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ノート:主体年号

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「主体暦」は誤った表記

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現在、朝鮮民主主義人民共和国のメディアが「チュチェ」を「主体」と表記することはありません。従って、「主体暦」という表記もありません。このような誤記が百科事典で行われてはなりません。議論すら不要な、明白な事実です。さっさと「チュチェ暦」に直しなさい。競馬王 2007年4月24日 (火) 09:21 (UTC)[返信]

「直しなさい」などと命令口調を用いるようでは「感情的な理由である」とされ、誰も同意してくれなくなります。なお、私はこのままで全く問題ないと考えます。- LERK 会話 / 投稿記録 2007年4月24日 (火) 09:25 (UTC)[返信]
自己レスという形ですが失礼します。こちらでも同様の議論が行われていたので、あわせてご確認くださいませ。- LERK 会話 / 投稿記録 2007年4月24日 (火) 09:32 (UTC)[返信]
「主体思想」も古い表記です。今日では使われていない(「主体暦」に至っては一度も使われたことすらない)表記をわざわざ用いるのは、何か別の思惑があるとしか思えません。今日使われている、正式な表記を用いるのが百科事典として当然です。競馬王 2007年4月24日 (火) 09:38 (UTC)[返信]

敢えて申し上げるなら「またこの手の話か…」と思っております。そもそも「主体」というのは「주체」の漢字表記である「主體」を日本漢字に置き換えたものです。「何の不都合があるんだろう?」と首を傾げざるを得ません。せっかくなので、その御主張を日本語版ウィキペディアのコミュニティーに向けて発信してみてはいかがでしょうか(例えば井戸端とか)。まあ現状では受け入れられるかどうか、私には判断できかねますが。編集や移動を強行されて、記事が保護される状態になってしまうことだけは避けていただきたいな、と思っております。- LERK 会話 / 投稿記録 2007年4月24日 (火) 09:45 (UTC)[返信]

>そもそも「主体」というのは「주체」の漢字表記である「主體」を日本漢字に置き換えたものです。 そのような勝手な表記法を定めるのはおかしい。「주체」をそのまま音訳するのが今日の共和国の公式方針であるから、それに従うのが当然です。「チュチェ」と書きたくない理由が何かあるのでしょうか。競馬王 2007年4月24日 (火) 09:54 (UTC) なお、共和国では漢字は廃止されています。ご存知ではないのでしょうか。競馬王 2007年4月24日 (火) 09:57 (UTC)[返信]

北朝鮮では漢字が廃止されていることくらい存じております。ちなみにここを読めば、韓国朝鮮の漢字事情を今まで知らなかった人でも理解できるようになります。
>そのような勝手な表記法を定めるのはおかしい
だとしたら、北朝鮮の正式名称を「朝鮮民主主義人民共和国」と日本語で充てるのもおかしい、ということになりますね(そんなことはないか)。
>주체」をそのまま音訳するのが今日の共和国の公式方針である
どこにそんな方針があるんでしょうか?ソースをご提供願います。
それと、競馬王さんと私の意見が平行線を辿っているようですので、井戸端などを活用されてはいかがでしょうか?まあ、私は変える必要性を全く感じませんので、私からは行いませんので悪しからず。
- LERK 会話 / 投稿記録 2007年4月24日 (火) 10:10 (UTC)[返信]

共和国のメディアの日本語版を読んでください。「チュチェ」が「主体」と表記されている例は一切ありません。これが公式表記です。競馬王 2007年4月24日 (火) 10:25 (UTC)[返信]

ですから、それを提示してくださいと申し上げております。「該当するページを探して読め」では不誠実です。- LERK 会話 / 投稿記録 2007年4月24日 (火) 10:29 (UTC)[返信]
膨大な使用例をすべて提示しろとでも言うのでしょうか。ちなみに、「チュチェ」を「主体」と表記しないということは朝鮮大学校にでも問い合わせれば分かります。競馬王 2007年4月24日 (火) 10:32 (UTC)[返信]

