ノート:メジロライアン
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この「メジロライアン」は、下記のような選考・審査を経て良質な記事に選出されています。さらなる加筆と改善によって、秀逸な記事となるような編集を歓迎します。 |
日付 | 選考・審査 | 結果 | |
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1. | 2022年1月11日 | 良質な記事の選考 | 通過 |
忘備録
[編集]実は『【競馬】全日本フリーハンデ 1989-1994』『競馬四季報』や当時の『競馬ブック』を使えば加筆できそうだったのですが、文脈をぶった切る感じになるし、小工事で済まないのでやめました。GAでは現状で十分と思います。いずれFAの水準を目指すときのための忘備録として書き留めておきます。
- 『【競馬】全日本フリーハンデ 1989-1994』
山野浩一の大作です。長年の連載を一冊にまとめたもの。上位馬には1頭ごとに結構な文量で解説があります。ライアンだけでなく、同時期の活躍馬の項にもライアンのことが書いてあったりもします。(「事実」と「山野の主張」の区別が難しい面もある)
- メジロの血統・生産・育成がドイツ式であること。ライアンはそれが顕著であること。(追記)山野は1986年頃に『優駿』にドイツの生産理論を連載していて、それを武田茂男が読んで参考にした、と北野雄二が山野に語ったという話が出てくる
- 奥平メジロの最盛期だったこと。(アルダン、モントレー)
- 「純粋メジロ産」(メジロ牧場産)としては3頭目の活躍馬だったこと。
- メジロ牧場では調教もやるので休み明け鉄砲駆けすること(今ではノーザン天栄で当たり前ですが90年代ではレア)
- 当時は栗東・関西馬が圧倒的に強く、美浦奥平と高松厩舎は関東で数少ない「抵抗勢力」であり、ライアンとホワイトストーンが関東の星であったこと。
- 4歳有馬でメジロ軍団がファン投票上位のマックイーンとモントレーを出さなかったのが結構な物議を醸したこと
- 最後の日経賞から引退決定までのこと
そのほか『ブック』『四季報』では、トレセン担当記者の取材による諸情報があり、その時点時点での動向が報じられています。たとえばラストランになった日経賞のあと、最初は春天目指したことや、笹針放牧して復帰プランだったこととか。当時の資料では、アンバーシャダイ産駒なので晩成だからこれから本格化だと期待する風潮も(一部で)あったこと。(大川慶次郎や山野浩一はエビなのに日経賞勝っちゃったのが致命傷だと当時から言っていたけど)
競馬に関する出版物が一番多い時期だった(競馬ブーム最盛期で、インターネットがなかった)ので、探せばたくさんあるとは思いますが・・・きりがない。--柒月例祭(会話) 2022年1月11日 (火) 13:03 (UTC)