ノート:リゲル/過去ログ1
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平家星の記述について
[編集]平家星の記述についてですが、2の資料から察するに野尻抱影が香田壽男の話のみで記述しているのだと思われます。一般的には平家星がベテルギウス、源氏星がリゲルで問題ないかと考えられます。
反論がなければ、野尻抱影は取り違えたぐらいの記述にとどめておく書き方をします。--218.47.38.223 2008年9月22日 (月) 10:51 (UTC)
- (今後のため、「節見出し」をつけさせていただきました)
- まずは、貴殿の言う「2の資料」をよくお読みください。「2の資料」にきちんと目を通せば、そのような「考え」には至らないはずです。
- > 野尻抱影は取り違えた
- それは野尻氏に対する侮辱です。捏造はご遠慮願います。いったい、「2の資料」のどこををどう読んだら「野尻抱影」氏が「取り違えた」ことになるのか、非常に、理解に苦しみます。
- --Bay Flam 2008年9月23日 (火) 06:29 (UTC)
- >Gyulfox さんは、いずれも要約欄にて編集された理由を「一般常識を優先」としておられますが、源氏星・平家星は天文マニアレベルのトリビアであって、一般常識とは言えません。一般常識レベルの星の和名といえば、織姫・彦星・すばる・北極星あたりでしょう。
- >次に、「一般常識を優先」とはウィキペディアにおけるルールなのでしょうか? もしそうであれば、UFO は「宇宙人の乗り物」、ノストラダムスは「人類の滅亡を予言した予言者」という一般常識を優先して説明されているはずですが、そうはなっていますか?
- Bay Flam様 このような議論は、透明性を高めるため、こちらへお願いします。 まず、私が主題にしたかったのは、トリビアレベルかどうかよりも、どちらが一般的知識に近いかかという事です。 源氏星、平家星の呼び名はあなたが思っているほどマニアックとは思いません。 しかしマニアレベルか一般的レベルかという問題は、人によって違い境目などは存在しないと思っています。 尤も出典を示さなかった私にも落ち度はあると認めます。 私がより一般的とするのは、1:プラネタリウムのような公共施設で触れられていた。(個人的な経験)2:三省堂の大辞林に述べられている。(客観的な記録)の2点によるものです。 勿論どちらもリゲルを源氏星としています。 辞典の記述は専門家がチームを組んで行い議論を重ねて検証して記述します。 野尻氏はそう言われていることに対し、一石を投じたものと思われます。 どちらが一般的かは議論の余地はないと思われます。
- 二つ目ですが、「一般常識を優先」した記述方法というのはウィキペディアのルールというよりも百科事典のありかたとして当然のことと思われます。 さらに、あなたが挙げられた例、UFO は「宇宙人の乗り物」、ノストラダムスは「人類の滅亡を予言した予言者」は、流行であって、とても一般常識人の知識と呼べるものとは思いません。
- 三つ目にあなたが野尻抱影氏を高く評価されているにしても、それに反する著書を「通俗本」とは何たる言い草ででしょうか。 それは著者を侮辱するばかりでなく、間接的に相手を侮辱する表現ですので注意された方がよいと思われます。--Gyulfox 2009年9月16日 (水) 06:15 (UTC)
(インデント戻します)Gyulfox さん、お手数をおかけしました。お話を伺っていると、Gyulfox さんは一般常識を重要視しておられるようですが、私は検証可能かどうかを重要視しており、一般的かどうかは二の次です。また、辞事典における編集方針は、それぞれで違っていると思います。ウィキペディアでは検証可能性を方針にしているのですから、ウィキペディアにおいてはそちらを優先すべきだと思います。
さて、Gyulfox さんは出典として三省堂の『大辞林』を挙げてあげていらっしゃいますが(なぜかノンブル(=ページ数)が示されておりませんが)、私はすでにベテルギウスの外部リンクにおいて、「Yahoo!知恵袋」からトピックの一つをリンクしています。そのトピックの回答者の一人が「Yahoo!辞書」から引用していて、その「Yahoo!辞書」の典拠の一つが『大辞林』ですね。ちなみに、「Yahoo!辞書」から引けるもう一つの典拠である小学館『大辞泉』でも源氏星は「『リゲル』の和名」となっています。