極端な言い方をさせていただくのならば「膨大でも使用例を示せ」ということになります。「『チュチェ』と言う表記にせよ」と主張しているのは、競馬王さん、あなたです。立証責任は競馬王さんにあります。「膨大な使用例をすべて提示しろとでも言うのか」「朝鮮大学校に問い合わせれば分かる」というお言葉は立証責任放棄にも等しい行為で、不誠実極まりないです。これでは、私を含め移動に反対する方々を説得出来ません。- LERK 会話 / 投稿記録 2007年4月24日 (火) 10:39 (UTC)[返信]

では、[1]で「主体思想」「主体暦」があるかどうか検索してみてください。1件も見つからないでしょう。競馬王 2007年4月24日 (火) 10:48 (UTC)[返信]

(スタイルが崩れていたので修正させていただきました)確かにヒットしませんね。しかし、一般的な見方ではどうでしょうか。そこで私は、先ずグーグルで検索してみました。主体思想チュチェ思想の検索結果です。グーグルでは「主体思想」のほうが多いです。では次にヤフーでも検索してみます。主体思想チュチェ思想の検索結果です。こちらも「主体思想」のほうが多くヒットします。さらにMSNサーチでも検索してみました。主体思想チュチェ思想です。こちらも、「主体思想」が多いと言う結果になりました。他にも検索エンジンは探すと沢山見つかるはずですが、よく知られているのだけに今回は絞りました。この3つでは「主体思想」が多くヒットしたと言うことになりましたが、これはどうお考えでしょうか。- LERK 会話 / 投稿記録 2007年4月24日 (火) 11:01 (UTC)[返信]

それは無知な人が古い表記を用い続けているためです。共和国の公式メディアの表記に従うべきです。競馬王 2007年4月24日 (火) 11:05 (UTC)[返信]

全く説得力がないどころか反論にすらなっていません。「無知な人」「古い表現」とはどういうことでしょうか。「主体思想」の検索で出てきたページを作った人全てに「お前は無知だ」「古い考え方から脱却せよ」と言って回る御積りですか?呆れて話になりません。「『主体思想』は一般的である」という事実を、一般的な検索エンジンを使って立証したのですが、それは完全に無視された、と判断せざるを得ません。- LERK 会話 / 投稿記録 2007年4月24日 (火) 11:16 (UTC)[返信]
競馬王 さま、すみませんが共和国の公式文書なり公式サイトなりに「日本語の「主体」表記は誤りで「チュチェ」表記が正しい」と明記されているものはございますでしょうか?ございましたらそれを提示願います。念のため先に申しますが、「主体」表記がひとつも無いということを求めているのではなく、明らかに「主体」表記が誤りである証拠を求めています。それを提示いただければ、私はあなたの主張に賛成いたします。--ひとむら 2007年4月24日 (火) 11:17 (UTC)[返信]

「月刊チュチェ思想」に「主体」と記述しないことに関する解説がありました。その号はいま手元にありません。競馬王 2007年4月25日 (水) 03:02 (UTC)[返信]

何号の何という記事でしょうか。また、あなたは前に「「주체」をそのまま音訳するのが今日の共和国の公式方針であるから、それに従うのが当然です。」と2007年4月24日 (火) 09:54 (UTC)に書かれていますが、公式方針というからには何らかの形で文書化されていると思います。何という文書でしょうか。
しつこいやつだとお思いかもしれませんが、Wikipediaの公式方針であるWikipedia:検証可能性を満たすためですのでご理解願います。--ひとむら 2007年4月25日 (水) 04:21 (UTC)[返信]

「主体」という表記は確認できない

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検証可能性というのなら、「主体」という表記が公式に用いられていることをまず立証すべきです。共和国の日本語メディアで「主体」という表記が用いられていないことは、読めば誰にでも分かります。これで十分だと考えます。競馬王 2007年4月25日 (水) 06:59 (UTC)[返信]

