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ノート:下間頼照

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Toki-hoと申します。下間少進の研究をしているものです。さて、現在版の記事中第3パラグラフの(「ところが~反発がひろまっていった」)の記述ですが、出典はなんでしょうか。現在のところ下間頼照に関する研究は、谷下一夢「本願寺の坊官下間氏について」がいちばん詳細で、この論文で下間述頼がすなわち頼照であることが証明されました。また金龍静「戦国時代の本願寺内衆下間氏」でも、下間氏に関する研究がなされ、さらに日野照正の『本願寺の鑰役』(2006年出版)も下間氏(ただし、これは鑰役が下間氏から一門衆にうつった経緯ですので、下間本流からはずれていた頼照に関する言及はみられませんが。。)の詳細な研究です。ところがこれら論文には、当該箇所に述べられたような記述がなく、他の文献を出典とされているのだと推測いたします。とくに気になるのは、第3パラグラフの第3文第4文(ところが~象徴でもあった)で、記述に印象批評的なところがみえ、百科事典にふさわしくないように存じます。あるいは、信長側の史料、それらの史料をもとにした後世の読み物などを出典とされているのかもしれませんが、それでしたら「○○物語には、『×××』という記述がある」などとするほうがふさわしいかと存じます。以上は管見のかぎりでございますので、あきらかな出典をご教示くださいましたら幸いです。どうかよろしくお願いいたします。Toki-ho 2007年5月12日 (土) 03:04 (UTC)[返信]

上記質問に御回答がありませんので、8月末まで待って御異論がなければ、全面的に書き換えをおこないと存じます。いかがでしょうか。Toki-ho 2007年8月21日 (火) 23:46 (UTC)[返信]