それでは Gyulfox さんにお尋ねしたいのですが、出典として『大辞林』を挙げたのはなぜでしょうか? 『大辞林』を参照すると源氏星や平家星についてウィキペディアでなされている以外の何を知ることができるのでしょうか? 『大辞林』や『大辞泉』を見ても、ウィキペディアで記述されている以外のことは説明されていないようですが。ただ、『大辞林』や『大辞泉』に項目があったというだけです。源氏星や平家星についてより詳しく知りたいと思っても、これでは意味がないように、私には思えます。
一方、『日本星名辞典』を参照すれば、
- 誰が調査したのか、
- 誰が報告したものか、
- いつ頃調査したものか、
- 話者はどのような人物なのか、
- どこで伝承されていたものなのか、
といった、源氏星や平家星についてより詳しく知ることができます。出典や参考文献の役割とは、参照することによってその事象についてより詳しく知ることができる、ということにあります。私が『大辞林』での記述を知りながら出典として掲げなかったのは、参考文献としての役割を果たさないからです。わかりやすいように表にまとめると次のようになります。
掲載書 | 調査者 | 出典 | 調査年代 | 伝承地 | 話者 |
---|---|---|---|---|---|
『Yahoo!辞書』(web 版 『大辞林 第二版』)[1][2] | ? | ? | ? | ? | ? |
『Yahoo!辞書』(『デジタル大辞泉』)[3][4] | ? | ? | ? | ? | ? |
『Yahoo!百科事典』(web 版 『日本大百科全書』)[5][6]) | ? | ? | ? | ? | ? |
多くの通俗書 | 不在 | ? | ? | ? | ? |
一部の通俗書 | ? | 野尻抱影? | ? | 「岐阜県の山あい」など | ? |
『日本星名辞典』 | 野尻抱影 | 香田壽男氏からの報告 | 1950年代半ば | 岐阜県揖斐地方 | 60歳ぐらいの老人 |
『ふるさとの星―続越中の星ものがたり―』 | 増田正之 | 調査者自身による | 1980年代半ば | 富山県高岡 | 小学校6年生 |
『大辞林』や『大辞泉』、そして多くの通俗書では具体的な状況について何も触れていないので、それらを見たところで何もわかりません(一部、伝承地を掲げているものもある)。そのようなものを出典として掲げても参考にならないでしょう。(無価値であるとは言いません)
- 野尻抱影氏
- を私が高く評価しているとお考えのようですが、おそらく上での某 IP の中の人とのやりとりをごらんになってのことかと思います。私は『月刊 天文ガイド』2009年9月号の近藤次郎氏ほどには、野尻氏を高く評価しているわけではありません。野尻氏の手になる『日本星名辞典』での当該記述がウィキペディアの方針である検証可能性とよくマッチしていたので典拠としたものです。
- 通俗書
- 別に野尻氏の記述に反しているからではありません。上記のように、なんもかんもわからないでは学問的にはまったくなんの役にも立たないからです。それが許されているのは「通俗書」だからでしょう。なお、誤っていたり不備のある記述に対して「おかしいのではないか」「いいかげんだ」と指摘するのは読者として当然の権利であり、侮辱ではありません。
ところで、野尻氏の『日本星名辞典』が1973年刊であるのに対して、『大辞泉』(書籍版)の初版が1995年刊[7]、『大辞泉』(書籍版)の初版が1988年刊[8]です。野尻氏は誰が主張していることに対して「一石を投じた」のでしょうか?
旗の色、源氏(白)、平家(赤)にもとづいて、リゲルを源氏星、ベテルギウスを平家星と考えがちで、多くのホームページや本にもそのようになっている。しかし、実際の調査記録は反対で 〔後略〕
北尾浩一氏の「『源氏星』と『平家星』」冒頭より(強調:引用者)。『大辞林』などは、誰の調査によっているのでしょうね?--Bay Flam 2009年9月17日 (木) 21:25 (UTC) 誤記訂正--Bay Flam 2009年9月17日 (木) 21:30 (UTC) 表を加筆訂正--Bay Flam 2009年9月20日 (日) 22:40 (UTC) 訂正--Bay Flam 2009年10月15日 (木) 15:08 (UTC)
- Bay Flamさんはウィキペディアの提唱する検証可能性について、を何か誤解されています。 ウィキペディアでは記載において、出典を百科事典や辞書を示せばそれで十分検証可能の条件を満たしています。 基本的には第三者がその著書を読んで確認可能ならそれで良いのです。 勿論流言の類は著書があっても記述不可ですがそれは検証可能性と別の問題です。 辞書の内容の社会的責任は出版社が保障しています。 出版にあたりだれがどういう風に発言したとか、どんな経緯でどんな資料を集めたかなど必要ございません。
- >源氏星や平家星についてウィキペディアでなされている以外の何を知ることができるのでしょうか?
