ノート:ボグド・ハーン
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疑念のあるテンプレート
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- 溥儀に「モンゴル可汗」として即位したという記録の典拠がありましたらよろしくおねがいします。
- 「人民大会議議長」のジャダンバが「モンゴル可汗」として即位したという記録がありましたらよろしくお願いします。--Dalaibaatur 2010年5月5日 (水) 02:24 (UTC)
- うーん、このテンプレートは、どう見ても「モンゴルの最高指導者」あるいは「国家元首」の流れを表したものだと思いますが・・・。
- それに、清皇帝の中華とモンゴルにおける二面性については、私なんかより詳しいでしょうに。
- まぁ、誤解を与えるというのでしたら、別に無くてもいいんですけどね。--Ashtray 2010年5月21日 (金) 11:50 (UTC)
改名の提案
[編集]- ジェプツンタンパ8世の記事として執筆されたこの記事を「ボグド・ハーン」より改名することを提案します。
- 【尊称での立項がおかしい】
- 「ボグド・ハーン」とは「聖なる王さま」の意味の尊称。当時のモンゴル人ならともかく、後世の、外国人である我々が1911年から1924年までのジェプツンタンパ八世に敬称を用いる必要も理由もない。日本の今上天皇を「明仁」で立項しているこの百科事典(ウィキペディア)が、外国の、しかも過去の君主政体に敬称を使用して立項するのがおかしい。
- 【「ボグド・ハーン」であったのはジェプツンタンパ八世の生涯の一部】
- ジェプツンタンパ8世の生涯(1869-1924)にとって、「ボグド・ハーン」であったのは晩年のごく一時期。「ボグド・ハーン」の記事名はこの人物の生涯を扱うには不適当。
- 【「ジェプツンタンパ8世」に改名を】
- 他の化身ラマたちは「歴代が襲名してきた名跡 + 第○世」という形式になっているので、「ジェプツンタンパ8世」で。--Dalaibaatur 2010年5月9日 (日) 01:10 (UTC)
- Dalaibaatur さん、こんばんは。ご連絡ありがとうございます。
- さて、せっかくお呼び頂いたのですが、現状ではご賛同しかねます(かといって積極的に反対するつもりもありませんが)。
- 「尊称での立項がおかしい」というのは、解らなくもないですが、日本における通俗的呼名は、「ボグド・ハーン」で固まっているように思われます。
- とりあえず今日、近くの図書館でいくつか借りてきて確認しました。
- モンゴル科学アカデミー歴史研究所『モンゴル史』恒文社、1988年 ・・・ ほぼ「ボグド」「ボグド・ゲゲーン」。
- 磯野富士子『モンゴル革命』中公新書、1974年 ・・・ 1911年のハーン即位を境に、「ボグド」「ボグド・ハーン」と「ジェブツンダムバ」を使い分け。
- また、「晩年の一時期」と申しますが、1911年から1924年の10数年、聖俗両方の最高権威たる「聖ハーン」でした。聖界だけの権威「ジェプツンタンパ」よりも重要と解します。--Ashtray 2010年5月11日 (火) 12:14 (UTC)
- ジェプツンタンパは、歴代、「ボグド・ゲゲン(お聖人さま)」と」呼ばれておりました。ご紹介の資料のうち、『モンゴル史』は、ジェプツンタンパを「ボグド・ハーンとは呼んでいない」資料ですね。『モンゴル革命』も、「ボグド・ハーン」と称するのは、「ハーンとして即位して以降」。いずれの資料も、この人物が「ボグド・ハーン」になっていない時期には「ボグド・ハーン」と呼ぶべきではない、という私の主張の裏付けになります。
