ノート:ヨナ抜き音階
ヨナ抜きの解釈?
[編集]現在は、「陽音階はヨナ抜き音階である」的な説明になってます。
しかし、明治時代に西洋音楽が輸入されて、そのとき古来の日本の音楽と融合する過程で生まれたのが「ヨナ抜き音階」という気がします。 そう解釈すると明治以前の日本音楽に「ヨナ抜き音階」は存在せず、よって「田舎節」が「ド」で終止しないという説明は適切ではない気がします。 いかがなものでしょう。識者のご意見伺いたいです。
前回署名忘れてしまいましたが私の書いたものです。 説明が更新されて「ヨナ抜きは日本固有で明治期に生まれた物である」的な説明に変わっており、以前より違和感が減りました。
ただ、「ヨナ抜きは呂音階と同じ」だけでなく、「構成音は陽音階とも同じ」もあったほうがよいのではないでしょうか。例えば、これまでにご当地ソングで多く作られてきた「○○音頭」の類は雅楽よりも俗学の影響が大きいと思いますし。 --218.110.176.128 2007年7月8日 (日) 18:28 (UTC)
18世紀のアメリカの讃美歌と音楽教育からの影響
[編集]先日アメリカの讃美歌を扱ったラジオ番組できいたので、節を加えて良いか伺います。 L.Mason と B.Bradburyの両名(師弟関係に当たる)が、当時、全米向けに讃美歌の普及だけでなく、学校音楽教育の重要性と普及を目的として多くの歌を作っています。とくに讃美歌は、全米に普及した頃明治期の日本に宣教されたため、今でも歌われている曲があります。その中に、ヨナ抜きのものがあるので、指摘をしておきたいと思います。しゃぼん玉が、主われをあいすに似ていることは多く指摘されます。アメリカの子ども向けの歌からヒントを得て洋風の唱歌が作られたことは、じゅうぶん考えられるからです。(本文にはそこまで指摘しないつもりで、事実だけ記載したいと思っています)
例 讃美歌(54年版)239 さまようひとびと Mason(←個人的ですが、文部省唱歌の香りがします) 讃美歌21 461 みめぐみゆたけき 484 主われをあいす Bradbury
すみません。タイトルは19世紀のミスです。