- 私が情報を付け加えて記述しているのなら問題ですが、このケースは全く問題ございません。
- それとやはり通俗書という信用を貶める表現はよくありません。 読者の自由と記述の自由は別個の問題です。 週刊誌なら週刊誌、新聞なら新聞、学術書は学術書であるべきと思われます。
- ちなみに私が調べたのはネット上の辞書でなく、実際に出版されたものです。 リゲルの項目をひいたらすぐ分かることです。 今度ページを入れておきます。--Gyulfox 2009年9月18日 (金) 04:48 (UTC)
- えーっと、当初の「一般常識を優先」する件はどうなったのでしょうか? そもそも、Gyulfox さんが上述のような、ウィキペディアの方針とは乖離した個人的な理由による編集をされたので、当該版(2009年8月30日 (日) 10:23 (UTC) 時点における版)を取り消させていただいたものです。
- それと、私の方がウィキペディアの方針を誤解しているとご指摘のようですが、私から言わせれば、Gyulfox さんの方こそウィキペディアというものを誤解しているように思えます。Gyulfox さんは、ウィキペディアが何を目指していて、ウィキペディアを編集するということがどういうことなのかきちんと理解していらっしゃるのでしょうか?
- ウィキペディアが目指しているのは「完全で、信頼の置ける百科事典」です。そして、そのためには、「記事を執筆する際は、閲覧者や他の編集者が内容を検証できるよう」にしなければならないのです。
- > ウィキペディアでは記載において、出典を百科事典や辞書を示せばそれで十分検証可能の条件を満たしています。
- いえいえ、そんなことはありません。Gyulfox さんは最低限の条件を満たしたにすぎません、ルール違反を犯していないという。2009年9月16日 (水) 06:44 (UTC) 時点における版において出典が掲げられていますが、これは Gyulfox さんの編集が独自研究ではないことを保証したにすぎません。それはそれで、ウィキペディアを編集する上では大事なことです。だからこそ、Gyulfox さんの出典の提示に対して「無価値であるとは言」えないと付け加えておいたのです。しかしながら、Gyulfox さんが編集した内容を私や他の編集者・閲覧者は検証することができません。なぜなのか? それは、Gyulfox さんが提示されたのが辞書の記述、ウィキペディアが定める情報源としては「三次情報源」に当たるからです。辞事典における記述は「ウィキペディアの目的には信頼できる情報源とみなされ」ており、それ自体は問題ありません。しかし、ウィキペディアが定める「三次情報源」に拠る場合は
『ブリタニカ百科事典』、『ワールド・ブック』、『エンカルタ』の記事でも、著者の記名がないものは編集部員が書いたものであり、彼らは専門家とは限らないため注意してください。そのような記事は専門家の手によるものと同等の信憑性を期待することはできません
- し
現存する百科事典よりも優れた記事を書こうという大望をウィキペディアンたちが抱いたとき、そのような三次情報源の内容に頼るようでは目標の達成には充分で
- はないのです。
- > 基本的には第三者がその著書を読んで確認可能ならそれで良いのです。
- 前述のように、第三者が確認可能なのは、Gyulfox さんの編集が独自研究ではないということだけであって、内容に関してはまったくなにもわかりません。
- > 辞書の内容の社会的責任は出版社が保障しています。
- 初耳です。専門的な知識を持たない出版社の社員(編集担当者)が内容の責任(文責)を保障するとは思えませんし、そもそも「社会的責任の保障」が何をさしているのかわかりません。それと、前段で「辞典の記述は専門家がチームを組んで行い議論を重ねて検証して記述し」ているとも仰っていますが、これも実際とかけ離れているとしか思えません。
- > 出版にあたりだれがどういう風に発言したとか、どんな経緯でどんな資料を集めたかなど必要ございません。
- はい、「出版にあた」ってはそうですね。誰も言っていないことを持ち出されて、それを否定されても困ります。
- それと、Gyulfox さんは「通俗書」という表現にいたく過敏に反応しておられるようですが、何か偏見のある認識をお持ちなのではありませんか。通俗書とは、その分野に関わりを持たない一般向けに、平易に書かれた書物のことです。その分野の専門家向けに書かれた「専門書」の対義語に当たります。