まことに細かいことですが、「「主体」表記が用いられていない」ということと「「主体」表記を用いないと公式方針で規定されている」ということは別です。後者を検証できる何かをご提示願います。
ちなみに、「「主体」という表記が公式に用いられていることをまず立証すべき」と言うあなたの意見はごもっともです。実は自分はこの問題は門外漢で、何を調べたらいいのかすら分からない状態ですので、共和国の日本語での発表で「主体」表記が存在するものがあったらどなたか提示いただければと思います(ただし、「古い表記」との発言から過去使用された可能性も考えられるので、その文書の発表年を付記願います)。--ひとむら 2007年4月25日 (水) 07:30 (UTC)[返信]
競馬王さん、論点をすり替えないでください。「「主体」という表記が公式に用いられていることをまず立証すべき」と言うご発言は論点のすり替え意外に何者でもなく、不誠実極まりない態度と言わざるを得ません。何度でも申し上げますが、「『チュチェ』という表記に移動せよ」と主張しているのは競馬王さんなのですから、立証責任は競馬王さんにあります。「チュチェ」のほうがよいということに関して、コミュニティーの合意を取り付けない限り、このまま膠着状態が続くでしょう。なお、北朝鮮が公式に日本語表記では「チュチェ」のみを認め、「主体」という表現は認めないと主張したソースは今のところまだ示されていない、といえます。あるのでしたらそれを提示してください。- LERK 会話 / 投稿記録 2007年4月25日 (水) 10:18 (UTC)[返信]
共和国の日本語メディアで、「主体」という表記が用いられている例が一件も無い、というだけで立証は十分です。競馬王 2007年4月30日 (月) 09:56 (UTC)[返信]
不十分です。明確に「『チュチェ』のみ認め、『主体』は認めない」とする公式文献(朝鮮語にもそんな文献ってあったかなあ…?)が出されない限り、移動に反対される方々は納得できないでしょう。「『主体』表記は一件もない」≠「『チュチェ』表記は公式表記」です(これだけでは「『主体』表記は一件もない」=「『チュチェ』表記は公式表記」を証明できない、という意味で)。- LERK 会話 / 投稿記録 2007年4月30日 (月) 10:37 (UTC)[返信]

チュチェ暦は朝鮮民主主義人民共和国の暦法

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チュチェ暦は朝鮮民主主義人民共和国の暦法です。この点には誰も異論がないと思います。それなら、朝鮮民主主義人民共和国が公式に用いている表記を用いるのが当然です。共和国の公式メディアでは、「主体○年」という表記は一切ありません。常に「チュチェ○年」と表記されています。なぜこれを無視し、わざわざ使われていない漢字表記を用いるのか、私には理解できません。共和国に対する何らかの意図があるとしか思えません。競馬王 2007年4月25日 (水) 07:11 (UTC)[返信]

「朝鮮民主主義人民共和国が公式に用いている日本語表記」を提示せよ、と何度も何度も申し上げているのですが。それがなされない限り、「感情論である」としか看做されません。- LERK 会話 / 投稿記録 2007年4月25日 (水) 10:20 (UTC)[返信]
http://www.kcckp.net/ja/periodic/f_trade/index.php?contents+120+2004-02+12+13 これで結構ですか?競馬王 2007年4月30日 (月) 09:51 (UTC)[返信]

「チュチェ」とは書いてあっても、どこにも「『主体』は認めない」云々が見あたらないのですが。- LERK 会話 / 投稿記録 2007年4月30日 (月) 11:05 (UTC)[返信]

ですから、共和国の日本語メディアで「主体○年」という表記が一切見当たらないという事実で十分ではないかと言っているではないですか。どうしてそんなに使われない表記に固執するのか。競馬王 2007年5月4日 (金) 02:14 (UTC)[返信]

