ノート:ランカスター朝
ランカスター家 のところの著者にお願い。 そこの文章の一部がわかりにくいです。
「・・・ジョンがこの公位を獲得したのは最初の結婚によってであり、」 ここのところまではすんなり分かります。「・・・よってである」とここで文章を切って いただけますか。
「その創設は」 ランカスター家の創設ということですね。
「1267年にヘンリー3世の次男エドマンド・クラウチバック (Edmund Crouchback, 1st Earl of Lancaster) がランカスター伯に叙せられたことに始まる。」
ここでわからなくなります。その後、下までずっと読むとようやく分かりましたが、ここで頭の中が「???」状態になります。 ランカスター家を起こしたのは、ジョン と言ってたんじゃないですか? ヘンリー3世の次男 エドマンド なんですか?どういうこと? エドマンドはジョンじゃないですよね? 、となる人もいるので、以下を参考に少し書き直していただけたら幸いです。
「ランカスター家(House of Lancaster)は、エドワード3世の四男ジョン・オブ・ゴーントに始まる、ブランタジネット家の分家の一つである。家名はこの家系がジョン・オブ・ゴーント以来ランカスター公位を継承していたことによるものであるが、ジョンは最初の結婚によってランカスター家の一員となり公位を獲得した。ランカスター公位の創設は、ジョンよりも数代遡り、1267年にヘンリー3世の次男エドマンド・クラウチバック (Edmund Crouchback, 1st Earl of Lancaster) がランカスター伯に叙せられたことに始まる。エドマンドの長男トマス (Thomas Plantagenet, 2nd Earl of Lancaster) は6つの伯を兼ね、イングランド最大の諸侯として影響力を強めたが、エドワード2世と対立した結果、所領を没収され刑死した。しかしトマスの弟ヘンリー (Henry, 3rd Earl of Lancaster) の息子ヘンリー・オブ・グロスモント (Henry of Grosmont, 1st Duke of Lancaster) はエドワード3世の下、百年戦争で活躍し、1351年にランカスター公の称号を得た。ヘンリーには息子がなかったが、娘のブランシュ (Blanche of Lancaster) がジョン・オブ・ゴーントと結婚し、ジョンがランカスター公となったのである。」