- ジェプツンタンパ8世をふくむ歴代のジェプツンタンパは「モンゴルにおける聖界の権威」を基本的属性としています。8世が1913年に当時のモンゴル諸侯からハーンに推戴されたことにより、この基本的属性が消滅したわけではない。一方、ハーンとしての属性は8世1代で消滅し、9世以降には引き継がれていません。したがってジェプツンタンパという化身ラマの名跡を継承する人々は「ジェプツンタンパ○世」で立項すべきでしょう。--Dalaibaatur 2010年5月16日 (日) 05:11 (UTC)
- 二木博史・今泉博・岡田和行訳/モンゴル科学アカデミー歴史研究所『モンゴル史』(1)(恒文社1988)の第一章(pp.51-91)
- ジェプツンタンパ8世個人への呼称:ボグド・ゲゲーン(pp.63,66,67,68,75)、ボグド(p,65,81,82,83,84)、ホトクト(p.88,ただし引用史料の用語)
- 本書の場合、「政権や政体の名称の一部」としてはともかく、ジェプツンタンパ8世個人を「ボグド・ハーン」と呼称した例はありません。
- 田中克彦『草原と革命』(恒文社1984)所収「モンゴル独立闘争の基本的性格」(pp.121-152)
- ジェプツンタンパ8世個人への呼称:活仏(p.121,)
- 中見立夫「モンゴルとチベット」(『地域からの世界史6内陸アジア』(朝日新聞社,1992, pp.135-156)
- 8世個人への呼称:活仏ジェブツンダンバ・ホトクト、ジェブツンダンバ・ホトクト
- モンゴル元首の称号:皇帝(ボグド・ハーン)
- 宮脇淳子『モンゴルの歴史』(刀水書房,2002, pp.232-240)
- 即位前:ジェブツンダンバ八世、即位後:ボグド・ハーン
管見のかぎり、Ashtrayさんが提示された2史料もふくめ、1911年にハーンとして即位する以前のジェプツンタンパ8世を「ボグド・ハーン」と呼んでいる文献は一例もありません。したがって、この人物の名称が「日本における通俗的呼名は、「ボグド・ハーン」で固まっている」とするのは誤りとおもわれます。--Dalaibaatur 2010年5月16日 (日) 08:15 (UTC)
- 文献調査おつかれさまです。
- さて、ボグドとジェブツンダンバの2つの呼名があるのは周知の事実であり、「「ボグド・ハーン」で固まっている」というのは即位後の事をお話ししたつもりだったのですが、言葉足らずでした。すいません。
- お調べいただいた文献も含めて総括すれば、日本のモンゴル研究においては、即位前の活仏を「ジェブツンダンバ8世」、即位後を「ボグド・ハーン」(省略して「ボグド」)と呼び分けている、という処でしょう。
- この休み中、私の方でも、もう少し調べてからお答えしたいと思います。--Ashtray 2010年5月21日 (金) 11:36 (UTC)
「ボグド(ボグド・ゲゲン)」は、歴代のジェプツンタンパたちが共有する尊称なので、「八世個人の記事の名称」にもちいるのは不適切かと。--Dalaibaatur 2010年5月22日 (土) 16:40 (UTC)
(反対)いろいろと検討させていただきましたが、現時点では、改名に反対します。他の記事名に合わせるのも一手かと思いましたが、未だに歴代ジェブツンダンパ(1~7世、9世)の記事が作成されていないこと。- 歴代に比して、8世のみがハーンに即位し、その権威が抜きん出ていたこと。
- 彼の実績である「モンゴル独立」は、その即位と不可分であること。
- これらのことから、私は「即位後の名称」が、相応しいと結論付けました。
- そして、申し訳ありませんが、第3者からの意見があるまで、私からの意見表明は控えさせていただきます。--Ashtray 2010年5月23日 (日) 12:02 (UTC)
- ご意見ありがとうございました。ご意見の「表明」はお「控え」になるとのことですが、「用例の提示」にはとりくんでいただけないのでしょうか?