「主体(チュチェ)」オンリーと「主体暦」は同じなのか

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チュチェ思想における「チュチェ」は、まぁ元々は「主体性」とか「主体的に」などの「主体」が語源であろうが、しかし、それを一国の国家が公的な思想として発表した以上、その「主体」という表現は元々の漢語の意味・範疇を超え、発展・進化してより広汎・偉大な意味を持つようになった。だから今となってはちっぽけな漢字の「主体」ごときを訳語として用いるな。チョソングルのチュチェは何者にも代えられないのだ・・・というのが「漢字やめろ派」の皆さんの主張のように思います。で、お尋ねしたいのですが、百歩譲って概念の「チュチェ」や公文書名(文献名)としての「チュチェ思想」はまだ分かるとして、思想分類名としての「主体思想」や暦法の用語としての「主体暦」までなぜ片仮名にしなければならないのでしょうか。お経の「○○経」のような文献名なら原文どおりを尊重でしょうが、それら様々なお経が世界に広まって「仏教」と呼ばれるようになった。こうなるとこの分類名「仏教」は誰のものでもない。仏陀のものでもない。どこか一寺院・一宗派のものでもない。仏教・佛教・ブッダ教・・・どう書こうがそれは社会一般の自由のはず。公表時の論文名が必ずしも漢字を拒否しない時代の「主体(チュチェ)思想」で、その後漢字を拒否した。だから文献名として「チュチェ思想」と引用せよ、は分かる。でも思想なんてものは、ひとたび世界に発表して伝搬すればそれは一つのカテゴリーとなり区分・分類ともなりうる。文献名でなく、外世界に向かって歩き出した「思想名としての」主体思想を、漢字で書くな、などと一体誰が世界の人々に号令・命令できるというのか。主体暦についても同じ。完全に漢字を廃止した時代に発足した年号制度だから「チュチェ○年」と書け、というのはまだ分かりますが、「チュチェを年号として使う制度」を表す言葉として、「太陽暦」とか「西暦」に習って「チュチェ」に「暦」を付けて「チュチェ暦」それを日本で慣用している「主体」を用いて「主体暦」とした。これは暦の名称であって、概念「チュチェ」そのものの名称ではない。日本語の訳語しかも暦法の分類名を漢字で書くかはそれこそ日本での慣用に任せるべきではないのか。--無言雀師 2007年4月30日 (月) 11:26 (UTC)[返信]

