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ノート:三鷹市

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地名由来について

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要約欄に書いた「中立を意図」の一語だけではやはりご理解いただけなかったようですので、地名由来について、簡単ですがノートに意見を書いておきます。古代朝鮮語にこだわる方がいらっしゃるようですが、ここであらためて古代朝鮮語について確認する必要があると思います。また、現在の日本語の語源研究の状況を俯瞰するには、下記参考資料にあげた『日本語の語源を学ぶ人のために』がわかりやすいと思いますので、興味のある方はぜひご一読ください。

さて、218.110.14.113さんの記事に関してです。「新川地区の牟礼に近接するエリアには「高麗(こうま)」姓を名乗る古くからの住民が多数居住している。」と、高麗姓と牟礼の地名が関連があるかのように書かれていますが、高麗家が属していた新川宿組は、もとは野川村であって牟礼村ではありません。高麗家の新川への移住時期も、 元禄12年(1699年)などの説がありますが、その頃にはすでに牟礼村は成立しています。仮に、古代朝鮮語と高麗姓や書かれているような「高麗系の旧狛江郷」とを結びつけるにしても時系列の整理はすべきです。ただし、高麗家の件もそうですが、三鷹市牟礼の地名由来に対して「「人が集まって住んでいる場所」という意味の古代朝鮮語由来とする説が比較的有力」とするなど、独自研究になっているのではないでしょうか。

三鷹市牟礼の地名由来には「牟礼某が住んでいたから」というようなものもあります。三鷹市牟礼との関連が不確かな「語源由来」にスポットがあてられるのもさることながら、読者に錯誤をもたらしかねない記述は、Wikipediaの方針である中立的な観点にそぐわないように思います。誠に勝手ながら、三鷹市牟礼の地名由来について関心を持たれる方のために参考になりそうなことはノートに残すことにして、該当記事はリバートかつ若干の修正を加えさせてもらいました。

参考資料:

  • 吉田金彦編『日本語の語源を学ぶ人のために』世界思想社、2006年 ISBN 4790712249
  • 山岡徐林『三鷹市史談会 私たちの郷土史研究資料(6)牟禮の発祥』三鷹市文化財調査委員会・三鷹市教育委員会、年不詳
  • 井之口章次編著『文化財シリーズ第17集 三鷹の民俗8 牟礼』三鷹市教育委員会・三鷹市文化財専門委員会、1986年6月
  • 井之口章次編著『文化財シリーズ第19集 三鷹の民俗10 新川』三鷹市教育委員会・三鷹市文化財専門委員会、1987年7月、P.28(高麗家の軒数に関しては、P.22-23に掲載されている「大正末〜昭和初期にかけての新川宿組概略図」が参考になります)
  • 高麗幸太郎『多摩乃道芝』二世東稻庵、1932年10月、P.30-31(三鷹市市史編纂委員会編『三鷹市史史料集 第4集』にも収録されています)
  • 千田稔『地名の巨人 吉田東伍 - 大日本地名辞書の誕生』角川叢書 ISBN 4047021261(地名における朝鮮語説に関しては、吉田東伍氏や金沢庄三郎氏の文献から手をつけてみるのもいいかもしれません)
  • 淺見敦『全国の地名ムレを歩く』泉文堂、2005年5月(三鷹市牟礼についてはP.32-34参照)
  • 朝鮮語を知る - 歴史(東京外国語大学の趙義成氏が書かれているコラムは興味深いので、よろしければご一読ください)

--通草 2009年2月7日 (土) 20:16 (UTC)[返信]


58.138.37.86さんの投稿についてです。「昔の朝鮮語を語源としているが異論もある。」、またコメントには「どのような異論なのでしょうか」と書かれていますが、どのような異論かご不明な状態で「異論もある。」と書かれた上に、「昔の朝鮮語を語源としている」と断言されているのには少しばかり驚きました。「昔の朝鮮語」と曖昧な書き方をしていますが何時代の朝鮮語でしょう? 朝鮮語が何を指すかもご確認ください。「三鷹の牟礼」と朝鮮語とを結びつける資料はありますか。三鷹市牟礼と直接関係あるかどうかは別として、地名辞典だけでも「牟礼」の項目を見るといろいろな説が載っていませんか? 自説に都合のいい文献だけではなく、他の文献も調査した上で書かれていますか? 何度も書いて恐縮なのですが、Wikipedia:中立的な観点を確認していただけますでしょうか。そういえば以前に、「新川」の地名由来についても以下のように朝鮮語由来を匂わせる説(?)を持ち出されていた方もいらっしゃいました。