- > 読者の自由と記述の自由は別個の問題です。
- 仰るとおりです。両者は別です。ただし、自由には責任を伴います。記述が自由ならおかしな記述にツッコミをいれることもまた自由のはずです。
- > 週刊誌なら週刊誌、新聞なら新聞、学術書は学術書であるべきと思われます。
- 仰るとおりです。同様に、通俗書は通俗書でいいのではないですか。何の問題も無いのではありませんか。--Bay Flam 2009年9月20日 (日) 23:04 (UTC)
(ここからは、上の問答とは別なのでインデントを戻します。必要であれば節を分けていただいてもかまいません。)
源氏星・平家星の記述は極めてデリケートであると言えます。それは、北尾浩一氏が記事の末尾で「野尻氏の『源氏星』と『平家星』は香田氏のみが情報源であったと推測することができる」と示唆しておられる[9]ように、この報告が香田壽男氏による岐阜県揖斐地方での伝承しか報告されていないからです。もう一つ、北尾氏は増田正之氏の調査を掲げておられますが、増田氏の調査(1980年代で小学校6年生へのアンケート)では伝承とは言えません。また、北尾氏が記事の冒頭で
旗の色、源氏(白)、平家(赤)にもとづいて、リゲルを源氏星、ベテルギウスを平家星と考えがちで、多くのホームページや本にもそのようになっている。
と指摘しておられる[10] ように、リゲルを源氏星とする書物や web ページは覆いのですが、それらは例外なくソースを示していません(上掲の表を参照)。そのためでしょう、伝承の具体的な内容がすっぽり抜け落ちています。
- 誰が調査したのか
- 誰が報告したものか
- いつ頃調査したものか
- 話者はどのような人物なのか
- どこで伝承されていたものなのか
といった状況がまったくわかりません。源氏星・平家星は、北尾氏が指摘しておられるように、おそらく野尻氏の調査が唯一の情報源なのでしょう。(増田氏の著書は地方出版物のようです)ただ、野尻氏の著書は数多く、他の著書で簡単にこのことに触れていたのを目にした覚えがあります。おそらく、リゲルを源氏星とするものは、そうしたものを目にして短絡的に旗印の色と星の色とを結び付けたのではないかと思われます。これらは、リゲルを源氏星とする書物が出典を掲げていない以上検証のしようがありません。
そこで私としては、ウィキペディアでの記述は極めて簡素なものにして、より具体的な状況は出典や外部リンク先を参照していただけるようにと考えました。北尾氏の記事は同じ星の和名研究家によるものですし。それでもなお、「リゲルが源氏星」だと主張されるのであれば、やはり野尻氏の調査と同レベルのソースを提示し、なおかつ北尾氏の記事のような傍証を添える必要があると思います。--Bay Flam 2009年9月21日 (月) 00:54 (UTC)
2009年9月16日 (水) 06:44 (UTC) 時点における版の問題点
[編集]節を分けます。Gyulfox さんが編集された2009年9月16日 (水) 06:44 (UTC) 時点における版の問題点を掲げます。
> 一般的に
編集前の「通俗書などで」に対しても、極めて曖昧な表現です。 ガイドラインの「言葉を濁さない」も参照。
> その星の色から、源氏の旗色になぞらえて「源氏星」(げんじぼし)、「銀脇」(ぎんわき)と呼ばれている。
「銀脇」ならびに編集前の(リゲルに対する)「平家星」は、そのような伝承が報告されていたものであり、おそらく現在ではこのような名称では呼ばれていないでしょう。一方の(リゲルに対する)「源氏星」は、そのように記述している書籍が複数あるので、そのように「呼ばれている」と表現することができます。しかしながら、リゲルを「源氏星」と呼ぶ伝承が確認されていないのですから、このように等置して「……と呼ばれている」と表現するのは不適切でしょう。
> <ref>三省堂『大辞林』</ref>
