コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ノート:ロマ一体性の10年

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

元の概念自体微妙か知れないが、「一体性」より「統合」の方がましではないかと思います。johncapistrano 2005年12月17日 (土) 15:32 (UTC)[返信]

移動されるとの意見のようですが、何の項目に移動させるのか、また、その理由は何なのか、明示的に明らかでありません。もし、現在の「一体性」より「統合」への移動ということでしたら、何故、一体性は問題で、統合がより望ましいかその理由を述べてください。inclusion は、ロマの人々の共同体が地理的に位置している国々や既存の社会より隔絶している状態に対し、ロマの人々を、社会全体で迎え入れ、一体性を図ろうとする意味だと理解しますが。他方、「統合」とはどういう意味なのかという疑問があります。つまり、ロマの共同体は、それぞれ独自にあり、隔絶されていた他の集団とのあいだでの「一体性」の確立はこれでよいとして、「統合」というと、ロマの共同体の個別性を無視する意味合いが出てくると考えます。「一体」は、社会交通での連続性の確立に通じると思いますが、統合は、漢字を見て分かるように、「統(す)べ」「合わす」です。ロマの外部社会が、ロマを併呑するという意味が出てくると思います。元々、一つであったものが、事情により分裂している場合は、ドイツのように「統合」でよいかも知れませんが、ロマは元々ヨーロッパ先住の人々ではなく、そこのところをどう考えるかでしょう
(inclusion は、「exclusion=排除」の反対方向の運動という意味で出てきている言葉だと思います。排除をやめて、ロマの人々を社会に迎え入れようというのは、併呑・併合ではない訳で、統合というのは、どうかというのが率直な意見です。色々と考えると難しいのです。「一体性」というのは、ロマの個性を消すというようなニュアンスも感じられるが、これがよいだろうというのが考えです。「ロマ融和の10年」「ロマ和解の10年」なども考えられますが、どうだろうかです。……各地に分散していたロマの共同体が、統合される、統合する方向に進めるというのもプロジェクトのようですが、先に述べたように、主軸は、ロマ対ロマ外の社会であり、ここでは「統合」というより、格差是正であり、文化的ではなく、「制度的な一体化(この意味での inclusion)」の推進だと言えます)。--Maris stella 2005年12月25日 (日) 10:33 (UTC)[返信]

移動について

[編集]

「異存がなければ移動します」とのことなので、ロマ一体性の10年のノートにおいて、どういう項目名に移動するお考えなのか、もし「統合」という名称にするつもりなら、それには疑問があります、という趣旨のことを記したはずです(上に述べています)。また、移動について、どういう理由で別のものがよいのか、その理由を明示してくださいとも記しました。そういう話の手順を無視して、いきなり勝手に移動するというのは、たいへん困った行為です。移動するな、などとは言っていませんが、「一体性」という訳語は、「統合」よりは適切だとわたしは感じているとも記し説明しているはずです。話し合いとか、相手の意見を尊重するというような姿勢に疑問を抱きます。とりあえず、元に戻しました。--Maris stella 2005年12月25日 (日) 16:17 (UTC)[返信]

ノートに気付かずに移動しましたが、「統合」「一体性」という言葉へのイメージが随分違う(或は互いに真逆な)ようですね。日本的な統合の概念は(歴史的に見れば)仰る通りかもしれませんが、ヨーロッパ統合の流れでのこの提案があるということからも統合の方が差異を認めた上での社会的統合という意味合いが明確でしょう。[1][2][3]融和は方向違い、和解はあるといい(前提であるべきか)が趣旨が違うだろうと思います。「制度的な一体化」というのは政策が示されていなければ話にならないと思います。寧ろ、これから漸く積極的差別是正政策が計画されるところで制度的には一体ではない可能性の方が高いと思います。「社会的一体性」と続ける場合、日本の官庁は「統合」よりもこっちの方をこのむ様ですね。因に世界銀行2005年度年次計画(pdf)では訳語が「ロマ族統合のための10年」となっていますが、「族」を付けるのは日本語として不適、「のため」はくどいので省いてもいいだろうと思います。不参加のフランスはロマに移動住民税を掛けようとしている様で「一体性」に熱心な様子です^^;。johncapistrano 2005年12月26日 (月) 06:04 (UTC)[返信]


(コメント)Toki-hoと申します。門外漢が発言するのは不適切かな、と思いますが、コメント依頼がでましたので一Wikipedianとして意見をのべます。日本語版、英語版、スペイン語版の記事と、関連サイトを理解できる範囲内で読みました。そこで思ったことは、ここでつかわれているinclusionはjohncapistranoさんが最初に「微妙」とおっしゃったように、日本語話者にとって概念自体がつかみにくいものだということです。複数の国民国家にまたがって、移動したり、または定住したりしている人々のグループ(しかもそのグループは小グループに分散しています)を、「exclusion(Maris stellaさんのおっしゃるように差別、排除のことですよね)しない」ということですから。これに似た状況は、半世紀前のユダヤの人にもあったかもしれません。ともかく、「ロマ」というグループ(ロマを民族といっていいかどうか私にはわからないので、グループといっておきます)のアイデンティティーをみとめたうえで、そのグループに対するあらゆる「exclusion」をなくそう、という運動でしょう。ですので、この計画の精神を日本語で表現するとすれば、「ロマのひとたちを排除・差別しない10年」というようなことになると思うのですが、これではあまりに百科事典の見出しとしては、不適切でしょう。「ロマの10年」というようなもののほうがふさわしいかとも思いましたが(国際女性年、国際こども年 というのが、女性差別を考える年、こどもの権利をまもる方向にすすんだ年、であった例からみて)、それを国際機関や、マスコミがつかっていない現状で、百科事典の見出しにするのは本末転倒です。そこでご提案ですが、項目名は暫時このままにして、世界銀行がつかっている「ロマ族統合のための10年」をリダイレクトにしておけば、将来、なんらかの名称がDecade of Roma Inclusionの訳語として定着したときに、そちらに見出しをかえるのに、便利ではないでしょうか。加えて、現在進行中のタグをはっておけば、まだ、記事がソリッドではない(まだ一般に認知された訳語がなく、また記事内容もうごく可能性がある)ことが読者につたわるのではないでしょうか。なおこれは蛇足かもしれませんが、「ロマ族統合のための10年」が訳語として不適切なように思われるのでしたら、世界銀行にその不適切さを指摘なさると親切だと思うのですが、いかがでしょうか。そうすることで、「一体性」が一般的な訳語になるということも可能性としてはあるとおもいます。Toki-ho 2006年1月5日 (木) 08:48 (UTC)[返信]


(コメント)コータと申します。世界銀行が日本語資料を準備しているのなら、そちらに合わせるのが適当かと。その上で、訳語にの問題のある旨を記述しておけば良いのではないでしょうか。世界銀行もよもや素人が訳を作っている訳ではないでしょうし、それなりに理由があって「統合」にしているのかもしれませんので。・・・個人的には、"inclusion"は普通に「包摂」がお勧めなのですが。学生時代、近現代史の授業で読まされた文献では確か「包摂」だったかと記憶しています。 コータ 2006年1月10日 (火) 10:11 (UTC)[返信]
(追伸)「統合(unify)」と「包摂(inclusion)」の違いについては「人種のるつぼ」あたりを参照されるとよいのではと思います。「統合」は「るつぼ」で、「包摂」が「サラダボウル」といった感じかと。・・・余計解り難くなっていたらすみません。コータ 2006年1月10日 (火) 10:23 (UTC)[返信]