朝鮮民主主義人民共和国の暦法は、共和国の表記に従うのが当然です。日本で用いられているわけではない暦法を、どうして「日本での慣用に任せるべき」になるのでしょう?
それと、チュチェ思想が仏教のように広まっているという事実はありません。あくまで、共和国や共和国と友好関係にある研究機関にとどまっています。共和国やチュチェ思想国際研究所が用いる表記を用いるのが当然です。
仏教にしても、「上座部仏教」を「小乗仏教」と呼ばないことが決議され、実行されているではありませんか。どうして共和国やチュチェ思想研究団体の表記に従わないのか。競馬王 2007年5月4日 (金) 02:25 (UTC)[返信]
「チュチェ○年」という実際の使用時の表記は、提唱者のご指示を尊重し片仮名にしましょう。「チュチェ思想塔」という物体の固有名称はそう書きましょう。それは前にも言いましたね。でも制度・暦法を表す「主体暦」は、日本語話者世界でどう呼ぶか、指図は受けない、と言っているのです。無論、ウィキペディアの投票などで「暦法も片仮名のチュチェ暦で」が多数になればそちらでいいですよ。「絶対にチュチェ暦がダメ」とは言ってない。日本語におけるある暦法の呼び方を、一国の(それも日本語を公用語としてるわけでもない国の)政府の隷属下に直接置くべきでないと言っているのです。投票などを経て変えるのであれば問題なし。一国の要求を元に問答無用で自動的・強制的に変えるのが当たり前だ、隷属せよ、というのはおかしい、と言っている。中華民国○年(いわゆる民国暦)、これを「日本語の報道・マスコミ・書物で絶対に旧字体の『中華民國○年』及び『民國曆』と書け。我々中華民國臺灣では旧字体だから、お前たち日本語話者一同も我々の漢字の用法に従え」--こういう意見が通るとは思えないですけどね(申し訳ない、この一文は主観)。
(引用)>あくまで、共和国や共和国と友好関係にある研究機関にとどまっています。---- 世界人民個々人への流布、世界人民との思想の共有、への考慮は関係なしですか。思想はいつまでも永劫に思想提唱者の専有物・・・・この視点はどこまで言っても平行線でしょうね。
(引用)>「小乗仏教」と呼ばないことが決議され、実行されているではありませんか。---- 一部の宗派ではね。異端も含め、あるいは個々人も含め、全部の宗派が、その決定に隷属し、ウィキペディアもまた自動的にそれに隷属していますか? 実際、ここ日本語版でも最初は「小乗仏教」で作成され、その後(ノートでの提案等はありませんでしたが)ある人が移動した。たまたま、これまで異論は出てないので、事実上、みなさんが追認した、とは言えるでしょうが、「上座部仏教の学会の命令・要求」で改名移動した形跡はない。当方をやりこめる例としては少々はずれているかと。--無言雀師 2007年5月4日 (金) 06:10 (UTC)[返信]
北朝鮮は「주체」の漢字表記としての「主体」は否定していないようです。「时代朝鲜网」でも「主体」という表記を使用していますし、また順安空港で配布されていた「チュチェ思想」のリーフレットでも日本語版は「チュチェ思想」でしたが、中国語版には「主体思想」と印刷してありました(現地ガイドも主体という漢字を使用していました)。客観的に見て絶対に使用してはいけないという見解ではないようです。もし「主体」という漢字表現が使用できないのであれば、中国語でも「主这」のような音訳を採用するはずですが、現在のところ音訳表記は確認できていません。それとも中国語は漢字表記を認め、日本語では漢字表記を認めないという主張なのでしょうか?--Yonoemon 2007年5月4日 (金) 03:34 (UTC)[返信]
対中国向けと対日本向けでは漢字表記に関するスタンスがそもそも別なんですよね。だから「中国に漢字を許して日本に認めないのは差別だ」とは言えないと思います(競馬王氏に加勢するつもりはないが事実だから仕方がない)。1970年代の朝鮮中央放送の日本語放送のベリカード(受信確認証)では既に「チョソン民主主義人民共和国」「ピョンヤン」と印刷されてました。韓国が全斗煥大統領の頃から現地読みにこだわりだしたのと比べると、北の方は結構早期から日本語での表記にこだわりがあったようです。でも、当時も実際の放送では「こちらは、ちょーせん、へーじょー、ちょーせんちゅーおーほーそーきょくです。じんみんのたいよー、きんにっせーしゅせきは・・・」と語っていたので、日本語における「チョソン・ピョンヤン」を完全に徹底できていたわけではないと思うんですけどね。これは右派本などの受け売りでなく当方が直接ベリカード欲しさに聴いていた頃の記憶です(同時期ラジオ韓国からはペナントももらったw)。つまり、片仮名表記に関する強硬な主張には全く考慮すべき経緯がない、ということもないんです。そのようなベリカードを保管し、その実例を古くから知っていた当方としては、競馬王氏の気持ちは少しだけ分かるんですよ(氏の思考回路には全く同調はできないですけどね)。--無言雀師 2007年5月4日 (金) 06:49 (UTC)[返信]
手元にあるベリカードを確認しました。確かに70年代で既にカタカナ読みを通していますな。改めての新発見です。それはさておき、「チュチェ」の漢字は「主体」ということを曲がりなりにも北朝鮮当局も認めているわけでして、あとは日本国内で「チュチェ」を使用するか「主体」を使用するかで何れ優勢な方を採用すればいいという話でいきましょうや。Google検索で「チュチェ」が「主体」を上回ったら変更というあたりが無難な結論でしょう。--Yonoemon 2007年5月4日 (金) 09:34 (UTC)[返信]
>Google検索で「チュチェ」が「主体」を上回ったら変更というあたりが無難な結論でしょう。
そのような方法は採用できません。まずGoogle検索自体の信頼性という問題もありますが、「主体」表記を使っている人々が朝鮮に対して無知であるか敵対的である傾向がある点が問題です。繰り返しますがチュチェ暦は一国の公式暦法で、その日本語表記も定められているのです。それをあえて使用せず、なぜか漢字を使用するというところに、共和国に対する何らかの意図を感じざるを得ないのです。蔑視的表現と言っても言い過ぎではないでしょう。そのような表現を百科事典に採用すべきではありません。なお、Google検索では「小乗仏教」が「上座部仏教」を上回っています。しかし「小乗仏教」は蔑視的表現なので採用しないでしょう。それと同じことです。競馬王 2007年5月5日 (土) 09:48 (UTC)[返信]
貴殿と当方の二人だけで決めることではないので何なんですが、日本語話者世界での優勢な方(それも客観的な調査方法に基づく結果)を採用、というご意見には賛成ですね。どこそこの政府が言っているから問答無用で従え、という強要・命令に対して「そんなご無体な」と申し上げているだけで、手順を踏むなら別に項目名が漢字だろうが片仮名になろうがこだわりません。第一、項目名が片仮名になったとしても、まさか「記事本文でも漢字表記に一切触れるな」とは主張されないでしょうから、表記についての情報はどのみち盛り込めますしね。--無言雀師 2007年5月4日 (金) 09:57 (UTC)[返信]
この暦法に無関係な政府が言っていることならば、確かに「問答無用で従え」はおかしいでしょう。しかし、チュチェ暦は共和国以外では採用されていない暦法ですから、共和国に決定する権限があるのが当然です。競馬王 2007年5月5日 (土) 09:51 (UTC)[返信]
堂々巡りですな。「決定する権限」とはこれまた曖昧な。誰に対して何を? 自由なネット世界の日本語話者たちに対して特定の表記に問答無用で付き従わせる決定、ですか。こりゃぁどこまで行っても平行線でしょうね。正式に改名提案(さらには投票提案)されては如何ですか。ここは自由な百科事典、貴殿にも機会と手順は保障されていますよ。--無言雀師 2007年5月5日 (土) 10:23 (UTC)[返信]
これでも当方は柔軟なつもりなんですけどね。だいたい、物体名称「思想塔」のほうは片仮名が妥当じゃないか、とまで申しているじゃないですか。教条的な右派論客のように思われるのは心外。あと、漢字表記を是認する者が差別主義者であるかのような決めつけは残念ですね。よく「一人でも傷つく人がいるなら、その呼称は差別・侮蔑だ」と言われる方もいますが、それだと「俺は傷ついた」と主張すれば全ての社会事象の名称を意のままに操ることができてしまうと思うので、当方はそういう過剰な人権配慮に無条件で与することはしない。「漢字が侮蔑」そう思うのは貴殿の勝手だが、その発言が漢字を使う他者の発言を拘束し意のままにしようとする姿勢の発露であると受け取られる可能性は甘受すべきでしょう。一か八か投票やったらどうですか。思想塔には九分九厘カタカナ賛成票出すし、暦も今のところカタカナ賛成でもいいかなと思っている(あくまで手順なしの強制変更に反対しているので実際の投票となれば改めて熟慮する)。ただ、4文字の「主体思想」は当方は狭い意味の文献名(発行者の専有物)でなく広い意味の思想名(人類全般の共有物)と考えるのでカタカナ反対票ですけどね。--無言雀師 2007年5月5日 (土) 11:06 (UTC)[返信]

