません。鳥居礼の書籍を根拠とした記事はWikiのレベルのものになりません。--うまやど 2007年1月26日 (金) 06:29 (UTC)[返信]
お疲れ様でした。否定側としましても特に異論はありません。--ろう(Law soma) 2007年1月26日 (金) 08:15 (UTC)[返信]
これで「中立的な観点」と「出典の明記」を削除してもよいのではないでしょうか。そうした上で、また質の悪い投稿が続くようなら、「中立的な観点」と「出典の明記」を復活した上で、該当記事を削除する。--うまやど 2007年1月26日 (金) 13:14 (UTC)[返信]

[賛成]そろそろ「中立的な観点」と「出典の明記」は削除してよさそうですね。--Hotsuregua 2007年1月27日 (土) 00:07 (UTC)[返信]

実際に学問的な検証が行われた事実はない

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まだ歴史学会などがきちんとした研究対象と認めていない状態なので、ホツマツタヱを巡る情報が、玉石混合状態で、的確に情報が整理されていないのは、仕方がないと思います。うまやどを名乗る方が個人的に石コロとみなして勝手に削除した情報も、近い将来重要な意味を持ってくる可能性を秘めているものが多いので、身勝手に取捨選択していると、情報の伝達を妨げ、研究を遅らせる結果を招くだけです。

たとえオカルト情報であっても、情報として存在していることが、その分野で広く認められていれば、記事になります。イエスキリストが一度死んだのに生き返ったなんて話は怪しいから、記事として採り上げるわけにはいかない、などと論じるのは無理があります。言霊思想についても同じことです。

ペトログリフなどを、ゴミのように語っていますが、第二次世界大戦当時の軍国教育の妨げになると、破壊されてしまったものが多いこともあったり、歴史研究家のなかに毛嫌いして似非科学呼ばわりしてきた、歪んだ認識を持つ人がいたせいで、研究がうまく進んでいなかったようです。しかし、きちんとした物的証拠になりえます。研究がまだ十分されていないのに、学術的に検証に耐えないと現時点で語ることは無理があります。検証すべき組織すら存在しないのに、検証に耐えるなどと、勝手な記事を捏造すれば、嘘になります。検証に耐える耐えないを、現時点で、専門家でもない個人が、勝手な憶測の判断を働かせて篩い分けすることは出来ない状況にあると思います。

下のほうで私は論理的に破綻という言葉を何度も用いていますが、学問的な検証に耐える資料とされる文献に現在分類されている書籍の著者の中にも、たいへん残念なことですが、論理的に破綻したことを書く癖をお持ちの方がおられると感じています。そういう問題視される要素がなければ、もっと早くホツマツタヱは多くの歴史研究家達の間で、議論の対象になっていたと感じます。うまやどを名乗る方は、文献資料間に、玉石の差があると考えているようですが、私はほとんどの文献の内部に、石ころと宝石が入り混じっていて、どの資料も内容の吟味が不十分の、五十歩百歩の状態にあると感じます。私個人が厳密に検証するなら、30点以上の出来と評価出来る文献は存在しない、全て論理の組み立ての部分が及第点に達していないと感じます。いずれにしろ、実際に学問的な検証が行われた文献などない、という事実は無視できないでしょう。--203.168.92.153 2007年1月30日 (火) 21:06 (UTC)[返信]