ノート:ヨーゼフ・ラインベルガー
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「直接の教え子ではないが、(中略)マックス・ブルッフなどからも慕われた。」とありますが、若い頃にミュンヘンで学んでいるマックス・フォン・シリングスならわかりますが、マックス・ブルッフはラインベルガーより若干年上で、活動開始時期もほぼ同時期です。師匠のような存在として慕っていたかのような表現は違和感を感じます。とりあえず要出典テンプレートを貼付させて頂きました。--Gruppetto(会話) 2015年4月30日 (木) 05:34 (UTC)表現を修正--Gruppetto(会話) 2015年4月30日 (木) 13:43 (UTC)
- ↑上で表明した疑問点について、もう少し詳しく説明させて頂きますと、「高名な教え子としてはエンゲルベルト・フンパーディンク、エルマンノ・ヴォルフ=フェラーリ、」など主要な弟子達が紹介された後、「直接の教え子ではないが、マックス・レーガーやマックス・ブルッフなどからも慕われた。」と続いていました。これではあたかもブルッフがラインベルガーを師匠のような存在として慕っていた、という意味にも読めます。上でも書きましたが、ラインベルガーより34歳年下で若き日にミュンヘンで音楽を学んだレーガーが、ミュンヘンで活動していたラインベルガーを偉大な先輩として師匠のように慕っていたというのならわかりますが、1歳年上でほぼ同世代といえるブルッフについては、このような表現は適切とは思えません。示された出典を見てみましたが、そこでは1892年にあるコンクールの審査員同士としてブルッフと接触があったことをきっかけにブルッフと文通があったこと、ラインベルガーの推薦によってベルリンで活動していたブルッフにバイエルンのマクシミリアン勲章de:Bayerischer Maximiliansorden für Wissenschaft und Kunstが授与されたこと、それに対するブルッフのラインベルガーへの手紙が出典として示された書物の190ページに示されている訳ですが、これに対し、ラインベルガーによるマクシミリアン勲章の推薦文ではブルッフの音楽が賞賛されており、同世代の作曲家として認め合っていた関係であるように私には思えます。
- 以上の理由から、「直接の教え子ではないが、マックス・レーガーやマックス・ブルッフなどからも慕われた。」という、閲覧者に誤解を与えかねないような表現についてこのように表現を修正させて頂きました。--Gruppetto(会話) 2015年5月17日 (日) 14:20 (UTC)一部修正--Gruppetto(会話) 2015年5月18日 (月) 05:30 (UTC)