ノート:ロシア飢饉 (1921年-1922年)
冒頭分の変更について
[編集]利用者:226度さん。はじめまして。精力的な推敲活動をありがとうございます。 さて、あなたは記事の冒頭部を下記のように推敲されました。
新経済政策」(ネップ)によって飢饉が収束したという見解{{sfn|松戸|2011|p=23}}や、飢饉は実際よりはるかに過小に見積もられており、レーニンは飢饉の終息に興味がなかったとする見解もある{{sfn|梶川|2013|pp=128f}}{{sfn|クルトワ|ヴェルト|2016|p=254}}。
これに関して、松戸氏が書かれている『ネップによって飢饉が収束した』というのがソ連時代に代表的であった見解、『飢饉は実際より過小に見積もられている』というのがソ連崩壊後に史料が公開されるようになってからの見解です。これは『見解の相違』ではなく、新史料発見によって導き出された結論の差です。 また、レーニンはスターリンと異なり素晴らしい指導者だったという見解に関しても、レーニンが1990年代半ばに赤色テロルを命じたり、農民から食糧を搾り取れといった指令が発見されたりして、疑問が示されるようになっています。 ソ連時代のロシアは、非常に秘密主義で、史料などは多く隠されておりました。ですから、日本には、ソ連が自国内部で行っていた残虐行為を知らない人も多いと思われます。私はできれば冒頭からその部分を明らかにしたいと考えています。なぜなら、この記事を最後まで読んでくれる方がどれほどいるのかわからないからです。
そのため、冒頭部分を差し戻します。異論がありましたら、このノートページにお願いいたします。よろしくお願いします。--Kizhiya(会話) 2022年4月2日 (土) 17:45 (UTC)
- 新資料発見についてもレーニンの評価についても利用者:Kizhiyaさんの意図も理解できますけれども、このロシア飢饉と新資料については、学会で統一された見解があるのでしょうか。
- 山川出版社の「世界歴史体系ロシア史3」の104ページ(石井規衛執筆)では、ソ連政府が8月に国家経済の範囲を縮小して、個々の生産者の経済活動のイニシアティヴの枠が拡大され、21年から市場メカニズムが拡大し、22年にはチェルヴォネツ(金を担保とした銀行券)が流通し、ソ連経済は「なしくずし的に資本主義的な特徴を強めていった」と書いてあるのですが、これは1997年時点での説明です。
- また、世界各国史ロシア史(2002)p309-312には、1922年には天候が順調で豊作となったこともあり、農村に避難していた労働者が1922年夏に都市の工場にもどりはじめ、この時から急速に経済は上向きになり、戦前の水準に近づくこととなったとあります(石井規衛執筆)。
- 松戸清裕『ソ連史』は2011年の著書であり、これは新資料が反映されていないのか、それともこの新書は通史であって、ソ連農業政策の専門家ではないとみるのか、そのあたりは研究者によっても見解が異なるのではないですか。ある説明が「定説」であるといえるには、たとえば世界歴史体系なり、あるいは各種ソ連史研究の標準的な研究書などでの言及で確認できるような状態になっていることが判断基準となるかと思います。また、Wikipedia:中立的な観点では「対立する観点との相対的な勢力差を示す」とあり、ここが私の懸念するところです。つまり、「ネップにより飢饉収束した」と「飢饉は実際よりはるかに過小に見積もられ、レーニンは飢饉の終息に興味がなかった」とする見解はやはり対立しているのであり、前者のような見解が旧ソ連公式の見解に準じるものであるとしても、日本そして世界のソ連史学界全体ではどの程度の勢力にあるのかについては配慮が必要ではないでしょうか。
- 前掲の世界各国史ロシア史(2002)は「ネップによる収束」というよりも、天候による豊作を大きな要因とみており、ここも見解が違うといってもいいでしょう。
- 内戦との関係もあって、この時代の全貌はわかりにくいですが、私もこれから調査し、また加筆します。なお、レーニン評価についてはウラジーミル・レーニン記事にも記載が必要であると考えます。--226度(会話) 2022年4月3日 (日) 12:25 (UTC)
- @226度さん
- ご返答ありがとうございます。また、『その後』を付け加えてくださったことにも感謝します。
- こちらとしても、少々、中立的観点をないがしろにしていたように思います。結局、ご指摘のようにもっと多くの文献にあたるのが良いのでしょう。
- 私が今後調べ、書き加えたいと考えているのは、今のところ以下の点です。
- (これは226度さんに、「ここは書かないでくれ」というものではありません。むしろご執筆をお願いしたいくらいです)
- ・ロシアの農業
- → 植民地的経営(単一植物の栽培)がなされていた地方について
- → 地域的な特性(気候・土壌など)について
- ・食糧調達委員会についてもっと詳しく
- ・ロシア外の飢餓の援助団体について
- ・被害地域をわかっている範囲で地図化する
- 被害状況
- ・人肉食の一般化
- ・食料のみならず物資全体の不足
- ・その他の被害
- → 少数民族
- →他の地域
- ここを増やしたほうが良いと思われる箇所はご提案ください。
- また、ロシア内戦の記事はご覧になったでしょうか。少々、赤軍に好意的すぎるように思えます。
- 時間が許せば、こちらも手を入れられれば、と考えています。--Kizhiya(会話) 2022年4月3日 (日) 17:47 (UTC)
閲覧注意
[編集]いらないのではないでしょうか。白黒でそれほどはっきり写っているわけでもありません。--Kizhiya(会話) 2022年4月2日 (土) 18:51 (UTC)
- 個人的な感覚の違いもあるでしょう。私は個人的には平気なのですが、ウィキペディアは中高校生も読みますし、一般的にはかなり衝撃的な写真であるとはいえるでしょう。--226度(会話) 2022年4月3日 (日) 12:31 (UTC)
- 閲覧注意について
- ・了解しました。「閲覧注意」を入れる代わりに、悲惨な写真も増やそうかと思います。--Kizhiya(会話) 2022年4月3日 (日) 17:48 (UTC)