ノート:レオシュ・ヤナーチェク
この「レオシュ・ヤナーチェク」は、下記のような選考・審査を経て秀逸な記事に選出されています。もし改善が可能であれば、より素晴らしい記事にするために編集を歓迎します。 |
日付 | 選考・審査 | 結果 | |
---|---|---|---|
1. | 2005年4月18日 | 秀逸な記事の選考 | 通過 |
2. | 2012年2月20日 | 秀逸な記事の再選考 | 維持 |
この項目は2005年3月の執筆コンテストの第3位に選ばれました。
補記を文中に統合する試みをしませんか?また、曲目の強調が文を少し読みにくくしています。--Revth 2005年3月26日 (土) 05:31 (UTC)
- 補記の1〜3は、本人とは関係のない話ですね。それぞれ別の記事になるべきです。それ以降は、割合に簡単に統合できそうだとおもいました。
- 強調は、他の記事ならリンクとなるのでしょう。ただ、それらが独立記事となる見通しがないのでしょうね。--っ [Café] [Album] 2005年3月26日 (土) 06:44 (UTC)
ご指摘ありがとうございます。最初は生涯の部分の中見出しがなかったのでメリハリをつける意味で補記を入れてました。っさんに中見出しを入れていただいたので、本文入れようかというのは実は考えていたところでした。ただ、っさんのご指摘のとおり、補記の1〜3は本人とは関係のない話(彼の時代の位置づけや彼の生い立ちを語る上では参考になろうかというエピソードですね)なのでこのままにしようかと思います。強調はやめましょうか。 --汲平 2005年3月26日 (土) 07:13 (UTC)
画像について
[編集]秀逸にふさわしい項目だと思います、プロジェクトのほうで写真の話がでておりましたが、すこし書き込む場所に困ったのでこちらへ。没年からして、写真のオリジナル自体はすべてPDになっています。これは写真がPDかどうかは、ある年代以前は撮影年によってのみ決まるためです。そこでデジタル化した写真がPDかどうかは、原本の写真からどれだけ改変されているかおよびデジタル化権が認められるかどうかということにかかりますが、ほとんどの国で原本の忠実な複製であれば、デジタル化したものに独自の著作製は認められません。そこで原本のわかっているものであれば、割合に容易にPDかどうかの判定ができるのではないかと思います。
すでにご承知のことでしたら失礼いたします。--Aphaea* 2005年4月22日 (金) 04:26 (UTC)
- Aphaiaさん、ご教示いただきありがとうございます。著作権の問題等には疎いので助かります。一点教えてください。「原本のわかっているものであれば」というのは、たとえば肖像写真を掲載しているサイトから画像をダウンロードして、commonsにどのサイトからダウンロードしたということを明示すれば(あるいは明示しなくてもいいのでしょうか)PDとしてアップしてしまっても構わないと理解してよろしいのでしょうか?問い合わせて回答がいただけなかったサイトというのは、[1]とか[2]とかなのですが・・・。申し訳ありません。よろしくご教示ください。--汲平 2005年4月22日 (金) 04:51 (UTC)
- おせっかいかなと思いましたが、口をはさんでみてようございました ;-) 原本というのは、銀板写真のオリジナルのほうのことを指して申し上げました。仮にデジタル化したものが直職やレイアウトの変更(ふちどりをいれるとか)をしていれば、その加工の仕方によっては二次著作物としてなにがしかの権利をご主張しうるということでございます。おっしゃるようなことではございません。なおPDでもどこから入手したという情報は添えたほうがよいかと存じます。よい写真がみつかることをお祈り申し上げます。--Aphaea* 2005年4月22日 (金) 08:14 (UTC)
- Aphaiaさん、重ね重ねご教示いただきありがとうございました。早速commonsにアップして、記事のページからリンクしようと思います。肖像は何とかしてほしいと思っていたのですが権利関係が分からず、サイトの管理者からもレスがなくて途方に暮れておりました。本当に助かりました。ありがとうございます。--汲平 2005年4月22日 (金) 08:28 (UTC)
- おそれいります。重ねがさねご丁寧にありがとうございます、汲平さんには、わたくしんほうこそこうした優れた項目をご寄稿いただいたことにお礼申しあげます。ヤナーチェクは初版から読み応えのある項目で注目しておりました。今後ともご活躍をお祈り申し上げます。--Aphaea* 2005年4月22日 (金) 08:35 (UTC)
項目の切り分けについて
[編集]素晴らしい出来の項目だと思います。 敢えて言うと、「主な作品」の各項目には解説文が付いているので、これ等は独立した項目にして、この「レオシュ・ヤナーチェク」からリンクを辿って参照出来るような形にしても良いのではないかと思いました。それと、もう少し曲目数があっても良いと思いますが、如何でしょうか。
