ノート:三顧の礼
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現在の版の内容は字引的と思います。元のリダイレクトの方がよいと思うのですが。--Tiyoringo 2007年6月9日 (土) 12:06 (UTC)
- 故事成語を特定の人物にリダイレクトするのは適切ではありません。そもそも、三顧の礼の故事自体が劉備と諸葛亮という複数の人間によって成り立っており、それぞれに記事に三顧の礼について書かれた部分がありますが、そのどちらにリダイレクトするのが適切なのか、合理的な理由を以って説明できるでしょうか。--WhiteWing 2007年6月10日 (日) 04:36 (UTC)
- なるほど、劉備と諸葛亮の両方に書かれているから一意のリダイレクトは好ましくないという主張は理解いたしました。しかし字引的ではあるのでウィクショナリーへの移動が妥当と思うのですがいかがでしょうか。--Tiyoringo 2007年6月10日 (日) 04:42 (UTC)
- 現在の記事自体はウィキショナリー向きだと思いますが、この記事の場合、「三顧の礼」という項目がウィキペディア通常名前空間に存在することに意義があると思われます(曖昧さ回避の変種のようなものでしょうか)。他の故事成語(水魚の交わりや泣いて馬謖を斬るなど)を含め、あり方を検討する必要があると思います。むしろ、劉備と諸葛亮の記事からこちらへ記述を移すという手段もありかもしれません。良い知恵が出せなくて申し訳ないのですが。
ところで、「故事成語を特定の人物にリダイレクトするのは適切ではない」という私の主張は、故事自体が複数の人間によって成り立っているということだけではなく、一般化した語句を、専ら歴史上の出来事と捉えることに対する違和感も理由の一つです。Wikipedia:リダイレクトの削除依頼 2007年6月も参照ください。--WhiteWing 2007年6月10日 (日) 05:16 (UTC)