皆様お世話様です。本来なら私も関わるべきなのでしょうけど…結果として放置したことになってしまいました。この場を借りてお詫びいたします。さて、項目名に関する投票のお話が出ていますが、投票をやってみて解決を図るのもいいかもしれません…というか、それしかなさそうですね。- LERK 会話 / 投稿記録 2007年5月6日 (日) 03:23 (UTC)[返信]

主体暦を主体年号に改める件について

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主体暦という語は通俗されていることは否めない一方、その起こりについて「主体歴」として掲載している資料は存在しない。 一方「主体年号」という表現は、『主体年号が初めて提案されたのは、1988年のことだ。当時、北朝鮮の天道教青友党党首で、朝鮮天道教中央指導委員長や朝鮮宗教家協議会会長、祖国平和統一委員会副委員長を務めた崔徳新(チェ・ドクシン)氏が、自身の著書『金日成、彼は天主様』の中で、初めて主体年号の使用を提案した。』というように、明確な起源が示されているほか、東亜日報の記事などでも主体年号という表現が通用されており、変更したほうが適切であると考える。--500円貯金会話2024年2月17日 (土) 17:29 (UTC)[返信]

各年の元号表記を「主体歴」から「主体年号」へ変更も希望しますが、Wikipedia:Bot作業依頼で、本件の改名作業が適切ではない意見もあるので、事後になりますが、一週間程度、今回の改名に間追認期間は設けたいと思いますので、異議がない場合は改めてbot作業に依頼します。
なお、「チュチェ暦」に関しては現代コリアの記事にて確認は出来ます。--From-w会話2024年4月18日 (木) 18:43 (UTC)[返信]