「新川 - 朝鮮半島からの渡来人の居住地域であったことに由来すると考えられており、「高麗(こうま)」姓を名乗る旧家が多い。」


これも、ちょっと文献を調べると時代の不整合がわかります。と言いますか、やはりこの説もここだけ(Wikipedia:三鷹市)で初めて見るものでした。実際に、古い時代のことは調べれば調べるほど決定的な資料に欠けるため、憶測の域を出ない研究結果になってしまいがちです。特に地名研究者には在野の方も多いせいか、検証をせずに推論だけを書いているものが見受けられるようです。私自身は、確証を持てないだけで、地名の朝鮮語説を一概に否定するものではありません。ただ、三鷹市牟礼の地名由来に問題提起をしたにもかかわらず、出典を示さず、初見の説をまじえるなど偏向的と思える記述が続く状態に違和感を覚えています。

「三鷹市の牟礼」に語源由来を書くことがそれほど重要でしょうか。三鷹の地名の研究をされているようですが、牟礼の高橋家の古文書『当村地誌上』に「鎌倉府の頃牟礼某なる者当最寄りに住居せし郷名に残れる(に)因り牟礼居野と称す」とあるそうです。(山岡徐林『三鷹市史談会 私たちの郷土史研究資料(6)牟禮の発祥』三鷹市文化財調査委員会・三鷹市教育委員会、年不詳、P.2-16〜2-17)『当村地誌上』の原典を確認していないので記事に書くことははばかられるのですが、ご存じでしょうか。牟礼の語源の由来を書くならば、「三鷹市の牟礼」ではなく、平安期の『和名類聚抄』に出てくる「高松市の牟礼」などのほうがいいのでは、と個人的には思ったりします。

私が先に参考資料として挙げた『日本語の語源を学ぶ人のために』には、日本語と朝鮮語を語源的に関連づける研究がどのように進んでいるかを、初学者にもわかりやすく解説している節もあります。ご覧になっていただけましたか。地名における朝鮮語説は、吉田東伍氏や金沢庄三郎氏の影響が大きいと思われますが、韓国併合正当化などの時代背景を斟酌する必要もあると思います。(国会図書館の近代デジタルライブラリーで『日韓古史断』『国語の研究』などがすぐに閲覧できます)

私自身、もっとうまい記事の書き方をしていればと反省しきりですが、出典が明らかでないこともありますので、もう一度リバートさせていただきます。ご意見は出典を明らかにした上でノートにお願いします。合意ができた上で記事に反映させるというのはいかがでしょうか。--通草 2009年2月19日 (木) 12:14 (UTC)[返信]

編集と差し戻しを繰り返していますが、地名の由来を出典付きで記入してください--正義の三鷹 2009年2月26日 (木) 12:45 (UTC)[返信]

IPユーザーによる進行中の削除行為

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IP:121.92.58.234会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois[1]、IP:220.210.183.244会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois[2]、IP:124.147.70.241会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois[3]による進行中の削除行為について、削除されているIPさんが加わって、ノートでの会話がなされることを希望します。また、要約欄に韓国人の活動。こう言った事を書く場所ではない。削除。などの虚偽の書き込みを行うのは辞めてください。これ以上、繰り返されるならば荒らし行為として報告します。--Chichiii 2009年12月14日 (月) 12:27 (UTC)[返信]

見ましたが、記述するような内容ではありません。IPユーザーの言う事がどうかはともかく、このまま記述すべきでは無いです。--正義の三鷹 2009年12月14日 (月) 12:40 (UTC)[返信]
国政に対して議会で可決して提言し、海外の大手メディアが報じている訳ですから記述することに問題はありません。--Chichiii 2009年12月19日 (土) 02:13 (UTC)[返信]