ノート:マルグリット・ドートリッシュ
この記事は2007年4月1日に削除依頼の審議対象になりました。議論の結果、削除となりました。 |
項目名の変更について
[編集]マリア・レオポルディーネ・フォン・エスターライヒ、ノート:イザベラ・フォン・エスターライヒでも問題にしましたが、この人物もドイツ名で呼ぶのはおかしいと思います。フランドルで生まれ、フランスで育ち、フランス王妃にもなり、後半生をフランドルで過ごしたことを考えると、フランス名でマルグリット・ドートリッシュ(Marguerite d'Autriche)と呼ぶべきではないかと思うのですが、どうでしょうか?--Uraios 2006年12月11日 (月) 12:04 (UTC)
- 上記の通りに改名しました。--Uraios 2006年12月15日 (金) 15:52 (UTC)
早期に改名すべき問題ではないので現時点で改名は提案しませんが、申し上げておきます。彼女の場合、最もよく使った(であろう)フランス語で表記、というのは理解できます。しかし根本的な誤りを指摘しますと、フランドル地方で話されているのはフラマン語=オランダ語の方言です。従って、その後ネーデルラント総督にもなっていますからオランダ語表記の「マルハレータ・ファン・オーステンレイク」の方が適していると言うことになりますが、正直申し上げてこれは一般的ではありません。むしろネーデルラントはハプスブルク家が領有していたので、神聖ローマ皇帝の娘という立場の方が重要であったため、彼女のルーツに従って「マルガレーテ・フォン・エスターライヒ」もしくは「マルガレーテ (オーストリア大公女)」が相応しかったと思います。(2006年12月の段階で私はまだウィキペディアンではなかったので、当時は議論に参加できませんでした)220.147.141.129 2007年3月3日 (土) 15:26 (UTC)
- 先に「フランドル」と書きましたが、これはネーデルラントとすべきだったかも知れません。この場合、フランス語「も」用いられる(政治的には主流の言語だったのでは?)地域ということになります。また、ネーデルラントはハプスブルク家がブルゴーニュ公として領有していたこと、彼女自身は「ドイツ人」とは言い難いことを考えると、先の判断は妥当であったと考えています。--Uraios 2007年3月10日 (土) 06:47 (UTC)
著作権侵害の疑い
[編集]本記事はアンヌ・ドートリッシュ、マリア・レオポルディナ・デ・アウストリアと同一の初版執筆者による記事と思われ、『ハプスブルクの女たち』(テア・ライトナー 著 関田淳子 訳 新書館)の 著作権を侵害している可能性が有るため、転載疑いのテンプレートを貼りました。--Uraios 2007年3月30日 (金) 16:35 (UTC)
初版の大部分が『ハプスブルクの女たち』の引用・改変・要約であることを確認しました。最新版にも多数著作権侵害箇所が見受けられるため、削除依頼を提出する必要があると考えます。--Dragee 2007年4月1日 (日) 06:19 (UTC)
著作権侵害該当箇所の覚書
[編集]本記事は『ハプスブルクの女たち』(テア・ライトナー著 関田潤子訳・新書館1996年刊)に対する 著作権侵害に当たる記述が大部分を占めているため、該当箇所について覚書を残します。--Dragee 2007年4月1日 (日) 06:43 (UTC)
- 削除後に新記事が書かれたため、覚書部分はコメント化しました。--Uraios 2007年4月8日 (日) 02:30 (UTC)
削除依頼の提出について
[編集]初版の時点で著作権侵害が行われていたことが確認されましたので、白紙化による削除依頼を実施しました。他の執筆者の方々の協力で形が整えられつつあったので、とても残念に思います。--Dragee 2007年4月1日 (日) 10:57 (UTC)
新しい記事で
[編集]申し訳ないのですが、一度マルグリット〜が削除されたためにマルガレーテ (オーストリア大公女)で新しく記事を作りました。ですから、改名提案などはこちらにお願いいたします。125.0.15.13 2007年4月8日 (日) 02:23 (UTC)
すみません。ノート履歴継承の問題があったのですね。失礼しました。125.0.15.13 2007年4月8日 (日) 02:25 (UTC)
- 旧項目名は私が移動したものですが、私がこれを妥当と判断していることとは別に、旧記事のノート(項目名に関する議論を含む)を継承する必要があると考えたため、一旦旧記事名に戻しました(編集途中で移動してしまったことはお詫びします)。記事名についてはこれを出発点に再考しましょう。
- 125.0.15.13さんが初版に書かれた理由
- >彼女の立場は特に「ハプスブルク家の女性」「神聖ローマ皇帝の娘」ということが大切であり
- は一つの見解に過ぎず、必ずしも優先されるべきものではないと、私は思います。むしろブルゴーニュ公女でありネーデルラント総督であることの方が重要でしょう。--Uraios 2007年4月8日 (日) 02:42 (UTC)(追記)Uraios 2007年4月8日 (日) 03:42 (UTC)
反論がありませんので、本文中の表記も項目名に合わせました。--Uraios 2007年6月7日 (木) 19:43 (UTC)
- その後も議論の進展がありませんので、改名テンプレートを削除しました。--Uraios 2007年7月31日 (火) 18:29 (UTC)
フランス王シャルル8世の妃という記述について
[編集]最古の版より「フランス王シャルル8世の妃」と記述されていますが、「結婚した」という記述はなく、フランス語版(fr:Marguerite d'Autriche (1480-1530) 2019年5月8日閲覧)においても、シャルル8世と婚約したこと、フィーユ・ド・フランスとして育てられたことの記述はあるものの、結婚した記述はなく、テンプレートの配偶者にシャルル8世は入っておらず、フランス王妃にカテゴリー付けもされていません。以上の事から、直接脚注も入ってませんので、フランス王妃という記述は除いた形に変更いたします。--豆もち(会話) 2019年5月7日 (火) 20:43 (UTC)