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ノート:マハカーシャパ

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中国禅の話は『禅』からのコピーですから、削除すべきと思われます。Authority 2004年8月27日 (金) 09:24 (UTC)[返信]

削除しますが、念のため全文をこちらに保存します。Authority 2004年8月27日 (金) 11:37 (UTC)[返信]

マハカーシャパ (mahaakaazyapa、摩訶迦葉 尊者、まかかしょう そんじゃ。紀元前5世紀)は釈迦滅後、その教説の歪曲、散逸を防ぐために、結集を開催したことで知られている。釈迦と同じく北インド(またはネパール)付近の王子の身分から全てを捨てて出家した十大弟子の一人である。

中国禅の伝承では、マハカーシャパは、禅の始祖で仏教の開祖のゴータマ・シッダッタ(釈尊)の元で光明を得たとされている。ある日、ゴータマ・ブッダがいつものように講話を始めるのにやって来た。が、その日は花を手に一輪持って来ていた。花はバラであるとも蓮の花であるとも伝わる。ゴータマ・ブッダは座った後も花を手にしたまま講話を始めずに座っていた。そうして長い間弟子達とともに静寂の中に座っていた。

しばらくして、誰かが突然笑い始めた。笑い始めたのはマハカーシャパである。ゴータマ・ブッダは立上り、木の下に座っていたマハカーシャパに近付いて行った。持っていた花をマハカーシャパに手渡し、語った。「語ることの出来ることは全て語った。語ることの出来ないことはマハカーシャパに伝えられた」。

それ以降のマハカーシャパの記録は仏典に伝承されていない。マハカーシャパから始まる流れが禅であり、マハカーシャパの直系の弟子であるボーディダルマにより中国に伝えられ、臨済等唐代の祖師たちを得て興隆した。何人かの祖師たちにより日本に伝えられ、鈴木大拙によって日本から世界へと伝えられた。


関連項目 臨済宗、曹洞宗、黄檗宗、普化宗。

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