ノート:交響曲第8番 (マーラー)
改訂しました
[編集]「楽器法」の節については、位置を歌詞の上に持ってきてそのまま残しました。個人的には主観的な記述のように感じましたが、挙げられている作曲家を知らないこともあり、どうしたものか判断が付きませんでした。「検証可能性」や「独自の調査」の観点から、できれば出典やだれの指摘かなどを補筆していただきたいと思います。--みっち 2006年8月25日 (金) 02:51 (UTC)
イギリスの近代の作曲家:ソブラジとブライアンの出典は野田君がWikipediaに詳しく書いているので問題無いですね。もちろん事実です。CDも楽譜も手に入ります。--195.93.60.98 2007年7月14日 (土) 20:21 (UTC)
- 「野田くんが詳しく書いているので問題ない」ではなんの説明にもなっていません。Wikipedia:検証可能性に基づき「もちろん事実」であることの出典が求められています。CDや楽譜からだれかが判断した、ということならそれは独自の研究であって、ウィキペディアに書くべきことではありません。というわけで、当該節には「要出典」のタグを付けさせていただきます。私は出典がないからといって、すぐにその文章を除去するつもりはありませんが、このような記述を繰り返す利用者が過去に無期限ブロックを受けた事実に照らして投稿内容をご検討下さい。また、仮に「検証可能性」を満たすとしても、この項目でソラブジやブライアンのことに言及する必要性があるかどうかはまた別の問題であるということもお忘れなく。--みっち 2007年7月17日 (火) 03:35 (UTC)
概要に“この曲は唯一葬送行進曲風の楽章が無いことでも知られている。”とありますが、葬送行進曲風の楽章があるとはっきり判るのは、第1、2、5番の三曲に過ぎません。葬送行進曲的な部分は他の曲にもありますが、それは聴く側の独自研究に過ぎません。読む人にマーラーに対する誤解を招く文章でしたので、削除させて頂きます。--210.230.15.64 2010年2月15日 (月) 08:55 (UTC)
マリア崇拝の博士
[編集]この訳語には問題があります。『現代カトリック事典』をその出典の一つとしてあげますが、カトリック教会を含むあらゆるキリスト教会で、公式にはマリア崇拝は認められていません。--Evangelical 2010年5月29日 (土) 08:53 (UTC)
- 同感です。確かにCD説明文等ではあっさり「マリア崇拝」と書かれている事が多いようですが、これは事典として正確性の問題として対処すべきと思います。おそらく「マリア崇敬」といった訳語が適切になるかと思います。--Kinno Angel 2010年5月29日 (土) 15:30 (UTC)
- 「マリア崇拝」については、Kinno Angelさんがいわれるとおり、CD解説などではそうなっていたように思います。8番第2部のテキストはゲーテ『ファウスト』に拠っているので、個人的には『ファウスト』の翻訳に準拠するのがいちばんよいように思いますが、手元に訳本がなく、参照できません。手元の音楽関係の資料を確認したところ、『名曲解説全集』(音楽の友社)p.174は「マリアを讃える学者」、柴田南雄『グスタフ・マーラー』p.143では「マリアを崇敬する博士」となっています。表記にはまったくこだわらないので、適宜修正していただければ、と思います。--みっち 2010年5月30日 (日) 00:47 (UTC)
- Kinno Angelさん、みっちさん、ご意見ありがとうございます。マリア崇敬ならばカトリック神学上も問題がないと考えられます。マリア崇敬に修正しました。--Evangelical 2010年6月2日 (水) 16:40 (UTC)
- 「マリア崇拝」については、Kinno Angelさんがいわれるとおり、CD解説などではそうなっていたように思います。8番第2部のテキストはゲーテ『ファウスト』に拠っているので、個人的には『ファウスト』の翻訳に準拠するのがいちばんよいように思いますが、手元に訳本がなく、参照できません。手元の音楽関係の資料を確認したところ、『名曲解説全集』(音楽の友社)p.174は「マリアを讃える学者」、柴田南雄『グスタフ・マーラー』p.143では「マリアを崇敬する博士」となっています。表記にはまったくこだわらないので、適宜修正していただければ、と思います。--みっち 2010年5月30日 (日) 00:47 (UTC)
第一部の訳文について
[編集]第一部の訳ですが、大変申し訳ありませんが、基本的に2014年3月3日 (月)以前のものに戻させて頂きました。 2014年4月6日以降に書き換えられた細木代助さんの訳は、第二部のドイツ語の訳については誤訳、又は不適切な訳ではないかと思われる部分がいくつか見られ、これについては僭越ながら出来る範囲で手を入れさせて頂きましたが、第一部の訳についても以前の訳より質が上がっているようにはどうしても思えませんでした。このため、大変失礼ながら第一部の訳を基本的に2014年3月3日 (月)以前のものに戻させて頂きました。--Gruppetto(会話) 2014年4月15日 (火) 18:42 (UTC)
- Gruppettoさんが対応しておられたので様子を見ていましたが、差し戻しに同意します。言い回しなど好みの違いはあるとしても、以前の訳で問題はなく、今回の一連の修正はむしろおかしな方向ではないかと思っていました。--みっち(会話) 2014年4月17日 (木) 13:59 (UTC)
第一部の原文・訳文について(別の視点から)修正提案
[編集]私はラテン語に通じているわけではありませんが、それにしても"Paraclitus"の訳語が一定していなかったり、"unctio"が「聖なる油」というように「聖」に当たる言葉が無いのに訳されて居たり…(そもそも油を塗る行為を表す語彙であって、油そのものではないのですが…[1])。色々と疑問符が付きます。
尤も、「聖なる」(sanctus)が入って居なかったら「聖なる」と訳してはならない、を厳密に適用してしまいますと、"Veni Creator Spiritus"自体「来たれ、創造者、霊よ」になってしまい、通用している題名と一致せずに混乱を来しますが…(汗
ただ、spiritusが聖霊を意味する場合、一般にキリスト教では冒頭一文字を大文字にして"Spiritus"にするなどの記述が取られますので、これは「冒頭大文字の"Spiritus"は聖霊と訳す」といった方針を立てれば一貫した翻訳が可能です。…で、このページでのラテン語本文をみますと、"Veni, creator Spiritus"ではなく、"Veni, creator spiritus,"となっていますね…。出所は分かりませんが、この原文は教会において三位一体の各位格がラテン語でどう記述されるか(冒頭を大文字にする習慣)について、御存知無い方が書かれたのではないでしょうか…。
他にも幾つか疑問点があるのですが、あまり申しますと「では全部お前がやり直せ」と言われて「はい、やります」と言える程ラテン語が出来ませんので(すみません)、一点の疑問と、部分的な修正提案に留めます。
- (疑問)この原文・訳文の出所はどこなのでしょうか。特に出所が明らかにならず、異論が無ければ、以下の提案一~提案四を実行したいと考えております。
- (提案一)"Paraclitus"(およびその格変化形)を、カトリック教会のカテキズムなどに則った訳語に替える。
- (提案二)"a mortuis Surrexit"を「死より復活した」に替える(「よみがえる(蘇る・甦る)」だと復活祭・復活との語彙的な関連性が弱くなります)。
- (提案三)"unctio"を「塗油」に替える。
- (提案四)聖霊を意味する"spiritus"(およびその格変化形)を、"Spiritus"に替える。
なお、上記修正提案が受け入れられました場合、 2008年11月25日 (火) 14:45(UTC)に原文と翻訳文が移植された記事:来たり給え、創造主なる聖霊よの方も修正します。--Kinno Angel(会話) 2014年10月26日 (日) 14:53 (UTC)