- Kzさん、ありがとうございます。項目をどう切り分けるかは難しい問題ですね。百科事典という位置づけから考えると、ヤナーチェク作品で独立項目とすべきは「利口な女狐の物語」だけかな、という判断です。(「イェヌーファ」は最後まで迷いました。しかし受容史のところでもこの作品を扱っているので、もういいかな、と感じています。)もちろん、独立項目にするという意見があれば反対はしませんし、どなたかが独立項目を作成して、この項目の記述を省略してリンクに変えたとしても特に反対はいたしません。主要作品リストにどこまで入れるかもまったく同じ事が言えると思います。確かに、あと3曲ほど迷った曲もありますが(ドナウ、カプリッチョ、ズデンカ変奏曲)、主要作品という意味ではこの辺が頃合いかなと思う反面、「そんな曲もあるんだぁ」という「小さな発見」も百科事典には必要かなとも思います。(「小さな発見」にこだわって「補記」を頑固に残しているのでした。)3曲については、ちょっと考えてみます。--汲平 2005年4月26日 (火) 08:42 (UTC)
- 家で聴き直しながら考えましたが、これら3曲が他の主要作品リストに挙げた作品と同列に語れるほど優れているとはやはり思えませんでした。ただ、カプリッチョは左手のみのピアノが入る作品という特異性があるので追加しましたが、残念ながらラヴェルやプロコの同種作品に比べるとやはり不利ですよね。--汲平 2005年4月26日 (火) 14:34 (UTC)
- ちなみに個別の作品を独立項目にする件に関してはウィキペディアで取り上げる曲の基準作りについてで議論がなされています(やっと探し出せた)。ご参考までに。--汲平 2005年4月27日 (水) 01:24 (UTC)
ヤナーチェクのテーマについて
[編集]「ヤナーチェクのテーマ」の項で、特徴は「拘束からの解放」とあるのですが、これについて一つ質問です。ロマン派以降の作曲家において「自由を得るための闘争」というのは共通テーマの一つでもあると思うのですが、これらとヤナーチェクのものとは一線を画するものなのですか、それとも同じ流れなのでしょうか。的外れな質問だったらすみません。たらこ 2005年4月27日 (水) 10:25 (UTC)
- 難しいご質問です。私ごとき浅学の身には荷の重い質問なのですが、あくまでも私見ということで。チェコの独立まで、そしてカミラと出会うまでのヤナーチェクにとっての拘束は、ドイツが祖国を占領しており、そのことで自分たちチェコの人や文化が不当に軽視されているということにあり、その解放はすなわち独立運動に結びついていた、とここまではいわゆる多くの国民楽派の人々で共通のテーマであったと思います。そしてチェコが独立を果たし、カミラと出会った後は、社会制度で拘束された女性の復権をテーマとしている。つまり、ヤナーチェクの「拘束」や「自由」は形而上的な観念ではなく、現実に眼前にあるもののみを意味していたように思われます。彼は哲学的というよりも、社会的な観点から発想していたように思います。人妻に恋をしてしまった時にそんな自分とどう折り合いをつけるかではなく、結婚制度は不当な拘束だ、女性の社会的因習的拘束を解くべきだという方向へ向かうのはかなりユニークだと思います。これだけでなく、「死者の家から」も「イェヌーファ」も結局自分はどうするのか、という個の視点や内的葛藤が抜け落ちているような気がします。こうした自意識という点でロマン派の人々とはニュアンスの違いがあるように思います。いかがでしょう。Wikipediaは論文発表の場ではないということで、この辺で。必要でしたら、続きは利用者‐会話:汲平ででも・・・。「違うだろう」というご意見の方、ご教示いただけると幸いです。--汲平 2005年4月27日 (水) 14:47 (UTC)
スタイルの調整
[編集]「秀逸な記事」入りをした後で恐縮ですが、少々手を入れてしまいました。主に気をつけたのはスタイルの調整、段落・文の整理、極端な主観性をもった表現の言い換えなどですが、お気に召さない向きの方はリバートでもしてください。この項目については、執筆コンテストのほうでは若干辛いコメントを書きましたが、手を入れながら読み直していましたら改めて力作ぶりに感嘆させられました。本項目や関連する項目の今後の発展に期待します。Safkan 2005年5月7日 (土) 14:37 (UTC)
(項目を分けました)Safkanさん、ありがとうございます。補記の部分は様々なご意見を頂戴し、本人と直接関係のない部分以外は本文に埋め込むと言うことで編集しておりました。今回、本文中に埋め込んだ部分も改めて補記というか注のような形になされましたが、これはいかがでしょうか?個人的には元の形の方が読みやすいようにも思います。皆さんのご意見を頂戴したいと思います。--汲平 2005年5月8日 (日) 05:50 (UTC)