- 私の調べた範囲では、日本のモンゴル研究者で、独立時の「ハーン」への即位以前のジェプツンタンパ8世を「ボグド・ハーン」と呼んでいる例は、いまのところひとつも確認できません。
- 用例がない、ということは、8世の生涯を「ボグド・ハーン」と呼称するAshtrayさんの用法は、Ashtrayさん独特の呼称ということになります。
- Ashtrayさんがご紹介くださったモンゴル科学アカデミーの『モンゴル』にいたっては、彼の就任した地位の呼称を「ボグド・ハーン」とはよんでも、即位後も含め、彼個人を「ボグド・ハーン」とは1度もよんでおりません。--Dalaibaatur 2010年5月25日 (火) 21:50 (UTC)--Dalaibaatur 2010年5月30日 (日) 16:58 (UTC)(一部削除)
- Dalaibaaturさんは、どうやら何か勘違いをなさっているようですね。
- 私は、この手の改名議論においては、(自分の主張はそれとして)ゼロベースで話し合い、最もふさわしい記事名を互いに探求する、というスタンスです。
- だからこそ、自分の主張とは異なる文献も含めて、まずは2冊を「紹介」したつもりです。
- どうも、あなたの場合は改名ありきで、私をここに呼んだのも、失礼ながら、改名の為の単なる「アリバイ作り」にしか見えません。
- 特に、予め[1][2][3]のような編集をする行為は、私はもっとも忌み嫌います。これはWPのルール云々ではなく、「仁義礼」の問題です。
- もしDalaibaaturさんが、今現在のようなスタンスで、これからもモンゴル関連記事に臨まれるのでしたら、今後の対話はご遠慮させていただきます。--Ashtray 2010年5月29日 (土) 11:50 (UTC)
- 「記事名」全般についての自分のスタンスは「用例のない珍奇な名称は排する」、確かな「用例」「出典」に基づいて提案する、より確かな別の「用例」、「出典」が他者によって提出された場合には柔軟に自身の主張・立場を変更・撤回するというものです。「はじめに改名ありき」はたしかにそのとおりですが、同程度に「反対意見を受け入れる」姿勢も自分ではもっているつもりです。たとえば「ボグド・ハーン政権」の改名提案は、Ashtrayさんからのご意見に基づいて取り下げております。
- 自分の提案の根拠となる「用例」「典拠」を事前に示す、自分の提案に反対する方に反対の根拠である「用例」「典拠」の用例の提示をお願いすることは「合意形成」の手順として欠かせない作業と考えます。あなたをここにお誘いしたのは、自分の提案の根拠である「用例」「典拠」が偏ったり誤ったりしていないかどうかの判定をあおぐ、私の提案をくつがえしうるような別の「用例」「典拠」をご存知の場合にはご紹介いただくという目的のためです。これを「アリバイづくり」とおっしゃるのなら、まさしくその通りであります。
- あらためてお願いします。ジェプツンタンパ8世について、ハーンとして即位する以前から「ボグド・ハーン」と呼称する用法が広くもちいられているのであれば、この人物の生涯が「ボグド・ハーン」の名称で立項されることに同意することが可能です(改名の提案は取り下げ、ということです)。そのような用例をご存じでしたら、ぜひご紹介いただきたく、よろしくお願いいたします。--Dalaibaatur 2010年5月30日 (日) 16:46 (UTC)--Dalaibaatur 2010年5月31日 (月) 19:11 (UTC)(1文追加)
- 昨夜の言をなぜ消してしまったかはわかりませんが、まぁよいでしょう。せっかく1世・9世の記事も立ち上げてくださったことですし。
- それに、私はもともと強く反対しているわけではないのですよ[4]。ただ、最初の3つの改名理由からは、関連文献に当たった痕跡がまったく感じられず、あれでは賛同のしようがなかったです。
- さて、即位以前のハーン呼称をお求めですが、どうも齟齬があるようです。
- そもそも、私は既に、「研究者は(即位前後で)呼び分けている[5]」と総括しております。今も執筆用に、文献を探してますが、即位前の活仏を「ハーン」と呼ぶ研究者は、まずいないと思いますよ。
- とりあえず、順次「用例」は挙げてゆきます。賛否はまた改めて。--Ashtray 2010年5月31日 (月) 15:42 (UTC)
- となると、この人物の呼称の使われ方に私とAshtrayさんで認識の差はないのではないですか?そういうことでしたら、「ボグド・ハーン」となる以前もふくむこの人物の生涯についての記事に「ボグド・ハーン」名義を用いるのがよいとお考えの理由を、語っていただければと。