この典拠はウィキペディアの定める情報源としては「三次情報源」に該当し、「ウィキペディアの目的には信頼できる情報源とみなされ」ているので利用でき、この出典の提示そのものに問題はありません。しかしながら、編集前の記述の典拠である『日本星名辞典』は「-辞典」とあるものの、この分野の第一人者である野尻抱影が自身の調査を辞書形式にまとめたもの(エッセイ形式にまとめた『日本の星』という著書もある)で、一次情報源までたどることができる有用な二次情報源です。出典としてのグレードの差は、上掲の表を見れば一目瞭然でしょう。低次の典拠によって高次の典拠に基づいた記述を排除するのは問題があると言えるでしょう。
> 中国では参宿第七星と呼ぶ。
星の中国名のほとんどは、現在では使われておらず、「呼ぶ」と現在形で示すのは不適切です。
> ただし、リゲルを平家星とする説も存在する
そのような説は知られていません。「リゲルを平家星とする」伝承ならば報告されています。この伝承に対して、「話者の記憶が定かでない」説「自分たちが平家と知られたくないためにあえて反対に伝承された」とする説なら存在します[11]。
なお、この時点の編集によって、出典の一つである北尾論文が宙に浮いてしまっています。この出典は、伝承では実際の源平の旗印の色と逆転していることの傍証として掲げたものです。この時点の編集によって、伝承と実際とで色が逆になっていると説明している箇所が除去されたため、宙に浮いてしまったものです。前後の脈絡を把握した上で編集していただきたいのと同時に、きちんとした典拠に基づく記述を安易に除去して良いものか問題です。
以上、「2009年9月16日 (水) 06:44 (UTC) 時点における版」もまた不適切な編集といわざるを得ず、旧版に差し戻そうと思うのですが、よろしいでしょうか、Gyulfox さん。--Bay Flam 2009年9月21日 (月) 00:07 (UTC)
- Bay Flamさんの仰ることは一理ありますが、この種の問題は修正すれば良いのであって、差し戻すべきであるとまでは思いません。 既に修正致しましたので、ご理解下さい。--Gyulfox 2009年9月21日 (月) 06:02 (UTC) ":" を一つ削除させていただきました--Bay Flam 2009年9月21日 (月) 11:02 (UTC)
- > この種の問題は修正すれば良い
- あのですね。↓も含めて Gyulfox さんが編集されるたびにダメ出しされているんですけど。(なんだか文章の添削をしている国語の教師みたいだ。)えらく楽観的ですね。それにしても、どうして Gyulfox さんは「リゲルは源氏星」にそこまでこだわるのでしょう。揚げ足取りが続いているような状況なので、もうこれまでにしましょうよ。--Bay Flam 2009年9月21日 (月) 11:02 (UTC)
2009年9月21日 (月) 05:54 (UTC) 時点における版の問題点
[編集]2009年9月21日 (月) 05:54 (UTC) 時点における版の問題点を掲げます。
> :
小項目が無いのにインデントされているのはなぜ?
> 一般的にその星の色から、源氏の旗色になぞらえて「源氏星」(げんじぼし)、「銀脇」(ぎんわき)として知られている。
辞書の項目になっていたり解説書にもよく見られる「源氏星」はともかく、銀脇も「一般的に……知られている」と言えるのでしょうか。
> 中国における古名
「古名」ってなんですか? ふつうに、「……と呼ばれていた」と過去形にするだけでよかったのでは? そうそう、前段では舌足らずのところがありました。「星の中国名のほとんどは、現在では使われておらず」は「星の中国名のほとんどは、現在の天文学では使われておらず」です。流星観測者が「しぶんぎ座流星群」として廃止された四分儀座を使い続けているように、中には中国名を使い続けている人もいるかもしれないし、天文学以外では使われているかもしれません。私はその辺りの中国の事情を知らないので、体言止めにしてごまかしていたのです。
> リゲルを平家星とする伝承が報告されている
のに 「一般的に」「源氏星」「として知られている」のはなぜ? センテンスの初めと終わりで矛盾してしまっているんですけど。どんどん記述を端折ってしまっているので、いたく説明不足になっているのですよ。センテンスの前後で矛盾しないようにフォローしていただきたいものです。--Bay Flam 2009年9月21日 (月) 10:46 (UTC)