注記に括り出した部分は、本文との繋がりが取りにくく、収まりがよくない文章であると考えた部分です(これはもとから補記とされていた、いないに関わりありません)。例えば、ドヴォルザークと出会って深く愛したという逸話、葬儀では生命・大いなる自然の営みへの感動と敬意を歌う森番のエピローグが演奏されたという逸話は、ヤナーチェクの経歴においてどのような位置付けにあるのか不明瞭なまま本文中に挿入されていても唐突の感を受けますし、彼と同時代の近所の村の出身者、修道院の修道士、ウィーン音楽院の教師でこんな人がいましたよ、と言うことは確かにヤナーチェクの時代性を感じるためにあると勉強になる情報ですが、百科事典の一項目としてみると無理に挿入された薀蓄と感じられます。クルジージェコフスキーの細かい伝記は興味深いし、ヤナーチェクの経歴を語る上で欠くことのできないものということはわかりますが、丁寧に書きすぎると別記事にしたほうが良いくらいの情報量になってしまい、過剰な挿入文と感じられてしまうのではないでしょうか。これらは百科事典の1項目としての本記事に無理に繰り入れる必要のない情報だと考えられましたし、注記に括り出す処置が適切と判断しました。もっとも、個々のつながり、あるいは百科事典的な文章において盛り込むべき情報の選択については主観的な判断評価も大きく働くでしょうから、これについては僕も他の方のご意見を伺いたいですね。Safkan 2005年5月8日 (日) 07:24 (UTC)
Safkanさんのご指摘について、私見を述べます。
- 利口な女狐の物語の森番のエピソードはもともと原作になかったエピソードでヤナーチェクが台本作成の際に書き起こした部分であり、自らこれを葬儀の際に演奏するほどこの部分に愛着を持っていたということ、つまり、死の際に生命の再生を歌う箇所を演奏してほしいと作曲者自らが望んだことが、彼の死生観・生命観を示す事柄として重要な項目であると考えました。そして、この生命の営みの円環という主題の中にクルジージェコフスキーの逸話も関連しているのです。つまりこの死生観はヤナーチェク自身の生涯から体得されたものであったこと、このことは、それこそ詳述すると煩雑にすぎるため、利口な女狐の物語で詳述しています。
- フロイトやメンデルあるいはドヴォルザーク、ウィーン音楽院教授陣の話は、個々の項目ではなかなかわかりにくい、項目横断的な同時代性あるいは相互関係を出せたらいいと思いました。特にWikiのようにリンクで各項目が容易に行き来できるシステムの場合、知識の広がりという面で有用だと考えます。ドヴォルザーク、ウィーンの教授陣については音楽上の話であるため、文章中に埋め込んでもさほど不自然にはならないと考え埋め込んでいます。フロイトやメンデルは明らかに異分野の話、付け足しと考える人もいると思われますので補記という形をとっていました。
- ヤナーチェクと妻のズデンカの関係が冷え切ったものであったことは、ヤナーチェクの生涯や作品を考える上で避けて通れない問題であり、その主要な原因の一つであった、ドイツ語使用の問題を注記にすることは全体の流れをむしろ損ねるものだと考えます。
- ヤナーチェクが自分の名前を発音するときの癖はモラヴィア方言の一例として有効であり、注記にすることで「付け足し」的な扱いになってしまうことを恐れます。
結論としては、注記の部分に関しては、従来の方が良かったのではないかというのが私の主張です。--汲平 2005年5月8日 (日) 09:07 (UTC)
先のコメントで唐突と表現した箇所について、説明頂きましてありがとうございます。そのように挿入上の意図が明確に示されているのであれば、位置付けを改めた上である程度は本文中に繰り込んでも、(僕の主観において)唐突さを感じさせなくすることも可能と考えますので、今一度手を入れてみました。今度のこれは如何でしょうか? (ただ、ドヴォルザークとウィーン音楽院の教師についてはいまだ本文に繰り入れるには苦しい、あるいはくどくなると感じていますが、唐突さを感じさせるよりはましであると考え、ひとつの案として戻してみました。)Safkan 2005年5月8日 (日) 09:49 (UTC)
修正ありがとうございます。細部ですが何点か手を加えさせていただきました。この記事に関しては秀逸の選考の際にWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト クラシック音楽/井戸端でも議論いただいており、そこで<small>タグを使用すると読みにくいというご指摘がありました。ブラウザによっては読みにくくなる可能性があるため、<small>タグは外しました。さらに目次項目の切れ目に区切り線が重なりくどいと感じましたのでこれも消しました。これに伴い、本文との視認性を高めるためインデントをもう一段階下げました。あと「てにをは」を若干修正した点、注番号が残っていたのを抹消した点を修正いたしました。有益な修正と議論ありがとうございます。--汲平 2005年5月8日 (日) 14:25 (UTC)
さらに修正していただいてありがとうございます。記事の育った過程を追っていなかったので二度手間になったところもあったようで、申し訳なかったです。Safkan 2005年5月19日 (木) 13:05 (UTC)
File:Janacek.jpg
[編集]このJanáčekの肖像画です Chzz 2009年7月29日 (水) 05:00 (UTC)