- 私が「ボグド・ハーン」を「ジェプツンタンパ8世」に変更すべきと考える理由をもう一度簡潔にまとめますと、この人物は生まれてから死ぬまで「ジェプツンタンパ」の地位にあった[1]のに対し、「ボグド・ハーン」の地位にあったのは晩年の1911年から1924年に限定されている点です。
- 「第3者からの意見」がなくとも意見表明を継続してくださるので、自身の一部発言を撤回、削除しました。--Dalaibaatur 2010年5月31日 (月) 19:11 (UTC)
- (インデント戻し)なかなか書き込みできず申し訳ないです。取り急ぎ、用例を。
- 青木雅浩「ボドー事件と外モンゴルの政治情勢」『史学雑誌』119編第3号、2010年3月、pp.293-324
- 即位後:ボグド・ハーン(pp.295-296, p.298, p.307, p.309)、註(9)の記述:第八世ジェブツンダムバ・ホトクト(p.319)
- 生駒雅則「シベリア内戦とブリヤート・モンゴル問題」『スラヴ研究』41号、1994、pp.189-216
- 即位後:ボグド・ハーン(p.192)
- 磯野富士子「モンゴル革命に対するソビエト・ロシアの軍事介入について」『東洋学報』東洋文庫、第62巻第3・4号、1981年3月、pp.359-389
- 即位後:ボグド(p.148, pp.153-154, p.158)
- 烏蘭塔娜「ボグド・ハーン政権成立時の東部内モンゴル人の動向」『東北アジア研究』東北大学東北アジア研究センター、第12号、2008年3月、pp.97-118
- 即位前:ジェヴツンダムバ・ホトクト、即位後:なし(政権名は「ボグド・ハーン政権」「ボグド・ハーン政府」)
- 橘誠「ボグド=ハーン政権の第二次遣露使節と帝政ロシア」『史観』早稲田大学史学会、154号、2006年3月、pp.37-59
- 即位前:ジェヴツンダムバ=ホトクト(p.39)、即位後:ハーン(p.39)
- 中見立夫「ボグド・ハーン政権の対外交渉努力と帝国主義列強」『アジア・アフリカ言語文化研究』東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所、17号、1979年、pp.198-218
- ボグド・ゲゲーン(p.4, p.6)、即位後:ボグド・ハーン(p.6, p.12, p.21, p.25, p.41, p.44)、ボグド・ゲゲーン(文献からの引用時)(p.32, p.34)
- Ts. バトバヤル/D. シャフラー「一九二〇年代におけるモンゴル・ロシア関係とウリヤンハイ問題」『一橋論叢』一橋大学、第120巻第2号、1998年8月、pp.198-218
- 即位後:ボグド(p.199)
- 二木博史「チベット人活仏がモンゴル国王として即位するための条件―19世紀すえのモンゴル語文書史料の分析」『文書史料からみた前近代アジアの社会と権力』東京外国語大学大学院地域文化研究科、2007年、pp.71-99
- 即位前:ジェブツンダンバ・ホトグト8世(pp.71-73, p.75, p.81, pp.83-85)、ジェブツンダンバ・ホトグト(pp.75-81, p.85)、活仏(p.75)、即位後:モンゴル国王ボグド・ハーン(p.72)
- B. スラヴィンスキー/D. スラヴィンスキー『中国革命とソ連-抗日戦までの舞台裏1917-37年』共同通信社、2002年
- ボグド・ゲゲン(p.49, pp.52-54, p.57)
- --Ashtray 2010年6月9日 (水) 15:51 (UTC)
- 一部追加--Ashtray 2010年6月13日 (日) 03:48 (UTC)--Ashtray 2010年6月15日 (火) 12:22 (UTC)
- (コメント)さて、古今東西、ある個人の呼名が変わる例はいくらでもあります。国籍の変化に伴うもの、出世に伴うもの等、理由は様々です。
- どの名前・名称・称号が、どれだけ長く使われたかという論争は、正直、無意味だと思います。むしろ、歴史学やモンゴル学の研究文献で、どのように呼ばれているかを調査し、そこから結論を導き出すべきです。
- 「生涯の名前が○○だったから」という理由では、私が賛成することは、まずあり得ません。
- しかし、今日現在、1-3世、6世、9世が立頁済みであることから、議論当初と異なり、改名自体は十分考慮に値すると思います。
- さてさて、3歩譲って改名するとして、なぜ「ジェプツンタンパ8世」なのでしょうか?
- 元々既に「ジェプツンダンバ・ホトクト」が立頁済みであり、なぜあえて「ホトクト」を省略し、また「ダ」→「タ」・「バ」→「パ」と子音化しているのでしょうか?
- 文献では、前者のような省略はありますが、後者の表記は見当たりませんでした。--Ashtray 2010年6月13日 (日) 06:56 (UTC)
脚注
[編集]- ^ 1874年に出生時(1870)にさかのぼって認定