- インデントを戻し、銀脇を別とした。(銀脇の出典はまた探しておきます) 中国名については体言止めが良いそうなので、元に戻した。 辞書においてAであると知られている。但しBという伝承が報告されている。のでセンテンスの矛盾はないと思う。なぜそうなのかまでは出典を読めば分かるので、書いてはいけないとまでは言えないが、記述は簡潔にという事を考慮して、あえて説明する必要はないと思います。
- >揚げ足取りが続いているような状況なので、もうこれまでにしましょうよ
- いつ私が揚げ足など取ったでしょうか? あなたが検証可能性について誤解していたので指摘しただけです。 また、反論や指摘は長文を避け要点のみを簡潔に願います。 また議論が集中しないので、安易にセクションを切らないでもらいたい。 --Gyulfox 2009年9月21日 (月) 21:35 (UTC)
- > 銀脇の出典はまた探しておきます
- 新たに探すまでもなく、既に提示してあったんですけど。
- > 中国名については体言止めが良いそうなので、元に戻した。
- 「体言止めにしてごまかし」たことは、Gyulfox さんにとっては「良い」ことなのでしょうか。
- > 辞書においてAであると知られている。但しBという伝承が報告されている。のでセンテンスの矛盾はないと思う。
- 報告が "B" で辞書の記述が "A" なのだから、B ≠ A で食い違っており矛盾は解消されてないじゃないですか。それなのに、なぜ「矛盾はないと思」えるのか不思議。
- > なぜそうなのかまでは出典を読めば分かるので、書いてはいけないとまでは言えないが、記述は簡潔にという事を考慮して、あえて説明する必要はないと思います。
- なんだかよくわけがわからないんですけど、利用者のことなどどうでもよく、自分にとってのみ都合のよい解釈をした勝手な主張だということはだけ伺えます。
- > いつ私が揚げ足など取ったでしょうか?
- よく文脈をお読みください。「揚げ足取りが続いている」というのは、Gyulfox さんの編集がダメ出しされ続けていることを指しているのですよ。つまり、「揚げ足取り」をしている主語は Gyulfox さんではなく私であり、その私の行為に対して自嘲をこめて表現したものです。
- > あなたが検証可能性について誤解していたので指摘しただけです。
- Gyulfox さんは、私が「検証可能性について誤解してい」ると再三指摘しておられますが、どこをどう誤解しているのかわかりません。具体的にご指摘願います。
- > 反論や指摘は長文を避け要点のみを簡潔に願います。
- それは申し訳ありませんでした。しかしですね、世の中には一から十まで説明しないと理解できない人がいるんですよ。実際、主語を省略しただけで行為の対象を読み違えた方もいらっしゃいますし。(もちろんこれは、誤解を招くような「主語の省略」をした私の落ち度)
- > また議論が集中しない
- 議論なんかしていましたっけ? そう仰るのでしたら、こちらからの問いかけをスルーするのではなく、真摯にお答えください。当初の理由「一般常識を優先」はどうなったのですか? 「三次情報源」にすぎない辞書の記述は、「一次情報源」までたどることができる「二次情報源」に優先するのですか?
- > 安易にセクションを切らないでもらいたい
- そりゃ、合意の形成がなされていないのに、Gyulfox さんが本文に手をつけ、しかもそれがダメ出しを繰り返して受けるような不適切なものだからでしょ。--Bay Flam 2009年9月22日 (火) 15:55 (UTC)
2009年9月27日 (日) 10:03 (UTC) 時点における版などの問題点
[編集]2009年9月21日 (月) 20:34 (UTC) 時点における版ならびに2009年9月27日 (日) 09:58 (UTC) 時点における版、2009年9月27日 (日) 10:00 (UTC) 時点における版、2009年9月27日 (日) 10:03 (UTC) 時点における版の問題点を掲げます。
- まず、Gyulfox さんが信奉おられる“源氏星”には「一般的には」と枕をつけておきながら、その一方で「載せて欲しくない」と表明しておられる“平家星”には補足の接続詞「ただし」を付したうえに、わざわざカッコで括ってまで本文からも排除しているんですが、これで果たして中立性が保たれていると言えるでしょうか?
- > [3][4][5]
- 今度は文献の提示合戦を始めようとでもいうのでしょうか?
