ノート:中田厚仁

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参考資料候補[編集]

加筆に参考になるかもしれない資料を挙げておきます。

  • ★★★三好範英『特派員報告 カンボジアPKO―地域紛争解決と国連』亜紀書房 1994年11月
    • 第3章 総選挙へ - 6.中田さん殺害事件 p174-193
      著者は事件当日のUNTACのブリーフィングを直接取材した読売新聞プノンペン支局の記者。1982年東京大学教養学部相関社会科学分科卒業後、読売新聞入社。1990年12月から1993年12月までプノンペン支局勤務。中田さんが「車の下」、レイさんが「車両右側座席」で発見されたこと、捜査にはUNTAC文民警察と地元警察があたったこと、およびUNTAC捜査報告書(4月28日発表)の細部と怨恨説の根拠、UNTAC内部でもそんな断定していいのかと報告書に疑問を抱くひとがいたこととその根拠、などを詳しく説明。聞き書きや新聞報道を元にした書籍類より信頼性は高いと考えられる。
  • ★★ 柳原滋雄(やなぎはら しげお)『カンボジアPKO体験記ー日本人選挙監視要員41人の1人として』社会新報ブックレット15 社会新報 1994年1月
    • 二、中田厚仁さんの死
      日本政府からUNTACに選挙監視要員(ISPO)として派遣された人の体験記。小冊子ながら、中田さんの死が日本社会に与えた衝撃、特に、派遣を間近に控えていた時期に起こったこの事件この事件による選挙監視要員およびその関係者の動揺が具体的に分かる。また、中田さんがその啓蒙と準備と選挙登録に走り回っていた総選挙の様子が(一投票所分だけではあるが)活写されている。
  • ★★国連ボランティア計画(編)『平和のつくり方ー紛争地帯の国連ボランティア Volunteers Against Conflict』清流出版 1999年5月
    • 第1章 地雷原での選挙体制づくり(ナンディニ・スリバサン)p33-
    • 第8章 組織の一員として - 地域社会で働き、暮らす(米川正子)p282-
    カンボジアPKOに参加した国連ボランティアの報告。UNV選挙監視要員の総人数(p38)、選挙を延期しないことについてのUNTACトップの見解(p54)、現地スタッフの採用の詳細(p282-)など。
  • ★朝日新聞1993年4月29日「中田さん殺害、ポト派説否定 UNTACが「単独犯」と発表
    文民警察がポト派説を否定した根拠を報じている。

--miya 2010年2月23日 (火) 01:33 (UTC)[返信]

三好1994は参照いたしました。1つ大きな記事ができそうな資料ですね。他の3つはすぐに参照することは難しそうです。この記事に関してはmiyaさんに頭が上がりません。資料の探し方について非常に勉強になりました。ありがとうございました。-- 2010年5月22日 (土) 13:43 (UTC)[返信]
ご参照ありがとうございました。さまざまな観点が紹介されて、良い記事になったと感謝しています。本当は1998年カンボジア国民議会選挙に相当するような、1993年カンボジア国民議会選挙という親記事があるとよいのでしょうね。朝日新聞は聞蔵Ⅱビジュアルが検索できる公立図書館があって助かります。--miya 2010年5月23日 (日) 04:21 (UTC)[返信]

「#死後」について[編集]

「総選挙の実施そのものに影響が出ることはなく」とありますが、なにをもって「影響」とするか、少々曖昧だと感じます。啓蒙活動の方法や投票場所などの「変更」という形で「影響が出た」という見方もありうるのではないでしょうか。

事件後、NUVボランティアが集まってUNTACと安全確保について、危険地域のボランティアと比較的平穏な地域担当のボランティアの二つのグループに分かれてUNTACとの話し合いが徹底的に行われたこと、そこでは選挙とその準備方法やボランティアの警備について対応が検討されるだけでなく総選挙の意義についても突き詰めた話があったこと、UNV事務局から「もう一人犠牲者が出たら」UNボランティアを引き上げることを考えると通告されたこと、明石代表はUNVボランティア抜きでも総選挙を実施することも覚悟したこと、なども言及できれば、良いのではないかと思います。--miya 2010年2月23日 (火) 01:33 (UTC)[返信]

アドバイスを参考に記事を改変してみました。-- 2010年5月22日 (土) 13:43 (UTC)[返信]
ありがとうございました。--miya 2010年5月23日 (日) 04:21 (UTC)[返信]