ノート:上志津原
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この記事は過去に削除依頼の審議対象になりました。議論の結果、版指定削除となりました。 |
著作権問題調査依頼
[編集]2024-02-17T03:12:36から2024-02-22T21:47:52 (UTC)までの連続24版にて、上志津原さんにより加筆された内容についてです。「ですます」口調が用いられていること、文脈の不自然さやページ名と思しきものが入っていたりなど、なんらかの外部サイト等からの丸写しの可能性があるものと思われます。生憎私はこの分野には疎いものであり、どなたかご存知の方がいらっしゃいましたら、ご意見をいただければと思います。--Mt.Asahidake(Talk) 2024年2月22日 (木) 22:49 (UTC)
- 削除依頼は別途出すのですが、こういう問題は、どうしたら投稿した人にもっと百科事典にふさわしい文章に書き直してもらえるかを、優先して考えた方がいいと思います。
- プライバシーの問題になりかねませんからはっきりとは書きませんが、この投稿者の投稿履歴から、多分こういう立場の人なんだろう、というのは容易に想像できるところです。この想像が正しければ、節stubが付いて何も書かれていなかったこの記事の「歴史」を埋めるための知識はお持ちのはずです。ただこの投稿者の最初の投稿からして、使っている出典の選択も、使い方も、示し方も問題があります。
- この記事でも、開拓当初の議事録を持っている人の家を訪問して地名の由来を調べるくだりがあるのですが、出典は『上志津原たより』という上志津原町会の広報紙の1990年の号です。最近のものはWebで公開されているようですが、こんな古い号はどこで確認できるのでしょう。使われている部分は『上志津原たより』に15回掲載された連載で、著者の方がここだけ取り出した冊子を作っていますが、この冊子は10部限定です。信頼できる公刊された情報源とは言いにくいと思います。
- この部分は。出典の選択や使い方が妥当か、以前に、百科事典の記載としては冗長です。一般に百科事典の読者が知りたいのは、単に地名の由来です。調査した人が議事録を読んだのがこたつの上だろうと下だろうと、どうでもいいと思います。訪問者や訪問先の名前も、伏字にしてまで書くほどのことではありません。冗長だと指摘して、もっと広く一般的に公開されている文献を使って、そういう文献に書かれているようなことだけを書くように誘導すればよいと思います。
- そうやって、主題に関してはもともと知識を持っているが、単にウィキペディアのやり方に慣れていないだけの人に書いてもらうように努力しないと、「歴史」はいつまでも節stubのまま、ということになってしまうでしょう。別の記事でそういう書き手を結果的に追い払ったことがある私が言うことではありませんが、そういう努力をしないと。やがて記事を書くのはAIだけになってしまうのではないでしょうか。--西村崇(会話) 2024年3月3日 (日) 12:00 (UTC)
- 了解しました。取り下げます。ご迷惑をお掛けして、申し訳ありませんでした。 上志津原--上志津原(会話) 2024年3月3日 (日) 21:56 (UTC)
- 利用者:上志津原(会話 / 投稿記録)さんは、前回よりずっと短いものでかまいませんから、もっと広く入手できる文献を使って、上志津原の歴史を書いてみたらいかがでしょう。私が申し上げたいのはそういうことです。
- 利用者:上志津原(会話 / 投稿記録)さんが「この節の加筆が望まれています」という表示に応じ、上志津原の歴史を2024年2月17日 (土) 03:12(UTC)時点における版で投稿なさったこと自体は、歓迎されることだと思います。しかし、この投稿には2つ問題がありました。
- 1点目は、記述が百科事典の記述としては長すぎることです。上述の「上志津原命名秘話」でいうと、この部分は連載3回分がまるまる投稿されていますが、当初は「原」で検討されていた地名は結局「上志津原」に決まった、とだけ書けばよいと思います。「原」で決まっていたはずなのに地名が突然変更されたとか、役員が交代すると行方不明になる議事録、といったエピソードは、町会広報の読み物としては興味深いかもしれませんが、百科事典で調べものをする読者には単に長いだけです。
- 2点目は、根拠としている文献が地元でないと確認が難しい文献ばかりであることです。個人蔵とか、千葉県にしかないとか、そういう資料が多数使用されています。こういう確認しにくい文献を使うと、他の利用者は原典にあたらないと修正できませんから、いつまでも修正されずに長々と放置されていることがしばしばあります。
- 実際の記述は見ていませんけれど、千葉とか佐倉の市史には上志津原に言及しているようですから、そういった誰でも確認しやすい文献で書けることからまず書いてみたらいかがですか。2024年2月17日 (土) 03:12(UTC)時点における版で投稿なさったような長さにはならないでしょうが、「文章、入力技術ともに未熟」ということなら、そこから始めるのが無難でしょう。加筆が進み、実は最初は「原」だった、とどうしても書かなければならないが、裏付ける文献が『上志津原たより』のような文献しか見つからない、のであれば、その文献を示して「○○によれば、□□だという」程度に書くのもいいでしょうが、そのレベルから加筆を始めるのはどうかと思います。--西村崇(会話) 2024年3月9日 (土) 01:00 (UTC)
- 了解しました。取り下げます。ご迷惑をお掛けして、申し訳ありませんでした。 上志津原--上志津原(会話) 2024年3月3日 (日) 21:56 (UTC)
- 了解しました。取り下げます。ご迷惑をお掛けして、申し訳ありませんでした。 上志津原--上志津原(会話) 2024年3月3日 (日) 21:57 (UTC)
- 終了 @西村崇さんにより、Wikipedia:削除依頼/上志津原が提出されました。調査および削除依頼の提出をいただき、この場にてお礼を申し上げます。削除依頼が提出されましたので、本依頼はこれにて終了とさせていただきます。--Mt.Asahidake(Talk) 2024年3月6日 (水) 09:40 (UTC)
- 半年経ちましたが、歴史の節は「加筆が望まれています」のまま、書けるはずの人は去ってしまいました。削除依頼は全く進まず、今や長期積み残し案件の最古の依頼です。何が「これにて終了」なのか、私にはよくわかりません。@Mt.Asahidakeさんも、どうすればこんな状況にならなかったか、考えてみてはいかがでしょうか。西村が削除依頼を出した時点で、利用者:上志津原(会話 / 投稿記録)さんは既に取り下げると繰り返しおっしゃっていました。Wikipedia:削除依頼/削除依頼代行申請窓口に投稿履歴があるのも、御自分でどうにか取り下げようとなさっていたのだと思います。適切な案内をすれば、こんなに長引かなかったのではないでしょうか。削除依頼タグが貼ってあるかどうかなんで、重要ではないと思います。--西村崇(会話) 2024年9月13日 (金) 12:00 (UTC)