- > リゲルを平家星とする伝承が野尻抱影によって報告されている
- この伝承を報告しているのは香田壽男氏であって、野尻抱影氏ではありません。
- 文献 [7] がかかる部分を Gyulfox さんが取り除いてしまったため、この注釈が宙に浮いてしまっています。
- “銀脇”の出典が削除されたまま。
Gyulfox さんが「一般常識を優先」すると表明して編集した2009年8月30日 (日) 10:23 (UTC) 時点における版からずっと、私が執筆した版を弄くり回しているだけだからこういうふうになるんですね。で、これでもまだ本当に「現在の版でも問題は無」いですか、Carbucketty さん?
それから Gyulfox さん。いい加減に、本文に手をつけるのはやめてもらえませんか。いったい、何度ダメ出しされたら気が済むのやら。セクションを切るなと文句をつけていますが、それはあなたが本文をフライング編集しているからでしょう。こっちは編集合戦を回避するために本文には手をつけず、わざわざらここでコメントしているのです。Gyulfox さんも修正案があるのなら、Ks aka 98 さんや Carbucketty さんのように、ここにアップしていただきたい。--Bay Flam 2009年10月6日 (火) 15:59 (UTC)
上で返答してしまいましたが、もう一度言います。もう、終わりにしましょう。Gyulfox さんが「一般的」という表現にいくらこだわっていても、これを捨てない限り、「リゲルは源氏星」という主張にいくら手を加えても記述の矛盾を解消することはできません。どだい、中身のない「三次情報源」で中身の濃い「二次情報源」に基づく記述を書き換えることなどできないのです。
おそらく Gyulfox さんには、「『大辞林』のような著名な辞書やプラネタリウム、それにたくさんの本に共通して書かれていることが間違っているわけがない。おかしいのは Bay Flam とかいうどこの馬の骨ともわからない輩の方だ」との思いがあるのかもしれません。しかし、「多くのホームページや本」の記述・説明が実際に報告されているものと違っているのは事実なのです。それをウィキペディアの方針である検証可能性を重視して記述すると、Gyulfox さんが編集する前のような記述になってしまうのです。
ですから、これまでの Gyulfox さんの編集は、一旦、差し戻させていただきます。それでもなお、「リゲルは源氏星」という主張を優先したいのであれば、野尻氏の調査報告に匹敵する「一次情報源」までたどれる「二次情報源」を探し出してからにしてください。もっとも、仮にそうした情報源があったとしても、『大辞林』なりが出典を掲げていない以上、両者の繋がりは認められないことになりますが。--Bay Flam 2009年9月22日 (火) 16:23 (UTC)
- 諦めるのはあなたであり、こだわっているのはあなたの側です。 Wikipediaにおいて、出典の先に出典があるかどうかなど全く義務付けられておらず優先順位もありません。 真実かどうかを見極める作業はWikipedhia側ではなく読者自身です。 優先順位は、説明が一般的にそう言われているかどうかであり、使用された出典が社会的に支持された書物であるか、そして出版元が信用できるか、査読制度のある書物であるかにかかっています。 たとえ過去の誤解が広まったものであっても、現時点で誤りでなければ良いのです。 その意味で、社会的に認められた辞書を出典にすることは良いことです。 辞書に一々出典など付いていないのは当たり前であり、一時情報まで出せ出せとエディターに要求する権利はあなたにはありません。 Wikipediaもそのような権利をあなたに認めていません。 そして私は差し戻しなど認めません。--Gyulfox 2009年9月23日 (水) 05:26 (UTC)
当事者同士でいいあっていても埒があかないので、コメント依頼に提出させていただきました。第三者のご意見を仰ぎたいと思います。--Bay Flam 2009年9月23日 (水) 10:43 (UTC)
コメント依頼からきたのですが、何についてコメントすればいいのか、一度まとめてもらえますか?--Ks aka 98 2009年9月23日 (水) 11:32 (UTC)
- コメント依頼にて説明したとおりです。「一次情報源」までたどることのできる「二次情報源」と、「三次情報源」(辞書項目だが複数の文献に見られる)と、どちらの出典が優先されるのかということです。とりあえず、「~時点における版の問題点」セクションは個々の版のおかしなところを指摘しただけで、コメントをお願いした本件とは直接関係がないので無視していただいて結構です。--Bay Flam 2009年9月23日 (水) 15:17 (UTC)